第2話 決闘
山の天気は変わりやすい。
町を訪れた時に晴れ渡っていた空には厚い雲が垂れ込め、ゴロゴロと低く雷鳴を響かせていた。
教会の前の広場には、再び人が集まっていた。
人々の輪の中央に立つのは、耕平とヴェロニカ。二人は、淡い虹色に輝く半透明の半球の中にいた。
「これは……」
「大会でも使われていた、保護結界ですわ。この中でしたら、どんなに痛みがあっても死ぬ事はありません。また、放った攻撃がはずれても、結界の外を傷つける事はありませんわ」
「なるほど。お約束ってやつだな」
「はい?」
「いや、何でもない。ルールは? 俺、決闘なんてした事ないんだ。簡単なルールだと助かるんだけど」
「では、一番シンプルにいきましょう。開始は、ティアナの投げるコインが落ちた瞬間。『何でもありの真剣勝負』――それで、よろしくて?」
「オーケー」
耕平は剣を抜き、腰の横で後ろに引き絞るようにして構える。
「……ティアナと同じ構えですわね」
「ああ。彼女の剣を見慣れているんでね」
ティアナと旅をするようになって、何度も彼女が戦う姿を目にして来た。耕平に、ティアナのような運動神経はない――だが、それはこの際、いったん忘れる。頭の中で、ティアナが戦う姿を自分自身に置き換える。
要はただの、見よう見まね。でも、耕平のイメージには魔力が宿る。多少動けるようにはなるはずだ。
『信じろ、そして思い描け』
耕平を力に目覚めさせたあの男も、そう言っていた。耕平が思い描けば、それは現実になるのだと。
コインが宙に放られる。
ヴェロニカはあきれたようにため息を吐いていた。
「あなたの剣は、セイバー……まさか彼女と全く同じ戦い方をしようなんて、考えていませんわよね?」
「へ?」
チャリンと軽い音を立て、コインが石畳の上に落下した。
耕平は地を蹴り、まっすぐにヴェロニカへと突進して行く。
やはりイメージによる力は機能しているのか、いつもより身体は軽く感じられた。少なくとも、今なら五十メートル十秒台という事はないだろう。
いくら死なないと言われても、やはり自分より小柄な女の子を傷つけるのは気が引ける。
剣を弾き飛ばそうと、手元を狙う。ヴェロニカは動かない。
やれる。そう思った時、彼女は剣を握るのとは反対側の手をかざした。
その手のひらに描かれているのは、魔法陣。
「な……っ!?」
「ア・ドーウィン・トーィル・メー・アナム・アーハ」
ガァンと激しい金属音が鳴る。
耕平の剣先は、ヴェロニカの掌に当たったままそれ以上先へは動かなかった。それはまるで、掌ではなく硬い盾にでも遮られたかのような感覚。
「く……っ」
「アナム・クロッホ」
ヴェロニカが囁くように言うと同時に、固い剣撃が耕平を襲った。叩きつけられたように、耕平は結界の端まで吹っ飛ばされる。
結界が内部に抑えるのは人も含むらしく、耕平は結界の壁に強く背中を打ち付けて地面に落ちた。
「い……っ」
「拍子抜けですわ。本当に軟弱な方でしたのね。これでは、私が弱者をいじめているみたいで気分が悪いですわ」
「魔法を使うなんて、反則だろ……!」
よろよろと立ち上がりながら、耕平は抗議の声を上げる。ヴェロニカはしれっとした様子で言った。
「最初に申し上げたはずですわよ。『何でもあり』って。剣の決闘に魔法を織り交ぜるのは、何も珍しい事ではありません。想定なさっていなかったのなら、それはあなたの知識と判断力が不足していましてよ」
「クソ……っ」
耕平は剣を握りしめ、再びヴェロニカへと突進する。
「学習しませんのね」
耕平を迎え撃とうと、ヴェロニカは手をかかげる。
ティアナの攻撃スタイルは、ワンパターンだ。正面突撃からの、刺突。速さとパワーで、押し切るスタイル。
ぐんぐんとヴェロニカの姿が近づいて来る。
目前まで迫り、耕平は手首をわずかに動かした。地面に対して水平だった刀身の先が、下へと傾く。ヴェロニカも気付いたらしく、涼しげだったその表情が険しいものへと変わる。
ズバっと耕平は剣を下から上へ振り上げた。ヴェロニカはとっさに身を引き、剣を振るう。耕平は姿勢を低くし、それを避けた。
耕平の剣も全く当たらなかったが、想定内だ。彼女に隙ができれば、それでいい。
ヴェロニカが態勢を立て直す前に、横へと回り込む。剣は向かって右へと振り下ろされた状態。左はノーガードだ。
耕平は振り上げた状態の剣を、ヴェロニカに向かって振り下ろす。
傷つけたくないだの何だの言って勝てる相手ではないと言う事は、もう十分に分かっていた。
「アナム・クロッホ!」
ヴェロニカは、剣をまっすぐに耕平の方へと引く。
硬化された柄の先が、耕平の腹にクリーンヒットした。その強い衝撃に、耕平は剣を取り落し、尻餅をつく。
「先ほどの言葉、訂正して差し上げますわ。人並み程度には頭が回りますのね。でも、身体が全く追いついていない」
形勢逆転。ヴェロニカは大きく剣を振りかぶる。
「もう、終わりにしましょう」
白い刀身が振り下ろされる。
ガキンと言う金属音が、広場に響いた。
耕平は、剣を握りしめていた。思い描く事によって創り出した、新たなる剣。
何の兆候もなしに現れたその剣に、ヴェロニカは目を丸くする。しかしすぐに、厳しい顔つきになった。
「あなた……魔導士でしたのね……」
「俺的には、剣の方がかっこよくて憧れるんだけどね」
「……魔導士ならば、なおさら、あの子の隣にいる事を認める訳にはいきませんわ!」
――ああ、なるほど。
耕平は合点がいった。
ヴェロニカの剣を押し返し、立ち上がる。
「彼女がどこにいるかは、彼女自身が決める事だ」
「あの子が、あなたを選んだと言いますの!?」
ヴェロニカの剣が繰り出される。見えない壁に、剣は当たりせめぎ合う。
耕平はもう、自重しなかった。魔法もありだと言うならば、耕平が持ち得る全ての力で対峙しよう。
彼女は本気だ。ならば、耕平も本気で答えなくては失礼に値する。
突風がヴェロニカを吹き飛ばす。
そして、砂嵐を巻き起こす。複数の短剣が砂嵐の中に現れ、ヴェロニカへと一斉投擲される。ヴェロニカは素早い動作で、全ての短剣を弾く。
ヴェロニカが最後の短剣を弾き、剣を振り下ろしたそのタイミングで、ひんやりとした剣先がヴェロニカの首筋に当てられた。
砂嵐が晴れる。耕平はヴェロニカの後ろに回り込み、彼女の首筋に剣を当てていた。
勝負あり。
「後ろから襲うなんて卑怯だとか言うなよ? 先に『何でもあり』って言って魔法を使ったのは、そっちだからな」
「言いませんわ……」
ヴェロニカは観念したように剣を下ろし、膝をつく。二人を取り囲んでいた半透明色の結界が消え去った。
「勝者、勇者コーヘイ!」
ワッと場がわく。
ティアナとイリサが、耕平の元へと駆けて来た。
「すごい、コーヘイ! ヴェロニカにも勝っちゃうなんて!」
「さすがです、勇者様」
「いや、魔法もありのルールだったから勝てただけだよ。剣オンリーだったら、やっぱりティアナが思っていた通りボロ負けだったろうな」
耕平は、うつむくヴェロニカへと手を差し出す。
「立てるか?」
パシッと耕平の手は払われた。
ヴェロニカはふいと顔を背け、走り出す。
「ヴェロニカ!」
「アナム・アーハ」
走りながら、ヴェロニカは後ろに手を突き出す。後を追おうとしたティアナは、見えない盾に阻まれ足止めを余儀なくされる。
ぽつぽつと雨が降り出す。
ヴェロニカは人垣の向こうへと駆け去り、見えなくなってしまった。
降り出した雨は次第に強くなっていった。
ティアナは枕をクッションのように抱きしめ、部屋の窓を眺めている。
イリサは行書体も真っ青な字体で書かれた本を読みふけっている。魔導書か何かだろうか。
今回の宿は二部屋取れたと言うのに、ティアナもイリサも耕平の部屋に来ていた。
ぽつりとティアナがつぶやく。
「ヴェロニカ、大丈夫かなあ……」
「幼馴染みだって言ってたな。いつもあんな感じなのか?」
ティアナの前に温かいココアの入ったマグカップを置きながら、耕平は問う。
「イリサも、ここ置いておくぞ」
「ありがとうございます、勇者様」
イリサは本を閉じると、マグカップに口をつける。
「……熱っ」
小さく声を上げると、ふー、ふー、と念入りに吹き冷ます。
「……小さい頃にね、魔法が使えなくて剣は得意な私を、先生が騎士の街へつれて行ってくれたの。騎士の街では、剣術も魔法も平等に教えていて……そこで出会ったのが、ヴェロニカだった」
ぽつり、ぽつりと、ティアナは話す。
耕平もイリサも、黙って彼女の話を聞いていた。
「それから何度か、互いに行き来するようになって……この剣も、ヴェロニカにもらったの。『剣士たる者、自分の剣くらい持つべきですわ』って」
ヴェロニカのツンと澄ました話し方をマネて、ティアナは小さく笑う。
「うちの村に剣を売ってる店や鍛冶屋が無いって知って、ビックリしてたなあ。小さい頃から喧嘩ばかりだけど、別に悪い子じゃないのよ。……なんで、村の事はあんな悪口ばかり言うんだろ。私は、あの村、大好きなのに」
「ティアナ……」
コンコンと部屋の戸を叩く音がして、三人は振り返った。
耕平は席を立ち、扉を開ける。戸口に立っていたのは、ひょろりと長い黒髭を生やしたモノクルの男だった。
小皺はあるが、老けた印象はない。背丈は耕平より高く、黒い髪は肩まで伸びている。
「夜分に失礼します。お嬢様がこちらへいらっしゃっていないでしょうか?」
「お嬢様って……」
「あーっ、執事さん?」
部屋の中にいたティアナが声を上げ、戸口まで駆け寄った。
「ヴェロニカの家の執事さんよ」
耕平に説明して、彼を見上げる。
「どうしたんですか?」
「お嬢様が、まだ帰っていらっしゃらないんです。ティアナ様もこの町におられると伺ったので、こちらへ遊びに来ているのではないかと思ったのですが……」
「ヴェロニカが……いなくなった……?」
ハシバミ色の瞳が、大きく見開かれる。
耕平は、椅子にかけてあったマントを手に取りバサリと羽織る。
「俺達も探します。ティアナ、イリサ、行こう」
「ハイ、勇者様」
「ありがとうございます」
執事の後に続き、イリサは部屋を出て行く。蒼白な顔で戸口に佇むティアナの肩に、耕平はポンと手を置いた。
「大丈夫。あんな事があった後だ。自発的に一人でうろついてるだけだろう。イリサの時とは違う」
「……うん」
ティアナはこくんとうなずく。
耕平とティアナも、執事とイリサの後を追い外へと出て行った。
「ヴェロニカー!」
「お嬢様ー!」
叫ぶ声は、雨音にかき消されていく。
耕平達はヴェロニカを探し、町外れの森沿いまで来ていた。頭は雨に濡れ、ぐしょぐしょだ。
傘やカッパがないと知って魔法で作り出そうかとも思ったが、ここまで濡れるともう気にならなかった。全員分用意して使い方を説明してやれるような状況でもない。
イリサは帽子をかぶっているし、ティアナもマントに頭巾が付いていたが、どちらも顔は濡れ前髪が貼り付いていた。服も透けこそはしないものの、普段よりも身体のラインが目立つ。
(これはこれで、なかなか……)
不意に、川の向こう岸にいるティアナが振り返った。
耕平はギョッと肩をすくめる。まさか、耕平から邪な気配でも察知したのか。
彼女が見たのは、耕平ではなかった。
「いた!」
ティアナは耕平の背後を指し叫ぶ。
「えっ、どこ?」
耕平は水滴だらけになってしまったメガネをマントの裏地で拭き、かけ直す。
森の方へと駆けて行くヴェロニカの姿があった。
「待って!」
耕平は後を追い、走り出す。彼女に一番近い位置にいるのは耕平だ。
ヴェロニカは決闘での強さのわりに、走るのはあまり速くなかった。ヒールの高い靴を履いているせいもあってか、何度もぬかるみに足を取られている。これなら、耕平でも追いつけそうだ。
そう思ったその時、ヴェロニカの身体がガクンと下がった。
崖だ。
この雨と木々とで、気付けなかったらしい。
「きゃ……」
「危な――」
耕平は手を伸ばし、ヴェロニカの腕をつかむ。
しかし、ぬかるんだ足元。その場に踏み止まる事はできず、耕平はヴェロニカもろとも崖下へと落ちていった。




