第3話 大切な幼馴染
ぐんぐんと地面が近づいて来る。
雨で地面はある程度柔らかくなっているかもしれない。それでも、その程度ではケガは免れないだろう。
「く……っ、間に合え……!」
思い描くのは、大きなエアマット。跳び箱の授業で、苦手な子向けのコース、あるいは上級者が倒立だの前転だの、耕平からしてみれば飛んでもない技を練習する場合に、クッションとしてお馴染みのアレ。
ボフッとマットに身体が大きく沈む。
耕平とヴェロニカを受け止め、エアマットは消え去った。
葉が重なり合っているせいか、地面は思ったほど濡れていなかった。同時に柔らかくもなかったから、エアマットを出したのは正解だったようだ。
「大丈夫? ヴェロ……いっ」
立ち上がろうとして、耕平はぐらりと傾く。
落ちて来る途中で、どこかに引っかけたらしい。右足の、ちょうどブーツとひざ当ての間の部分に血がにじんでいた。
「ケガですの?」
ヴェロニカは耕平の前に屈み込むと、胸元のリボンをするりと解いた。
「え、ちょっ……」
留め具を失った胸元がわずかにはだけて、耕平は視線をそらす。
ヴェロニカは気にする様子もなく、耕平のズボンをめくると、リボンを包帯代わりにテキパキと応急処置を施した。
「手馴れてるね……」
「会うたびにケガばかりするドジな幼馴染がいますもの」
ヴェロニカはツンとしたすまし顔で答える。その様子が微笑ましくて、思わず笑いが漏れる。
「な、なんですの? 何がおかしいんですの?」
「いや、ごめんごめん……ヴェロニカってさ、何だかんだ言いながら、ティアナの事、大好きだよな」
「な……なな、何を言い出しますの!? 私は、別に……!」
「だって、ティアナの村の悪口を言うのだって、ティアナに対する村の処遇が許せないからだろ?」
ティアナの村に対する悪口。魔導士ならばティアナの隣に立つ事を認めないと言う言葉。恐らく、耕平を村の者だとでも思ったのだろう。
ヴェロニカはうつむく。そして、つぶやくように言った。
「……ティアナの剣の腕前は、確かですわ。でもあの村は、それを認めない。いえ、腕前自体は認めているのでしょう。でも、そこに価値を見出そうとしない。
魔法を使えなければ、他の何ができようとも、落ちこぼれとして蔑まれる……私は、ティアナの才能をつぶすあの村が大嫌いでした。それを甘んじて受け入れるティアナも、許せなかった。あんな村、とっとと捨ててしまえばいいのに。
ティアナが村を出たら、我が家に呼び寄せようと心に決めていましたわ。そうして共に剣を学ぶ事を、ずっと夢見ていましたの」
ヴェロニカの声が震える。ぽたりと地面に落ちたしずくは、雨のものではなかった。
「でも……私が何度言っても、ティアナを怒らせてしまうばかり……! ごめんなさい、シバタコーヘイ。私は、あなたが羨ましかったのですわ……! 悔しかったのです、私がずっと叶えられずにいた事を、ぽっと出の男に横取りされて……!」
ヴェロニカは両手で顔を覆う。手と頬の隙間から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれていた。
「私、きっとあの子に嫌われていますわ……あなたをこんな目に遭わせて、なおさら嫌われたに違いありませんわ……!」
「え……なんで、俺?」
「あきれた殿方ですのね。気付いていませんの?」
ヴェロニカは涙を流しながらも、キッと耕平をにらみ辛辣に言い放つ。
「よく分からないけど……でも、ティアナはヴェロニカを嫌ってなんかいないよ。それは確かだ」
「それは、喧嘩を売っていますの? 私の方が、あの子との付き合いは長いんです。私よりあの子を理解しているかのような事、言わないでくださいまし」
「別に、そんなつもりはないよ。付き合いによる勘じゃなくて、論理的に考えた推測――それなら、納得してくれるか?」
ヴェロニカは少し笑う。
「猪突猛進なあの子の心を、理屈で考えられると言いますの?」
「ああ。と言っても、簡単な話だけどな。この話をすると、ヴェロニカはまた村を憎みそうだけど……ティアナはあの村の人たちに、ヤマガミの生贄として差し出されたんだ」
「え……」
ヴェロニカは一瞬、絶句する。そして、耕平の胸倉をつかみ揺すった。
「ど、どういう事ですの!? ヤマガミって、幻霊属性で剣での通常攻撃は効かないじゃありませんの! 魔法を使えないティアナを向かわせるなんて、死にに行かせるようなもの……!」
ハタ、と気付いたようにヴェロニカは揺する手を止める。愕然とした表情で耕平を見つめていた。
「まさか……そう言う事ですの……? あの村の人達は、ティアナを殺すつもりで……?」
耕平は、ゆっくりとうなずく。
ヴェロニカは耕平を開放し、呆然としていた。
「そんな……あんまりですわ……。ティアナは、あの村を愛していましたのよ……私が騎士の街へ来ないかと誘っても、いつも断って……馬鹿にされてばかりなのに、いつもニコニコと笑って……」
「……そんな事があってもまだ、ティアナは村を好きなんだよ。大好きだって、言い切ったんだ」
「え……」
ヴェロニカは目を丸くする。
「あ、あの子は、バカですの!? 自分を殺そうとした村を、それでも好きだなんて……!」
「俺も、さすがに驚いたよ。あいつは、恨んだり嫌ったりする事がないんだ」
「あ……」
ヴェロニカは、耕平の言わんとするところに気付いたらしい。耕平は、彼女に笑いかける。
「そんなやつだからさ、ヴェロニカの事も嫌ってなんかいないんじゃないかな。自分を殺そうとした村さえ、ショックは受けても恨んだりしない。スリに合った相手でも、疑いながらも本気で心配する。何かを憎むって事がない。あいつは、そう言う奴なんだ」
「ヴェロニカー! コーヘイー!」
聞こえて来た声に、二人は辺りを見回す。
崖を迂回したティアナが、こちらへ駆けて来ていた。距離を離されながらも、イリサや、ヴェロニカの従者達が後に続いている。
ぬかるみもものともせず、ティアナは耕平達へと駆け寄り、ヴェロニカに抱きついた。
「きゃあ!? な、何ですの!?」
「何はこっちのセリフよ! ヴェロニカがいないって聞いて、本当に心配したんだから!」
ヴェロニカは碧い目を瞬かせる。
耕平の言う通りだった。ティアナは、ヴェロニカを嫌ってなんかいない。
「ごめんなさい」
珍しく素直に謝るヴェロニカに、今度はティアナが目をパチクリさせる。
イリサ達も遅れて耕平達の所へとたどり着いた。
「お嬢様! お怪我はありませんか?」
「私は平気ですわよ。彼が足をケガしていますわ」
イリサが、耕平の足のかたわらに膝をつく。彼女の魔法で、耕平の傷は跡形もなく治った。
「ありがとう、イリサ」
「シバタコーヘイ」
雨はいつしか止んでいた。立ち上がった耕平の前に、ヴェロニカが腰に手を当て仁王立ちになる。キョトンとする耕平に、ヴェロニカは視線をそらしながら言った。
「あなたの事……認めてさしあげても、よろしくってよ」
「ヴェロニカの方が負けたくせに……」
ティアナがぽそりとつぶやく。
「決闘の話ではありませんわ! 本当、あなたは、おバカですのね」
「バっ……!? バカって言う方がバカなんだから!」
「ティアナにだけは、バカなんて言われたくありませんわー!」
またしても、子供のような言い合いが始まる。
「ありがとな、ヴェロニカ」
耕平の言葉に、ヴェロニカは真っ赤になって口を閉ざす。
認めるとは、剣の腕前ではなくティアナとの旅の事だと、耕平には解っていた。
「ふ、ふん! 十分に感謝するがいいですわ」
「コーヘイ」
あたふたと答えるヴェロニカ。ティアナが、至極まじめな表情で割って入った。
「な、何だよ?」
まさか、可愛らしく嫉妬でもしたのか……と思ったが、ティアナの口から出て来たのは訳のわからない話だった。
「ヴェロニカじゃなくて、ブンブンよ」
「何を広めようとしてますの!?」
間髪入れず、ヴェロニカがツッコミを入れる。
「まだ引っ張る気ですの!? それなら、オレンジ色を着ているあなたは蜂蜜ですわね! 食べますわよ!」
「やー! ちょっ、やめてー!」
ティアナとヴェロニカは、きゃあきゃあと騒ぐ。
やはり、何だかんだ言って仲は良いようだ。
「それじゃ、またね。ヴェロニカ」
「お世話になりました」
翌朝、耕平達は宿を出た。
ヴェロニカ達は、この町にもう一泊するらしい。耕平達があいさつをしに行くと、町の入口まで見送りに来てくれた。
ティアナはヴェロニカに手を振り、イリサはぺこりとお辞儀をする。
「忙しない方々ですのね。もう少しゆっくりして行ってもいいではありませんの」
「コーヘイは、魔王を倒すって使命を背負った勇者だもの。グズグズしている時間なんてないのよ」
ティアナは少し得意げに言う。ヴェロニカは首をかしげた。
「勇者? 決闘の経験もなかった方が?」
「ゆ、勇者にも色々いるんだよ。俺は、平和をこよなく愛するタイプなんだ」
耕平は慌てて言いつくろう。
ヴェロニカは少し寂しげな顔でうつむいていたが、不意に顔を上げて声高らかに宣言した。
「やっぱり、私も一緒に行きますわ! あなた達の旅に、ご一緒させてくださいまし!」
「え!? ヴェロニカも来るの?」
「俺はまあ、かまわないけど……」
ヴェロニカの表情がぱあっと明るくなる。
「では――」
「いけません、お嬢様」
きっぱりと言い放つ声は、一緒に来ていたヴェロニカの執事のものだった。一片の相談の余地もないと言うような厳格な表情をしていた。
「お嬢様は、騎士の街の領主となるお方です。いずれ主となるべく、今はご勉学に勤しんでいただかねば」
「うぅ……セバスのケチ……」
耕平はティアナに問う。
「セバスって?」
「執事さんのお名前。セバスチャンさんって言うの」
なるほど、覚えやすい名前だ。
耕平は、うなだれるヴェロニカに手を差し出した。
「きっとまた会えるよ。その時は、また手合せをお願いしてもいいかな。それまでには俺も、もっと剣で戦えるようになるから」
ヴェロニカは耕平を見上げる。そして、フッと笑った。
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ。ガンガン魔法を使っていただいてよろしくてよ。私も、剣と魔法、双方の腕をもっと磨きますから」
耕平とヴェロニカは、固く握手する。ティアナやイリサとの旅で慣れたのか、戦友としての握手だと肝に銘じているからか、挙動不審にはならずに済んだ。
「それじゃあ、また!」
手を振り、耕平達は歩き出す。次の街、次の出会いを求めて。
教室の隅で人を避けるようにして自分の世界に閉じこもっていた少年は、もうここにはいなかった。
この世界に来て、柴田耕平は変わった。この異世界は、希望に満ちた場所だ。
――そう、思っていた。




