第4話 魔法の具現
耕平は前へと飛び出していた。
耕平の足で間に合うのか、そんな事を考える余裕もなかった。ティアナの前へと飛び出し、かばうように抱きしめる。
強い衝撃が、耕平の背中を襲った。
ティアナを抱いたまま、戸口の方へと五、六メートルも飛ばされる。
ティアナにおおいかぶさったまま、身動きすることができない。
起き上がる力が入らない。もろに棍棒を食らった背中は、ズキズキと痛んだ。
「コーヘイ! コーヘイ!? いやだ、ねえ! イリサ! イリサ!!」
「大……丈夫……」
ティアナの涙声に、何とか答える。
しかしやはり、力は入らない。パタパタ、カツカツと足音がして、イリサとセレーネが駆け寄って来た。イリサの魔法でようやく痛みが和らぎ、ティアナに支えられながら起き上がる。
悪鬼は、セレーネの幻術に惑わされていた。
「ありがとう、イリサ、ティアナ、セレーネ……」
「どういう事なの? 悪鬼を攻撃しちゃいけないって」
「確証はないんだ……でも、たぶん……」
耕平はモゴモゴとあいまいにつぶやく。
突然洞窟に出るようになった悪鬼。
セレーネの幻影への反応。
「……皆、力を貸して欲しい」
耕平は顔を上げる。
「セレーネは、幻を作り出す事ができるな? イリサは、ケガを治す事ができる――その魔法を、原状修復としてイメージする事はできるか?」
「え、えと……どういう事でしょうか?」
「簡単なことだよ。ケガを治すってのはつまり、元の健康な状態に戻しているわけだ。イリサが普段、どういう感覚で魔法を使っているのか分らないけど……そういう風に、戻すことを意識して魔法として発動してみてほしいんだ」
イリサは、緊張した面持ちでうなずいた。
「や……やってみます」
「セレーネは今から俺が説明する幻覚を作り出してくれ」
耕平は、セレーネに詳しい情景を耳打ちする。
セレーネは目を丸くした。
「本当に……!? あれが……?」
「……確証はない。違ったなら違ったで、皆で倒せばいいだけだ。でも、この可能性がある限り、確かめないわけにはいかない」
「ええ。もちろんだわ」
「よし。俺は、二人の魔法を具現化させる」
「魔法を具現化……?」
首をかしげるティアナを、耕平は真正面から見据える。
「ティアナは、俺たちが魔法を使う間、あいつを引き付けていて欲しい。傷付けずにおとりになるなんて、すごく難しいのは承知してる……君一人に、こんな危険な役割を任せるなんて、申し訳ないけど……」
うつむく耕平の額に、コツンとティアナの額が当たった。
ティアナは、口の端を上げて笑う。
「私を誰だと思ってるの? さっきは急で、隙が出来ちゃっただけ。私の剣の腕前、見くびらないでよね」
おどけるような口調で言って、ティアナは立ち上がる。
「あの大きいやつの気を引いていればいいんでしょ? オッケー、任せて!」
タン、と軽く地面を蹴り、ティアナは剣を手に悪鬼へと切迫する。振り下ろされる棍棒を避け、前へ後ろへ、右へ左へと、舞うような動きで悪鬼を翻弄する。
「よし、俺たちもやるぞ!」
イリサとセレーネは力強くうなずく。
「ア・ドーウィン・トーィル・メー・ハーリン・ソーラス」
目を閉じ、イリサが唱える。
青い光が、イリサを中心に拡散する。光は目の前で戦うティアナと悪鬼をも取り込み、悪鬼の動きが鈍る。
イリサの隣で、セレーネが高らかな声で歌う。
声は波のうねりのように部屋中に響き渡る。壁沿いの炎が大きく揺れ、世界が歪む。目の前に立つのは、しなやかなブロンドの髪を持つ一人の女性。
セレーネの幻影を模写するように、耕平は脳裏に思い描く。
女性は、苦しそうに吠えわめく。戦いとはまるで縁がなさそうな細い腕で振るわれる黒い棍棒を、ティアナはひらりひらりと避ける。
「いいんだ……もう、苦しまなくていい。君は、戦う必要なんてないんだ……!」
イリサの修復。
セレーネの幻影。
――思い描くは、悪鬼が一人の女性へと戻る姿。
ズキズキと頭が痛む。
ふらりとよろめきかけた身体を、足を踏ん張って奮い立たせる。
「二人分の力を取り込もうとして、身体が悲鳴を上げているんだわ……!」
「勇者様……! これ以上は危険です……!」
イリサが耕平の腕をつかむ。耕平はそれでもなお、目の前で戦う悪鬼を見据えていた。
あきらめる訳にはいかない。あの悪鬼は、クララの姿に反応していた。まだ、彼女の心は消えてはいない。
青く染まっていた部屋を上書きするように、赤い光が弾ける。
あまりの眩さに、耕平たちは目をおおった。
ズシン……と重い音を響かせて、棍棒が床へと転がる。
筋肉隆々とした青い肌の化け物の姿は、もうそこにはなかった。代わりにその場に立つのは、しなやかなブロンドの長い髪の女性。
ふらりと倒れ込むその身体を、剣を下したティアナが片手で抱きとめる。
耕平は、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。
ティアナ、イリサ、セレーネの三人が、耕平を呼ぶ。
「大丈夫……ちょっと、力が抜けただけだから……」
耕平は頭を手で押さえながら、起き上がる。ズキズキとした痛みは、少しずつ和らいでいった。
「まったく、無茶をするんだから……! でも……あの悪鬼が、ナターシャさんだったなんて……」
ティアナは、背中に負った女性に目を向ける。人の姿に戻ったナターシャは、蒼い顔で固く目をつむっていた。
「セレーネがおとりのつもりで作り出したクララの幻影に、悪鬼は妙な反応を示していた。それで、もしかしてと思ったんだ」
「私たちの魔法を元に、彼女を元に戻してしまうなんて……面白い魔法の使い方をするのね」
「ナターシャさんは、ご無事なのでしょうか?」
「たぶん、気を失ってるだけだと思う……」
答えたのは、ティアナだった。
「早く、街へ戻りましょう。クララも待っているし、ナターシャさんも安静にベッドで寝かせた方がいいだろうし」
細い階段を下り、氷の張った湖を慎重に歩き、元来た道を戻って行く。あと少しで湖を渡りきろうというところで、一行は立ち止った。
トンネルのようにぽっかりと空いた穴が、二つあった。
どちらが来た道なのか、判断がつかない。
「ここ、こんな分かれ道になってたっけ……?」
ティアナが、困惑顔で耕平たちを振り返る。
「湖を凍らせた事で、渡れるようになったのかもしれないわね……。行きはここであなたに駆け寄ったり騒いだりしていたから、後ろなんて見ていなかったわ」
「ああ、誰かさんが溺れるふりをしたところね……」
「迷っていても仕方ない。とりあえず、左の道に進んでみよう。合っていれば、そう進まない内に氷漬けになったゴブリンの軍勢がいるはずだ。間違っていたら、引き返して来ればいい」
耕平の提案で、左の道へと踏み込む。
トンネルはすぐに、行き止まりになっていた。水晶の柱が幾重にも重なり、それ以上先へ進むことはできない。
「なんだ、ただの行き止まりか……」
もう一方の道が正解だったらしい。ならば、引き返すまで。
何ともなしに上へと視線を向け、耕平は目を見開いた。
「え……?」
「何あれ……女の子……?」
同じく上を見上げたティアナが、つぶやいた。
天井までおおう無色透明の群晶。重なり合う柱の一つに、小さな女の子が閉じ込められていた。




