第3話 穢れと襲撃
狭い路地の多い街は、大グモの巨体であちこちを破壊されていた。クモの通った後には白い粘着性の糸による巣が張られている。
クモの群れに向かって、一本の矢が放たれる。矢は空中で何本にも分離し、一匹一匹を確実に仕留める。
アテネは道の真ん中に佇み、次の矢を弓につがえていた。
「うぅ……痛いよぉ……」
道の端に、うずくまる子供の姿があった。クモにやられたか、崩れた瓦礫に当たったか、子供の足からはおびただしい血が流れていた。
「イリサ、行ってやれ。他にも怪我をしている人達がいるかもしれない。ティアナは、イリサの補助を。俺は、アテネを支援する」
「はい、勇者様」
「りょーかいっ」
イリサは子供へと駆け寄り、その隣にひざまずく。
「ア・ドーウィン・トーィル・メー・ハーリン・ソーラス」
呪文を唱えるイリサの後ろ姿へと、大グモが襲いかかる。
黒い背中に、一本の細い剣が突き立てられた。どさりとクモはその場に崩れ落ちる。
ティアナ剣を払い、倒れたクモの背に乗ったまま次に来ようとしているクモを見据える。
「さあ、来なさい。イリサには、指一本触れさせないわよ」
この二人なら大丈夫だ。耕平は、光の矢をつがえるアテネの元へと駆け寄る。
遠距離攻撃型だから、クモとは距離をとっている。ふと、正面のクモが身体を膨らませた。
「アテネ!」
白い糸がアテネに向かって吹き出される。
糸は、空中に生じた見えない壁にべたっと貼りついただけだった。
「大丈夫か!?」
「はい。ありがとうございます、コーヘイさん」
アテネの矢と耕平の短剣が、群れの上に降り注ぐ。
身の危険を悟ったのか、クモ達は後退を始めた。
アテネが、道の端に座り込む男性へと駆け寄る。この男性も、ケガをしているようだった。
「大丈夫ですか? 今、治し……」
「やめろ、触るな!」
差し出されたアテネの手を払い、彼は後ずさった。
「お前が……お前が、この街に穢れを持ち込んだんだろう。お前のせいで、街はメチャクチャだ!」
「な……っ。そんな言い方……!」
「コーヘイさん」
憤る耕平に対し、アテネの声は静かだった。
「イリサさんに治してもらう事はできますか?」
「あ、ああ。あいつなら、たぶん俺が頼まなくても怪我人見たらすぐ……」
「ゴルァー! 待てー!!」
怒鳴り声と共に、オレンジ色の光が耕平とアテネの横を駆け抜けて行った。
剣を手に大グモの群れへ突進しようとしたティアナは、吐き出された糸に、慌てて後ろへ跳ぶ。
「ティアナ!? いったい……」
「勇者様!」
イリサが、後から駆けてくる。よほど急いだのか、イリサは息も絶え絶えだった。
「た……大変です……! 街の人が、クモさん達に、お持ち帰りされてしまって……!」
「な……っ!?」
クモの群れは、もう通りにはいない。耕平は、慌てて後を追った。
クモは、すでにほとんどが街の外まで出て行っていた。最後のクモが、街を取り囲む高い塀をカサカサと乗り越えて行く。後に続いて、ティアナが地面を蹴り高く飛び上がる。
塀を乗り越えようとしたティアナを、白い糸が襲った。宙にいるティアナは避ける術もなく、糸を全身に受け、塀の向こうに落ちる。
「ティアナ!」
地面を柱のようにせり上げて、耕平も塀を乗り越える。塀の高さを超えた途端、糸の攻撃があったが、ついさっき目の前で見たのだから想定内だ。シールドを展開して糸を防ぎ、ティアナを糸で包もうとしているクモを短剣で貫く。
他のクモ達は荒野を超え、廃墟の街へと向かっている。黒い群れの背中に乗せられるようにして、白い繭のような丸い塊がいくつか運ばれていた。
耕平は、再びティアナの糸を水で洗い流した。
「大丈夫か?」
ティアナはすぐさま剣を拾い、立ち上がる。
「皆を助けなきゃ!」
「待て、一人で先走るな。ミイラ取りがミイラになったら元も子もないだろ。今から後を追っても、高い廃墟で見通しの悪い街の中で見失うのが落ちだ。最悪、囲まれて俺たちまでエサになるかもしれない」
「でも、それじゃあどうするの!?」
「私、あの魔物達が巣にしている場所を知っています」
アテネだった。門の方から出て来たらしい。イリサも、一緒にいた。
アテネはキリッとした表情で耕平達一人一人を見据え、そして頭を下げた。
「危険がないとは決してお約束できません。でも、どうかお願いします。皆さんの力を、私に貸してください……!」
「あんな事を言われたのに、それでも助けたいんだな?」
「街の人達が私の事をどう思っているかは、関係ありません。私は、この街で唯一のエルフです。自分達に理解し得ないものに恐怖心や嫌悪感を抱くのは、人として普通の感情ですから」
「……そっか」
耕平はうつむきがちにつぶやく。
「コーヘイ……? まさか、見捨てるなんて言わないよね?」
「言わないよ。目の前で人が連れ去られたのにそれを放置するなんて、こっちも寝覚めが悪いからな。……でも、アテネ。一つだけ条件をつけてもいいか?」
「条件……? 私にできる事でしたら、何なりと」
「人間と、歩み寄って欲しいんだ」
アテネは、明るい緑色の目を瞬かせる。そして、苦笑した。
「歩み寄るって……私は彼らを避けてなんかいませんよ? 現に、コーヘイさん達ともこうして……」
「俺達みたいな旅人じゃなくて、街の人達とだよ。確かにアテネは、人を嫌ってはいないんだと思う。でも……受け入れられる事を、あきらめてる」
アテネは黙りこくる。
嫌われているからと、街の端に住んで。
身を隠すように、家の周りに木を植えて。
古代文明の調査だけに打ち込んで、自ら関わりを絶つ。
自分を受け入れない人々を恨みはしない。でも、受け入れてもらおうともしない。
耕平はうつむいたまま、アテネの目を見ようとはしなかった。見られなかった。
「酷な事を言っているかもしれない。三百年の間に何があったのかもさっぱり知らないくせに、無神経かもしれない。でも、嫌なんだ。周りと違えば受け入れられなくて当たり前だなんて、そんな考え方……せめてこの世界は、希望に満ちていて欲しいから……」
耕平は、ギュッと両の拳を握る。
――これは、俺のエゴだ。
「いいですよ」
歌うようななめらかな声が答えた。
耕平は顔を上げる。目の前のエルフは、微笑んでいた。
「有限の命の者達を、危険に巻き込もうとしているんです。その程度の事でしたら、喜んで受け入れましょう」
「……ごめん」
「どうして謝るんですか? コーヘイさんは、私のためを思っておっしゃっているのでしょう? 私も、こう見えて三百年生きているんです。もちろん、おっしゃる通り色々ありましたが、その分たくましくもなりましたよ。
それに、歩み寄るよう言いながら『ごめん』なんて、まるで失敗が決まっているかのような言い方、なさらないでください」
「でも……」
「それじゃ、条件を飲む条件です」
そう言って、アテネは口元に人差し指を当て、いたずらっぽく微笑んだ。
「もしも私が傷付くような事があったらその時は、コーヘイさんの胸で泣かせてください」
「んなぁっ!?」
声を上げたのは、耕平ではなくティアナだった。真っ赤になって口をパクパクさせている。
耕平は思わず笑みをこぼし、うなずいた。
「うん、分かった。ありがとう、アテネ」
「お礼を言うのはこちらの方ですよ」
ドン、とイリサが耕平の胸に飛び込むかのごとく抱きついた。
「もしエルフさんが皆さんと上手くいかなかったら、私も、泣いてしまうかもしれません……」
「えっ、ええ!?」
イリサはじっと耕平を見上げている。
白い頬には、赤みが差していた。小柄なイリサだが、決して幼い訳ではない。年も、恐らく耕平やティアナと変わらないだろう。わずかに開いた小さな唇も、こうして見るとなかなか色っぽく感じられ――
「コ、コーヘイ!」
ティアナが上ずった声で叫んだ。
「あ、ああ、あ、あのっ、わた、私も……っ」
ドォンと低い震動が、ティアナの言葉を遮った。
音は、廃墟の街の方からだった。見れば、空高くそびえる建物の一つがガラガラと崩れ落ちて行っていた。
「何が起こったんだ……!?」
「たまにあるんです。どの建物も、すごく古くて朽ちてしまっているから。あの魔物達も、丁寧に扱うなんて事するはずがありませんし」
「……急いだ方がよさそうだな」
ティアナは、仲間たちを振り返る。
イリサはもう耕平から離れていた。ティアナ、イリサ、アテネの三人は、真剣な表情で耕平を見つめ返す。
耕平は戦いにあまり使っていない剣を抜くと、廃墟の街の中心、空高くそびえる細長い幾本ものシルエットへと突きつけた。
「行くぞ! 大グモからの奪還作戦、開始だ!」




