第3話 悪鬼
氷の上に座り込んだまま、耕平はふーっと長く息を吐く。
「コーヘイー!」
ティアナが真っ先に駆け寄ってくる。スケートのように器用に滑りながら駆けてきた彼女は、横滑りになって耕平の正面に止まった。
「大丈夫!? ケガしてない!?」
「大丈夫、当たってないよ」
「一瞬でこんなに広い範囲を凍らせてしまうなんて、さすがは勇者様です」
イリサが、そろりそろりと慎重に歩きながら近寄って来る。
ドスンと言う音に振り返る。少し先で、セレーネが氷の上に倒れ込んでいた。セレーネはうつ伏せになったまま、上目遣いに耕平を見上げる。
「歩けなぁい。コーヘイくん……肩、貸して?」
「本当、抜け目ないわね……」
「違う、違う。今は本当よ。あなた達ほど、足で歩くのに慣れてないんだもの」
セレーネは足をぱたぱたと動かし、耕平へと両手を伸ばす。
「確かに、あなたの事だから、歩けたら滑るふりをして自分からコーヘイに抱きついたりしそうね……」
「仕方ないな……」
耕平は立ち上がる。凍りついた足元は思った以上に滑りやすく、ステンと勢いよく尻餅をつく。
「大丈夫?」
「勇者様……」
「えっ、いや、違うって! ちょっと油断して……」
今度は両手をつき、ゆっくりと身を起こす。両手両足を広げた不自然な姿勢で、耕平は立ち上がった。
……ダメだ。動けない。
何とかバランスをとっているが、少しでも動けばまた転んでしまいそうだ。
足元を土に変えた方が良いだろうか。しかし、氷がなくなれば、またあのタコが暴れ出すかもしれない。
スッと目の前に白い手が差し出された。
ティアナが、少し照れくさそうに笑っていた。
「私も……コーヘイと、手、繋ぎたいなって。……いい?」
「う、うん」
耕平は、ティアナの手を取る。耕平の身体能力と、それに不釣り合いなプライドを察したのは明らかだった。
耕平の手をぎゅっと握り、ティアナはセレーネを振り返る。
「セレーネも! 肩貸してあげるから、せめて自分で立つくらいはしてよね」
耕平の手を引き、セレーネの方まで滑っていく。セレーネに手を貸す前に、ティアナは腰の剣をはずした。
「イリサ!」
はずした剣を、イリサに投げてよこす。イリサはあたふたと受け取った。
「その剣、持っててもらってもいい? 二人引っ張るのには、邪魔になっちゃうから。鞘に入ってるから、地面についちゃってもいいわよ」
「ありがとうございます」
耕平とセレーネはティアナに手を引かれ、イリサは剣を杖代わりに、氷の上を先へと進む。
湖を超え、また水晶におおわれた細い道が現れ、ティアナは手を離した。耕平はふーっとため息をつく。
「湖の上で他の魔物が出て来なくてよかった……」
「この湖は、あの大ダコの陣地なのかもしれないわね。ゴブリンも、あんな大きな相手と事を構えたくないでしょうし」
湖を上がった先の道は、そう奥までは続いていなかった。すぐに、平らな――足元にも水晶がゴロゴロしているが、少なくとも平坦な道は終わり、目の前に細く長い階段が現れた。
「うへぇ……これを登るのか……」
階段の先は、闇の中へと消えている。終わりの見えない道は、なおさら長く感じられた。
思ったほど、階段は長くはなかった。一人しか通れないような細さと、終わりが闇に隠れていたのとで長く見えたらしい。
それでも複数交差した地下鉄の最下層ホームから地上まで階段のみで上がる程度の長さはあり、登りきった頃には耕平、イリサ、セレーネはヘトヘトだった。
(今さらだけど、このメンツ、MP系に偏り過ぎだよな……)
壁に手をつくイリサ、座り込むセレーネを見ながら、耕平は苦笑いする。
「ねえ! ここじゃない? クララさんの言ってた、悪鬼がいるのって」
ティアナが、正面を指さして言った。
道は少し広くなっていて、突き当りには大きな扉があるのが見えた。他に、脇へそれるような道はない。先へ進むには、扉の中へ入るしかないようだ。
「これはまた、何ともベタな……まるで最初からここのラスボスとして設置されていたみたいだな」
「悪鬼が自分で作ったんじゃない? ここに住むために」
「魔物がそんな人間みたいな事をするかあ?」
「するかもしれません。魔物と言うのも私たち人間が勝手にそう呼んでいるだけで、食用にもなる動物タイプから全く異形のもの、あるいは教会で出会った悪魔さんのように知能のある者など、様々ですから」
「そうね……私だって、人によっては魔物と呼ばれる事もあるでしょうし」
イリサの説明に、セレーネが相槌をうつ。耕平は困惑気味に問う。
「魔物って、魔王が生み出した化け物の総称じゃないのか? それだと、世界中の生き物を魔王が作った事にならないか?」
「正確な定義はそうです」
イリサがうなずく。セレーネが後に続けた。
「でも実際のところ、人々を襲う魔物がどのようにして生まれているかなんて、誰にも分らないのよね。自分たちに害のある、人間でない存在は魔物……区別がつかないために、そう呼ぶ人たちもいるって事よ」
「セレーネは魔物なんかじゃないよ。俺たちと同じように心もある、感情もある、一人の女の子だ」
セレーネは目をパチクリさせる。そして、ほんのりと頬を染めて微笑んだ。
「本当……面白い人」
いつもとはまた違う、おっとりとした柔らかい笑みに、耕平の胸が高鳴る。
「と……とにかく、先へ進もうか」
気をとりなすように、耕平は言った。
イリサとセレーネを下がらせ、ティアナと共に扉の前に立つ。
両開きの大きな鉄扉。左の取手を耕平、右の取手をティアナが握る。
「……用意はいいか?」
耕平は後ろの二人を振り返る。
イリサとセレーネは、真剣な顔でうなずく。隣に立つティアナに目を向けると、彼女もキリッとした表情でうなずいた。
「行くぞ……せーのっ」
重い扉を、一気に押し開く。扉はすぐに耕平たちの手を離れ、ひとりでに全開になった。
これまでのひんやりとした道とは一転、むわっとした熱気が部屋の中から流れ出て来る。
壁沿いに、かがり火のように大きな炎が一定間隔で並んでいる。この部屋も元々は水晶におおわれていたようだが、六角柱の結晶はそのほとんどが叩き壊されたように粉々に砕け、足元に散っていた。
部屋の奥に、それはいた。
方から腰にかけて黒い布をまとった、巨大な姿。肌は青く、筋肉隆々としている。頭には角のような小さな隆起が二つあった。
黒い棍棒が前に立つ耕平とティアナへと振り下ろされる。
二人は避けるように、横へと跳ぶ。
「皆全力で、ガンガン行くぞ!」
起き上がりながら、耕平は宙に大量のナイフを出現させる。
「おうっ」
「はいっ!」
「ええ!」
ティアナが先陣を切って悪鬼へと突進する。
目にも留まらぬ速さで太刀を浴びせ、悪鬼の脚や胸に剣撃が閃く。
息をつかせる間もなく、無数のナイフが悪鬼を襲う。
悪鬼は身を守るように、腕で顔をおおう。
ティアナは悪鬼の後方へと着地すると同時に再び跳ね、悪鬼の頭の後ろで剣を振りかぶる。
「ウガアアアアアッ!!」
悪鬼は吠え、腕を広げた。
横に振られた棍棒が空中のティアナに直撃し、彼女を壁まで吹っ飛ばす。
悪鬼の腕や肩に刺さったナイフは振り払われた。
「ティア……ひょわっ!?」
振り払われたナイフが飛んで来て、耕平は右へ左へと避けながら短い悲鳴を上げる。ナイフは、耕平を取り囲むように地面に突き刺さった。
いくら階層が一つ上がったとは言え、これまでのゴブリンや大ダコに比べてこいつだけ強すぎじゃないか?
「勇者様!」
「俺は大丈夫だ! それより、ティアナを!」
「はい!」
イリサは、奥の壁に叩きつけられたティアナへと駆け寄って行く。
当然、間には悪鬼が立つわけで、自分の方へと駆けて来るイリサに向かって棍棒を振りかぶる。
「――セレーネ!」
「わかってるわ」
ぐらりと視界が揺れる。
一瞬の後、イリサは左右反対の壁に沿って走っていた。
悪鬼はそちらへ棍棒を振り下ろす。何の手ごたえもなく、イリサの姿は掻き消える。
セレーネの作り出した幻影だ。
悪鬼を取り囲み、剣を構えるたくさんの耕平とティアナ。
悪鬼は混乱したように唸り声を上げながらたたらを踏む。
「効いてる、効いてるぅ」
セレーネはほくそ笑む。
本物のイリサは、悪鬼が混乱している間にティアナのところまでたどり着き、治癒魔法を施していた。
ティアナ達いるのとは反対の位置に、大人しそうな茶色い三つ編みの少女が現れる。
武器も持たず、戦闘にも向かない襟付きの長いワンピース姿。この場でいかにも弱そうな彼女の幻影。
当然襲い掛かるだろうと思いきや、悪鬼はぴたりと動きを止め彼女を見つめているだけだった。
「グルァア……」
まるでつぶやくように、低い唸り声が漏れる。
耕平は目を見開いた。
――まさか。
「はあああっ」
イリサの魔法によって回復したティアナが、悪鬼の背後から肩に深い一撃を負わせる。悪鬼の、悲鳴のような吠え声が部屋に響く。
一回転して前へと着地したティアナは、またすぐに剣を構える。
「待て、ティアナ! 傷付けちゃダメだ!」
「えっ!?」
ティアナは、驚いたように振り返る。
踏み止まったティアナへと、棍棒が振り上げられる。
「――危ない!」




