第3話 裏の顔
陽は沈み、夜の帳が町に降りる。
一人の少女が箒を手に、教会の窓から世闇の中へと出て行く。人気のない通りを選び、足音も立てずに夜の町を駆ける。
畑の連なる暗い道に、凛とした声が響いた。
「お掃除には、ちょっと時間が遅すぎるんじゃない?」
ピタリとロゼッタは足を止める。
振り返ったそこには、ティアナが一人で立っていた。
「子供はもう、眠る時間よ。帰りましょう。あなたが今手に持っているそれは、そんな使い方をするものじゃないわ」
ロゼッタは、暗い瞳でティアナを見つめていた。
「……よく分かりましたね、これが剣だって」
箒の柄が二つに分かれる。柄から出てきたのは、細く鋭い刀身。
ロゼッタは腰を落とし、剣を構える。
「剣士には、剣士の匂いが分かるって事でしょうか」
「気付いたのは、私じゃないわ。私に剣士だと言い当てられたあなたは、怯えた表情でソフィアさんを見た……。それは、慣れない相手に話しかけられて救いを求める時の表情じゃなくて、とちって怒られやしないかと怯える時の表情だ……って、どこかの人見知りな勇者さんが言っていたのよ」
ティアナは軽く地面を蹴る。道沿いに植わる枯れ木を足掛かりに高く飛び、くるりと宙で一回転してロゼッタより前へと降り立った。
「悪いけど、この先へは行かせられないわ」
「……どいてください」
ティアナは答えず、その場に佇む。
「……どけぇっ!」
ロゼッタは剣を手に、ティアナへと突進する。
矢のような速さで突き出される剣先。
寸でのところでティアナはわずかに身を動かし、剣をかわす。
突き出された右腕をつかみ、引き寄せる。そして、もう一方の腕でロゼッタを抱き留めた。
「剣は、人の命を奪うためのものじゃないわ。大切なものを守るためのものなの。ねえ、帰ろう? 私と一緒に」
ロゼッタの手から、剣が滑り落ちる。
圧倒的な力の差。
ティアナは、剣を抜いてさえいない。ロゼッタ程度では、敵わないのが明白だった。
「私……私だって、分かってるんです。こんなのダメだって。私だって、人殺しなんてしたくない……! でも、仕事をやり遂げなきゃ、ソフィアに殺されちゃう……! それに、相手は貧しい人たちを苦しめる悪いやつなんです……! 野放しにしていたら、教会に天罰が下ってしまう……!」
叫び、ロゼッタは泣き崩れる。
ティアナは合わせてしゃがみ込み、泣きじゃくる彼女を抱きしめていた。
「大丈夫。きっと、大丈夫……彼ならきっと、全部何とかして見せるから」
坂の上にある、大きなお屋敷。開かれた門の前に、馬車が止まる。
馬車に乗る貴族の男は、怪訝気な顔をする。
「何だ? なぜ、止まる?」
同乗する従者が、窓から身を乗り出した。
「どうした、入らんのか?」
「それが……門の前に、人が倒れていまして」
御者は困惑したように、前方を指差す。
そこには、黒いマントに身を包んだ青い髪の小柄な少女が倒れ伏していた。
「水……どうか、水を……」
掠れた声で言い、イリサは馬車へと手を伸ばす。
「なんだ、ただの物乞いか。構うな。のけないようなら、轢いてしまえ」
「情に訴えれば、売り物をばらまくとでも思ったか。愚かなやつらよ……」
奥に座る貴族も、蔑むような視線を窓の外へと向ける。
そして、顔を青くして叫んだ。
「止まれ! 待て待て、止まれ!! バカ者、あの黒いマントが見えんか! あれは魔導士だ! それも、魔導士村出身の優秀な使い手だぞ!」
馬のいななきが響き、馬車は急停止する。
「すぐに水を持って参れ!」
「ハッ!」
従者はすぐに、コップ一杯の水を持って屋敷から戻って来た。ゆっくりとそれを飲み干し、イリサは背筋を整える。
「ありがとうございます。私は、魔法医のテレサと申します。ぜひとも、助けてくださったお礼をさせてください」
「いやあ、お礼なんて気にしなくていいのになあ!」
「困っている人を助けるのは、当然の事ですものねぇ」
貴族と従者は、白々しくも謙遜するふりをする。
「いやしかし、こんな遅くにこんな可愛い女の子が夜道を歩くのは心配だな。どうだろう、今日のところは我が屋敷に泊まって行っては? ただ、最近害虫の被害がヒドイもので、あちこちガタがきてしまっているがね……」
「見て差し上げましょうか?」
「おお、本当ですか! いやあ、助かるなあ。直しても直しても、工事した端から崩れてしまってねぇ」
貴族はイリサを屋敷へと招く。
イリサは門の所で、ふと背後を振り返った。
高台となるこの場所からは、町全体を見渡すことができる。
レンガ造りの貴族の屋敷よりもずっと小さな、木造の家々。畑が多く、闇に沈む部分も多い。
闇の中にひっそりと浮かび上がる教会の屋根に、イリサは目を留める。
「さすがです、勇者様。あなたの描いたシナリオ通りなのですよ」
「魔導士様? どうかしましたか?」
「いえ、今行きます」
イリサは貴族の後に続き、豪奢な屋敷へと向かった。
「貴族が屋敷に帰り着いた……!?」
暗闇におおわれた聖堂。
神をかたどった石盤の前で手を組み膝をついていたソフィアは、驚愕に目を見開いた。
「ロゼッタめ、しくじりましたね……! せっかく、邪魔者はこちらで監視してあげたと言うのに……!」
「おいおい、邪魔者ってまさか、俺たちの事か? 教え子にヒドイ言いようだな」
聖堂の扉が開く。耕平が、外の松明を背にして立っていた。
「俺達にやけに懐いてくれてた子供達には、ちょっと眠ってもらったよ。大丈夫、二十年間事件が起きる度に打たれてもさっぱり後遺症の残っていない、とあるファンタジー道具をイメージして具現化したから」
「あなたこそ、師への態度とはとても思えませんね」
ソフィアの顔にもはや作り物の微笑みはなく、声も氷のように冷たかった。
「やはり、気付いていたんですね。私達が、貴族を殺害しているという事に」
「……半信半疑だったけどね。憲兵は、凶器を探していた。死因は剣でひと突き。ナイフや包丁とは言わない辺り、剣としか言えない長さなんだろう。畑が多く見通しのきくこの町でそんなものを持ち歩いていたら、目立たないわけがない。でも彼女――ロゼッタなら、持ち歩いていても怪しくない、長い形状のものを持っていた」
「ええ、そうね。教会の子が町中で箒を手にしていても、誰も不審になんて思わないでしょう。さあ、そこをどきなさい。仕事を遂げられなかったダメな子を、お仕置きしに行かなければ」
「……どくと思うか?」
耕平は戸口に立ったまま、ソフィアを睨み据える。
松明の明かりは耕平の身体に遮られ、ソフィアの顔は赤く照らし出されたり影になったりと不気味に明滅していた。
無表情の顔が陰る。
次に照らされた時、その顔には笑みが浮かんでいた。
「……恩を仇で返す気ですか?」
「殺しを認めるわけにはいかない。恩があるからこそ、これ以上その手を血に染めさせたくないんだ」
「仕方ありませんね……」
ソフィアは、袖口から出したタガーナイフを握りしめる。
「どうして! なんで、殺人なんか――」
叫ぶような問いに答えることなく、ソフィアは耕平に斬りかかった。
耕平はとっさに、シールドを思い描く。
宙に現れた目に見えぬ壁と、ソフィアのナイフが拮抗する。
シールドを破るのが不可能と見るや否や、ソフィアはタガーナイフを上へと投げた。
弧を描くようにしてUターンし、耕平めがけて落ちて来るナイフ。耕平は、シールドをそちらへと展開させる。
同時に、ソフィアもまた反対方向から耕平へと迫っていた。




