第2話 つくられた感情
クララとナターシャの家は、二階建ての小ぢんまりとした家だった。二階の部屋にナターシャを寝かせ、一同は一階へと降りる。
「一階の部屋はどれも空いていますから、お好きに使ってください。何のおもてなしもできませんが……」
「気にしないで。こっちが、急に押しかけたんだもの」
「あら? コーヘイくん、どこへ行くの?」
外へと向かう耕平に、セレーネが声をかける。
耕平は、ぼそりと答えた。
「……ちょっと、散歩してくる」
「あら。それなら、私も――」
「一人にしてくれないか」
暗いトーンで言い放ち、耕平は外へと出て行った。パタパタとその後に続き、サティーが外へと出て行く。
「あっ……サティー……」
呼び止めようとしたティアナの肩を、セレーネが軽く叩く。
「コーヘイくんと一緒なら、大丈夫よ。コーヘイくんも、あの子が一緒なら無茶をすることはないでしょうし……そっとしておきましょう」
「うん……」
ティアナは閉ざされた玄関扉を見つめながらも、うなずいた。
「勇者さん……何か、あったんですか?」
クララはおろおろと問う。
セレーネは、にっこりと笑って言った。
「気にしないで。ちょっと強い敵と戦って凹まされただけだから。彼の事は、今晩にでも私が慰めるわ。心も、身体も」
「えっ、え、セ、セレーネさんと勇者さんって、そう言うご関係……?」
「違うわよ! セレーネが一方的に色仕掛けで迫ってるだけ! そんな事、絶対にさせないからねっ」
ティアナは、キッとセレーネを睨む。
三人が話す中、イリサが輪の中からはずれた。少ない荷物を抱え、廊下を奥へと歩いていく。
使って良いと言われた空き部屋に入ったイリサの後を、ティアナは追った。
「イリサっ」
「ティアナさん……」
ベッドの足元に荷物を置き、イリサは振り返る。ティアナは真剣な表情だった。
「コーヘイの事……洞窟での事で、すごく落ち込んじゃってるでしょ? 私達で、何かできないかなって……魔王との事も、対策立てなきゃいけないし……」
「……ティアナさんは、何も思わないんですか?」
「え……」
イリサはぎゅっとローブを握る。
「魔王さんのお話、私達を混乱させるためのでっち上げではなく、本当の事みたいでした。この世界は、魔王さんが作り変えたものだと……私達には元々、別の居場所があったと……」
「で、でもほら、今はコーヘイや皆が――」
「イリサの村は、山賊に滅ぼされました!」
イリサにしては珍しい、悲痛な叫び声だった。ぎゅっと胸をつかみ、吐き出すようにイリサは話す。
「悲しかった。つらかった。怖かった。でも、あの人たちとの記憶は、作られたものだったんですか? 勇者様に救われて、嬉しかった。勇者様のおそばは、温かかった。ずっと一緒にいたいと、そう思いました……この気持ちも、勇者様のために魔王さんが作り出したものだったのですか!?」
ティアナは言葉を失う。
耕平に都合が良いように、世界を作り変えた。そう、魔王は言った。全て、耕平のために用意したのだと。
他に類を見ない特殊な能力も――皆に好意を寄せられ慕われるという立場も。
ぽろぽろと、イリサの瞳から涙が流れる。
「ティアナさんは、お強いです。剣の腕前だけでなく、そのお心も。でも、イリサは違います。自分の意思が薄弱だという事は、イリサ自身がよく分かっています……きっと、イリサの心を操るなど容易いことでしょう……」
自分の存在、自分の気持ちに疑問を抱くイリサに、ティアナは何も言う事ができなかった。
部屋を出ると、そこにはセレーネが腕を組み立っていた。
セレーネは、困ったように微笑う。
「……浮かない顔ね。あなたらしくないわ」
「……クララさんは?」
「お姉さんの様子を見に行ったわ」
ティアナは居間に置いたままだった荷物を、イリサの隣の部屋へと運ぶ。
セレーネは黙って、その後をついてきた。
「……話、聞いてたの?」
「ええ」
「どこから?」
「『ティアナさんは、何も思わないんですか?』から」
「ほとんど最初じゃない……。ねえ、セレーネは……あなたは、どう思う?」
ティアナはベッドに腰掛け、戸口に立つセレーネを振り仰ぐ。
セレーネは首をかしげた。銀色の髪が、さらりと横に流れる。
「どうって?」
「イリサの言っていた事……あなた、コーヘイに入れ込んでるじゃない。でも、その気持ちは……」
「あら、例え相手が魔王だろうと、私が操られるような玉だと思う?」
ティアナは目をパチクリさせる。セレーネの返答には何の迷いもなく、堂々としていた。
「私のこの気持ちは、本物よ。誰にも操られたりなんかしない。悩む必要なんてないわ」
ティアナはくしゃりと笑う。
「アハハ……私なんかより、セレーネの方がずっと強いや……」
「あなたはどうなの? 自分の今の気持ちは、作られたものだと思うの?」
いつになく、セレーネは真剣な表情だった。
ティアナは言葉をつまらせ、うつむく。
「私……私は……」
その時、上の階から叫び声が聞こえた。ドタン、ガシャンという激しい物音。
ティアナはパッと立ち上がると、セレーネと二人、部屋を飛び出して行った。
耕平は、雑踏の中をふらふらと宛てもなくさまよっていた。
ドン、と肩が前から来た人に当たる。
「いってぇな!」
「す、すみません!」
「ったく……気を付けろよ」
忌々しげに吐き捨て、男は去っていく。
絡まれなくて良かった。耕平はホッと胸をなでおろす。
歩き出した耕平の後を、パタパタと小さな足音がついてくる。耕平がぴたりと止まれば、一歩遅れて足音も止まる。
耕平は、くるりと振り返った。
黒い大きな瞳が耕平を見上げていた。
「家に帰ってろって言っただろ……」
サティーは無表情で耕平を見つめるばかり。
耕平はため息をつき、手を差し出す。
「ほら。はぐれるといけないだろう」
サティーは素直に、差し出された手を握る。
「君は、どうしてあの場所にいたの? 魔王は、神だとか何とか言ってたけど……」
サティーは答えない。無表情で耕平を見上げるだけ。
「分からないのかな……。俺の事、シバって呼んだよね? それって、あの魔王の事? 俺の名前、柴田だし……。あいつと、知り合いなの?」
やはりサティーは答えない。無口無表情のまま、何の反応もない。まさか聞こえていないんじゃないかと不安になってくる。
「あいつは――シバは、君の事すごく気にしているみたいだったけど。何があったの? あの場で叫んだって事は、君も銃を知っているんだよね? それじゃ、君も本来の世界の記憶があるの?」
やはり、返答はなし。
「答えてくれないか……」
「……シバは、お兄ちゃん」
ぽつりと、サティーが言った。
「え?」
サティーの答えは、ますます耕平を困惑させるものだった。
耕平に妹はいない。もちろん、年端のいかない子供に「お兄ちゃん」と呼ばせるような趣味もない。
思案は、耕平の名を呼ぶ声に遮られた。
「コーヘイくん! コーヘイくん!!」
セレーネが慌てた様子で、道を駆けて来ていた。彼女が駆けるのに合わせて、たわわな二つの実が大きく揺れる。
耕平の所まで駆けつけると、セレーネは膝に手をつく。目のやり場に困って、耕平は目を泳がせる。
「そんなに急いで、いったい……」
「大変なの……! ナターシャが目を覚ましたのよ。今、ティアナが対処しているわ……!」
耕平は息をのむ。
ナターシャは姿こそ悪鬼から人間に戻ったが、中身まで浄化できたか確証がなかった。
もちろん彼女自身の容体も心配していたが、その確認もあってわざわざクララの家に泊まる事を申し出たのだ。まさか、恐れていた事態が起こったのか。
耕平はサティーを抱き上げ、クララの家へと走る。
階段を駆け上りナターシャの部屋にたどり着くと、開け放たれた窓の前でナターシャとティアナが剣を奪い合いもみ合いになっているところだった。床には、皮を剥きかけたリンゴと、割れた皿の残骸。
「放して! 放してよぉ!!」
「ダメ……やめてください、ナターシャさん……!」
剣は鞘から抜かれ、その刃を露わにしていた。このままでは、どちらもケガをしかねない。耕平は部屋へと踏み込む。
「ごめんなさい……悪く思わないでください……!」
縄が現れ、ナターシャを縛りあげる。引っ張る手が離れ、ティアナは剣を持って尻餅をついた。
「大丈夫か、ティアナ!?」
「う、うん」
「どうして殺してくれなかったのよぉ!」
縛られ、床に転がりながら、ナターシャは泣き叫んでいた。
耕平は、その正面に膝をつき、ナターシャの縄を解く。無理だと悟ったのか、彼女はもう剣を奪おうとはしなかった。
肩を震わせて泣く彼女の背中を、クララがなでる。
「ナターシャさん。いったい何が……」
「あ、あの洞窟を通って隣町へ行こうとしたら、急にイライラとか、憎しみとか、嫌な感情ばかり浮かんできて……か、顔は見えなかったけど、ガウンのできそこないみたいな、青と黒の奇妙な服を着た男がいたわ。そいつが、私を、ま、魔物に……わ、私……何も分からなくなって……それで、たくさんの人たちを……!」
ナターシャは激しく頭をかきむしる。
耕平は慌てて、その両腕をつかんだ。
青と黒の服――恐らく、着物だろう。
それは、魔王に間違いなかった。魔王は、魔物を生み出す。ナターシャに負の感情を流し込み、悪鬼へと変貌させたのだ。
ナターシャの青色の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。
「どうして私を助けたの……?」
「え……」
「私は、たくさんの人を傷つけてしまった……! 自分が何をしたのか理解する事になるくらいなら、死んでしまった方が良かったわ……! どうして私を殺してくれなかったのよぉぉぉ!!」
耕平は絶句する。
人を助ければ、感謝される。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。当たり前だと思っていた。
自分は正しいことをしているのだと、そう思っていた。
まさかそれが人を苦しめる事になるなんて、思いもしなかったのだ。
耕平はふらりと立ち上がると、再び家を出て行った。




