第1話 騎士の街の少女
緑深まる森の中、毒々しい赤色の巨体があった。姿は、まるでサソリのよう。しかしその全長は、二メートルはありそうだ。
サソリ型の魔物は、尾の先にある毒針をティアナへと振り下ろす。ティアナは軽いステップでそれを避け、その固い身体に剣を突き刺す。
サソリは暴れ、尾をメチャクチャに振るう。
ティアナは剣をサソリの身体から抜き、舞うように毒針を避ける。
大きなハサミが空中に現れた。耕平が幼い頃から慣れ親しんでいる、一般的な工作ハサミだ。
ハサミはジャキンとサソリの尾を切り落とす。
「コーヘイ、ナイス!」
ティアナは「待ってました」とばかりに態勢を立て直すと、サソリの頭を剣で切り落とした。サソリは頭がなくなってもしばらくジタバタしていたが、やがて動かなくなった。
耕平は、息切れしながらもティアナへと駆け寄って行く。
「何も、逃げる魔物を追い駆けてまで倒さなくてもいいだろ……! しかも相手は毒を持ってるのに、一人で正面突撃して、刺されたらどうする気だよ……!」
「当たらなければ、どうと言う事はない!」
ティアナは某大佐を彷彿とさせるような事を言って、得意げに胸を張る。事実、ざっと見たところティアナはどこにも傷を負ってないようだった。
「だって、エビよ、エビ! 美味しそうじゃない。リナ達を送るついでに家で休んでから、もう一週間もまともな食事をとってないのよ? 持って来たパンばかりで。そろそろ何か他のものが欲しいじゃない。お金だけあっても、町に着かなきゃお店もないし」
「いや……色はそうだけど、これ、エビじゃなくてサソリだと思うぞ……」
「えっ、ウソ!? サソリってどんな味?」
「さあ……食用もあるって、話になら聞いた事はあるけど……」
正直、耕平は遠慮したい。
「勇者様、お怪我を……」
耕平のさらに後から走って来ていたイリサが追いつき、耕平の手を取る。手の平の皮が擦れたように剥け、血がにじんでいた。
「あ、ああ、さっき転んだから……」
「ア・ドーウィン・トーィル・メー・ハーリン・ソーラス」
イリサは耕平の手を両手で包み込み、唱える。青い光がぽうっと灯り、消える。イリサが手を放せば、耕平の傷も消えていた。
「ありがとう、イリサ」
言いながら、耕平はサソリを避けるべく、イリサと共に街道の方へと戻る。
ティアナも、口を尖らせながら、耕平とイリサの後へついてきた。
「せーっかく、パン以外のものが食べられると思ったのにーっ」
「わざわざあんな魔物を食べなくても、その望みはすぐ叶いそうだぞ」
耕平は言って、道の先を指さした。
前回の街とは違って、塀も低く立派な門もない。入口に、扉のない高いアーチがあるだけだ。アーチの向こうに見える通りには、小ぢんまりとした可愛らしい装飾の家々が立ち並んでいる。
それは、次の町に他ならなかった。
「やったーっ! 私、シチュー食べたい!」
ティアナは飛び跳ね、軽やかな足取りでアーチをくぐって行く。あれだけ走って戦って、よくもこんなに体力があるものだ。
耕平とイリサもティアナの後を追うようにして、小さな町へと入って行った。
広い通りを、両端に並ぶ店を物色しながら歩く。
森の中にあるだけあって、旅人の立ち寄りも少なくないのだろう。剣や弓、薬にマントなど、旅をする者達に向けた商品を扱う店が多い。
武器屋と思しき店のショーウィンドウに飾られた大剣に耕平は強く心を惹かれたが、何とか購入を踏みとどまった。耕平のメイン能力は魔法だ。立派な剣を持っても、宝の持ち腐れになってしまう可能性が高い。
「ティアナは、新しい剣とか欲しくないか? 剣って、使い続けていると錆とか刃こぼれとかあるんだろ?」
「大丈夫よ。この剣、そんなヤワじゃないから」
そう言って、ティアナは腰に下げた細い剣を抜く。陽の光を浴びて白く輝く刀身には、確かに一片の錆も曇りも見られなかった。
「おおっ。お嬢さん、なかなか良い剣を持ってるね」
下げ看板を手に店から出て来た店員が、ティアナの剣に目を留めて言った。
「お嬢さんは、もしかして騎士の街の人かな?」
「いえ、私は違います。これは、友達にもらった物で……」
「あれ、閉店するんですか?」
店員の手にある下げ看板に「CLOSE」の文字があるのを見て、耕平は問う。
「いやあ、今日はもう誰も来ないと思っていたもんでね。剣士は皆、広場の大会を見に行ってしまって」
「大会?」
店員はうなずく。
「教会の前にある広場で、剣技の大会をやっているんだよ。騎士の街から来た参加者が、見事な腕っぷしらしくてねぇ」
道行く人々は、皆、どこか同じ場所へ向かっているようだった。彼らは、広場の方へと向かっていたようだ。
「剣の大会……ね、ね、私達も見に行こうよ」
ティアナはわくわく顔で耕平とイリサを振り返る。
「いいけど、飯は?」
「パン以外のものが食べたかったってだけで、まだそんなにお腹空いてないし、大丈夫! あ、それとも二人、お腹空いた?」
「いや、別に平気だけど……」
「イリサも問題ありません」
「ちょっとしたイベントだからねえ。広場へ行けば、屋台やなんかも出ていると思うよ」
店員が口をはさむ。
なるほど、それなら昼食の心配もなさそうだ。三人は店員に道を聞き、教会前の広場へと向かった。
広場は、大勢の観客でごった返していた。
「うーっ、見えないーっ」
人垣の後ろで、ティアナはぴょんぴょんと飛び跳ねる。
わあっと歓声が上がる。現在行われていた勝負の決着がついたらしい。人垣が動き、ちらほらと帰る者が現れ始める。
「……もしかして、今のが最後だったのかな」
「えーっ」
表彰が行われるようだ。とりあえず勝者だけでも見ておこうと、耕平達は人がいなくなった隙間を縫って前へと進む。
「いやあ、たまたま立ち寄った町で、あんな試合が見られるなんてなあ」
「すごかったよな。あんなに小さいのに、自分より大きな相手を次々と負かして……」
周囲の話し声に、ティアナは耳をふさぐ。
「何やってんだ?」
「だって、見られなかったの悔しくなるもん」
「では、優勝者にお手合わせを申し込んでみては?」
「なるほど、その手があったわね」
「え、マジで……?」
耕平、ティアナ、イリサの三人は、前の方へとやって来て足を止める。
試合は地面だったが、表彰は壇上で行われるようだ。ならば、この辺りでも十分に見える。
優勝者が壇上へと上がる。金髪碧眼の、小柄な女の子だった。服装も黒いリボンがあしらわれた黄色いドレスで、とても戦う格好とは思えない。
少女の釣り目が、ふとこちらに向けられた。そして彼女は、耕平の方を指さした。
「あ~っ!」
一瞬どきりとしたが、彼女が指さしているのは耕平ではなかった。隣でも、同じように壇上を指さし大声を上げている少女がいた。
「ティアナ!?」
「ヴェロニカ!?」
ティアナと金髪の少女は、互いの存在に驚いたように叫んだ。
「どうしてあなたがここにいますの!?」
楯の受け取りもそっちのけで、ヴェロニカは檀上から飛び降りティアナの前へと駆けて来る。
「ティアナ、知り合いか?」
耕平は、ティアナに耳打ちする。
ティアナはこくんとうなずいた。
「ヴェロニカ……幼馴染なの」
ヴェロニカはティアナの前まで来ると、乏しい胸をそらせ見下すような笑みを浮かべた。
「もしかして、大会に出ていましたの? 私と当たる事なく敗れてしまわれるなんて、ガッカリですわね」
「大会になんて出てないわよ。私達、さっきここへ来たところなんだもの」
嘲るようなヴェロニカの物言いに、ティアナも刺々しく返す。どうやら、知り合いといえども仲良しと言う訳ではないらしい。
「あら、そうですの? でも、そうですわね。あのドンクサイ石頭だらけの村に、大会へ出場するなんて向上心があるとは思えませんものね」
「な、何よ、そんな言い方しなくたっていいでしょ!」
「本当の事を言っているまでですわ。皆して真っ黒な格好をして、まるでアリみたい……」
「く、黒以外の服だってあるわよ! 今私が着ているのだって、元々はあの村のドレスだし……! そんな事言ったら、ヴェロニカだって黄色に黒で、まるでぶんぶんバチみたいな格好じゃない!」
「ぶん……!?」
「ヴェロニカなんて、ぶんぶんでいいわ! このぶんぶんー!」
「へ、変なあだ名を付けないでくださいまし! ティアナだって……えっと……こ、この痩せすぎ! のっぽ! 童顔! 貧乳の敵!」
「あ、ありがとう……?」
「キーッ! スタイル良いと見せかけて、脱いだら腹筋割れてるくせにー!」
「あっ! それは言わないで!!」
まるで子供のような言葉の応酬に、耕平とイリサは完全に蚊帳の外だ。どうやら、この二人は何だかんだで似た者同士らしい。
「まったく、まだあんな何の価値もない山奥の村に居座る気がしれませんわ……」
ヴェロニカはこめかみを押さえ、これ見よがしにため息を吐く。
ふっとティアナの表情から怒りが抜け落ちる。胸の前で握りしめていた拳が、ゆっくりと身体の横に下ろされる。
「……もう、あの村は出たわ」
静かな声で、ティアナは言った。
ヴェロニカは目を瞬く。
「村を、出た……?」
「うん。今は、この人達と旅をしてる。この町に寄ったのも、その途中でたまたま……」
ティアナは、耕平とイリサを視線で示す。
ティアナの隣に立つ耕平を、ヴェロニカはキッと睨んだ。剣を抜き、耕平へと突きつける。
「あなた、お名前は?」
「え。し、柴田耕平……」
「そう。シバタコーヘイ。あなたに剣の勝負を挑みますわ」
「え……」
耕平の返答も待たず、ヴェロニカは檀上を振り返る。
渡すはずの楯を持ったまま戸惑う男性に、ヴェロニカは朗々とした声で言い放った。
「その楯の授与、もう少し待ってくださる? チャンピオンへの、飛び入りの挑戦者ですわ」
「え……ま、待ってよ、俺はそんな事……」
「そうよ、卑怯だわ! 剣術でヴェロニカに勝てるはずないじゃない!」
ム、と耕平はティアナを横目で見る。
確かに耕平に、剣の腕はない。運動神経は決して良いとは言えない。でも、だからってそんな言い方はないんじゃないか?
「あら。ティアナのお連れ様は、そんな軟弱な男なんですの? 勇者のようなお姿は、見た目だけですのね」
「コーヘイは――」
「ティアナ」
耕平は片手を挙げ、ティアナを制する。
そして、ヴェロニカを正面から見据えた。
「いいよ、やろう。それで、君の気が済むなら」




