第3話 生贄の少女
ひとまず、今夜の寝床を確保しなければならない。
しかし小さな村に宿屋はなく、学校も夜には誰もいなくなってしまうとの事だった。教会ならば力を貸せるかも知れないと聞いた耕平は、村の外れにある小さな教会を訪れた。
教会の前では、二人の男が話し込んでいた。どちらもひょろりと背が高く、やはり黒いローブを着ていた。マントと三角帽子も被っている。男達の横には、一台の馬車。
何かを待っているような男達を横目で見ながら、耕平は重い扉を押し開けた。
「ごめんくださーい……」
弱々しい声が、がらんとした室内にやけに響く。
整然と並ぶ長イスの間に、前へと続く赤い絨毯が敷かれている。
そしてその先に、一人の少女が佇んでいた。
艶やかなオレンジ色のドレスを身にまとい、頭には大きな花と薄いベール。
ポンチョのようなマントが付いていたり、スカートの裾が何枚か重なっているとは言え短く軽そうだったりと、耕平が見た事のあるウエディングドレスとは少し違ったが、花嫁衣装だと言う事は一目で分かった。
ステンドグラスを通して射し込む西日に照らされた彼女は、見惚れるほどにきれいだった。
「……コーヘイ?」
目の前の花嫁は、大きな瞳をパチクリさせる。
「え、あ……もしかして、ティアナ?」
この村で耕平の名前を知るのは、学校の先生と子供達、そしてティアナだけだ。あのクラスにいた子供達にしては大き過ぎるし、髪の色からして先生の方ではない。
(この村を離れるって、結婚するって事だったのかあ……)
少しがっかりしながらも、耕平は笑いかける。
「ごめん、分からなかったよ……結婚するの? それで、学校へお別れに行ってたんだな。おめでとう」
「……何も、めでたくなんかないわよ」
そう答えたティアナの声は、暗く沈んでいた。
「ティアナちゃんの、お知り合いですか?」
奥へと続く扉から出て来たのは、やはり黒いローブを着て、頭には長い布の垂れた帽子をかぶった女性だった。この教会のシスターだろう。
シスターは、厳しい目をティアナに向ける。
「ティアナちゃん。彼は、まさか……」
「えっ、いやっ、違う違う! ただの知り合いよ! さっき、学校でたまたま会ったの。迷子だって言ってたから、ここに泊めてもらいに来たんじゃない?」
耕平が頼むまでもなく、ティアナの口から事情は全て説明されてしまった。
「えーと、まあ、だいたいそんな感じです……」
シスターは胸をなでおろした。
「そう……それならいいわ。こんな時に来るから、てっきりティアナちゃんに恋人がいたのかと」
「私だって分かってるわよ。ヤマガミさまの生贄は、生娘じゃなきゃいけないって。他の子にこの役目を負わせる気はない」
「生贄……?」
穏やかならぬ単語に、耕平は思わず聞き返す。
ティアナはふいと顔をそむけ、口をつぐむ。シスターが答えた。
「……魔王が生み出す、魔物の一種です。この辺りの山にはヤマガミがいて、山を災害や疫病から守っているんです。だけど代わりに、数年から百年前後に一度、生贄を差し出す必要があって……生贄を求められた村は、娘を一人、ヤマガミに寄越さなければなりません。これを拒めば、村が滅ぼされてしまう……」
「な……」
その生贄に選ばれたと言うのか。ティアナが。
「そんな……そんなの、おかしいだろ! 村のために、ティアナが犠牲になるって言うのか? ティアナも、それでいいのか? 学校に行ってたのだって、未練があるんじゃ……」
「見くびらないで。私は逃げる訳じゃない」
ぴしゃりと、ティアナは言い放った。
「覚悟ならもう決まってる。学校に行ったのも、本当にただあいさつしておきたかっただけよ」
ティアナは耕平の横を通り抜け、外へと出て行く。耕平はその後を追った。
ティアナの姿を見て、話し込んでいた男達が振り返る。一人は、馬車の御者台に乗る。
「おお、きれいだねぇ。馬子にも衣装ってやつか」
「おじさん、一言多い!」
ティアナは、笑って言い返す。
……どうして、こんな時に笑っていられるんだ?
ティアナは、軽口を叩いた男性と共に、馬車へと乗ろうとする。
耕平は、馬車の前へと回り込んだ。通せんぼをするように、大きく手を広げる。
「おい」
「は、話し合いましょう。この村、皆魔法使いなんでしょう? 生贄なんて出さなくても、何か対抗手段があるはずです」
今にも耕平を轢きそうな表情で見下ろす御者を、耕平は見上げる。
後ろの座席から、ティアナが降りて来た。耕平はホッと息を吐く。
しかし、安堵したのもつかの間だった。
「そこを退いて、コーヘイ」
「え……。そんな、無理するなよ。何も、ティアナが犠牲になる事なんて……」
ティアナは剣を抜き、その切っ先を耕平へと向けた。
「どうしても止める気なら、力尽くで退かすわ。あなたも、力尽くで止めるのね。その剣、まさか飾りって訳じゃないでしょう?」
「な、なんで、そんな……」
スッとティアナは腰を落とす。そして、耕平へと突進して来た。
剣を抜く暇も、悲鳴を上げる間もなく、耕平は地面にへたり込んでいた。眼前に迫る剣先。その向こうでは、ティアナが冷ややかな目で耕平を見下ろしていた。
「言ったわよね、見くびらないでって。生贄を差し出さなければ、村が滅ぼされちゃう。でも、私は何も、黙って喰われに行くつもりは無い。だからこの役割は、私じゃなきゃダメなの」
ティアナは剣を収め、くるりと背を向ける。
「ごめん、ごめん。さ、行こう」
まるでちょっと遊びに行くかのように、ティアナは話す。
耕平が立ち上がれずにいる内に、馬車は山道を登って行ってしまった。後に残されたのは、ぬかるんだ道に付けられた轍の跡だけ。
「なんで……そんな……」
「外の方が無責任に口を挟まない事です」
シスターが教会から出て来ていた。
「生贄を差し出さなければ、私達全員死んでしまうのです。この村の者ではないあなたには、どうでも良い事かもしれませんが」
冷たく言い放ち、ふいと背を向ける。耕平は立ち上がった。
「俺は……そんなつもりは……。だいたい、ティアナだって大人しく生贄になるつもりはないって。だったら、あんな女の子一人に討伐を任せたりしないで、皆で倒せばいいじゃないか」
「倒せませんよ」
シスターは足を止め、振り返る。
「ヤマガミに剣や弓の類は効きません。こう言っては何ですが、彼女は魔法も使えず、この魔導士村の面汚しでしたから。それが、ようやく村の皆の役に立てるんです。彼女も本望でしょう」
シスターは背を向け、教会へと戻って行く。
「宿をお求めでしたね。大したもてなしはできませんが、旅の方にお力をお貸しするのは、神に仕える者の務めですから。どうぞお入りください」
何事もなかったかのように平然と教会に戻るシスターの背中を、耕平はただただ呆然と見つめていた。