第4話 見えない顔と死への空洞
真っ赤な空が広がっている。夕焼けの赤ではなく、黒みを帯びた赤。まるで血のようだ、と耕平は思った。
ブーツの紐を結び直して顔を上げると、そこにティアナの姿はなかった。
ティアナどころか、通りを行き交う街の人さえも、きれいさっぱりいなくなっている。
「消えたのは、俺の方……か」
何の前触れも無かった。せめて何かが襲って来るなら、抵抗のしようもあるのに。
守るといった矢先に自分がさらわれるとは、情けない。
しかし裏を返せば、リナもイリサもここにいる可能性が高い。耕平はここにこうして立っている。さらわれた瞬間に命を奪われるのでなければ、これまでに消えた人達もまだ望みはある。
元々大きさのわりに人通りの少ない街だったが、今は一切人がいなかった。
静寂の中、耕平の足音だけがいやに大きく聞こえる。
空は赤黒いまま、それ以上暗くも明るくもならなかった。物音もない、通りも夕闇を保ったまま。
まるで時間が止まってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
空の色と生き物の姿が見えない事を除けば、街の様相は本来のものとそっくり同じだった。
街は高い塀で囲まれ、出入口となる大きな門は硬く閉ざされている。学校も、宿も、そのままだった。
宿には、耕平達の荷物があった。消えたその時のままか、あるいは並行する現在の様子なのか。
「って事は……」
耕平は来た道を戻り、赤黒いこの世界で最初に立っていた場所へと向かった。そのまま、街の中心部へと道を進んで行く。
青い三角屋根と、高い塔の上に取り付けられた鐘。
耕平は、教会にたどり着いた。
ガランとした聖堂に、人はいない。
しかし同時に、悪い物もここにはいないだろうと思えた。空が見えないせいもあるかもしれないが、外のような、言い知れないおどろおどろしい気配が、ここには無い。
「ティアナー!」
耕平の声が、誰もいない教会に木霊する。
「……やっぱ、いないか……」
耕平とティアナは、教会に向かう途中だった。もしかしたら……と思ったのだが、やはりここも死霊の結界の中のようだ。
耕平は肩を落とし、教会を後にした。
安全なこの場所でイリサを探していたいところだが、もしここにいるなら耕平の声で出て来ていただろう。無駄足を踏むような時間はない。
突然、ぐっと気温が下がった気がした。ひんやりとした空気がどこからともなく流れて来る。
ヤバイ。
耕平は本能的に、そう感じた。何か良くないものがこっちへ近付いて来ている。
耕平はとっさに、今出て来たばかりの教会の塀の内側に転がり込む。
間一髪、通りに二つの人影が現れた。
角を曲がって来たり、建物から出て来たりした訳ではない。少しずつ透過率を下げるように、すぅっと道の真ん中に姿を現わした。
その顔を見て、耕平は思わず「ヒッ」と叫びそうになった。両手で口を押さえ、何とか叫び出しそうになるのをガマンする。
二つの影は輪郭こそ人型だが、その顔は人のものではなかった。
目もなく、鼻もなく、口だけが存在していた。その口は、額からあご下まで大きくぽっかりと空いている。
歯は見えるが、舌は見えない。代わりに、空虚な闇だけがその奥には存在していた。
(何だよ、あれ……!)
状況から考えれば、あれが死霊とやらなのだろう。しかし、これまでに見たどの魔物とも違っていた。
魔物はどれも、動物を複数組み合わせたような姿だった。死霊のかたどる姿は、明らかに人間だ。それも、ゲームのモンスターのような格好良さをはらんだものではなく、嫌悪感と恐怖を掻き立てる姿。
死霊は、獲物を探しているようだった。しかし教会へは近付こうとせず、塀の内側にいた耕平には気付く事なく、地面の上を滑るようにして通り過ぎて行った。
(……お、追わなきゃ)
ここを出れば、見つかるかもしれない。
しかし、ここにいても拉致があかない。
死霊が獲物を探しているのならば、後を追えばまだ生きている人にも会えるだろう。……その時は、戦闘を避けられないだろうが。
大丈夫だ、やれる。今の耕平には、あの力がある。教室の隅でくすぶっていたあの頃とは違うのだ。
耕平は立ち上がる。
拳をギュッと握りしめると、震える足を叱咤し外へと踏み出した。
死霊は大きな通りを離れ、暗い路地裏へと入って行った。白い石畳みの表通りとは違い、踏み固められた地面が続く道。
(あれ……ここって……)
間違いない。
この先は、子供達が暮らしていたあの場所だ。
本来の街とそっくり同じ作りなら、この先は入り組んだ袋小路だ。行き止まりもそこかしこにある。素直に道を通って死霊の後を追うのは、得策ではないだろう。
耕平は上を見上げる。
狭い路地裏。つまりは、建物同士の間が狭いと言う事。
耕平は足元の地面を柱のように伸ばし、屋根の上へと追跡ルートを移した。
建物に三方を囲まれた、少し開けた行き止まり。その奥に追い詰められるように、二人の少女がいた。
一人は、青いショートカットに紫色の帽子をかぶった小柄な少女。二箇所をしぼられた帽子は、動物のたれ耳のようにも見える。
もう一人もショートカットだか、こちらはブロンドだった。かぶっていた大きな緑色のキャスケットは、少し先に落ちてしまっている。
イリサはリナを抱きかかえ、繰り返し呪文を唱えていた。
「ア・ドーウィン・トーイル・メー・ハーリン・ソーラス……」
イリサ達の足元には、青く明滅する魔法陣があった。死霊は、光に怖気つくようにたたらを踏む。
魔法陣には触れられないが、魔法そのものは死霊を引き寄せるようだ。
イリサの魔力に引かれ、路地裏には次々と新しい死霊がやって来る。耕平が追っていた死霊も、その一つだった。
魔法陣は、弱々しく明滅している。連れ去られてから一日中防御魔法を行使していたならば、相当疲弊している事だろう。
フッとその時、魔法陣から光が一切消え失せた。
イリサの身体がぐらりと傾く。
「お姉さん!」
リナは、自分より少し大きいイリサを支える。
魔法陣が無くなり、死霊達が一斉に二人の元へと迫り行く。大きな口が、ぐわっと更に大きく開く。
リナの瞳が、恐怖に見開かれる。
「や……!」
強い風が、イリサとリナを中心に渦巻くように吹き荒んだ。
死霊たちは弾かれるように吹き飛ばされ、散り散りになる。
風がやんだそこには、イリサとリナを背にかばうようにして耕平が立っていた。
「勇、者様……」
弱々しい声に、耕平は横目で振り返る。
「よく頑張ったな、イリサ。後は俺に任せて休んでろ」
「はい……」
イリサは力なくうなずく。その顔は空の色とは正反対に蒼白かった。
「リナ、イリサを頼む」
リナは耕平に名前を呼ばれた事にギョッとしたが、すぐにキッと真剣な顔になってうなずいた。
風で散らされた死霊たちは、もう戻って来ていた。吹き飛ばしただけでは、何のダメージも与えられないようだ。
「ま、想定内だけどな……」
相手が死霊なら、やはりお祓いか。
耕平は、死霊に貼られる複数のお札を思い描く。
しかし、何も起こらなかった。
念仏の知識が曖昧だからだろうか。
指紋認証やらオートロックやらは、内部構造など知らなくても創り出すことが出来たのに。
仕方ない、ヤマガミと同じ手段を取るか。
イメージを炎に切り換える。死霊を一掃する火炎の放射に。
しかしこれも、具現化される事はなかった。
「なんでだ……!?」
「前! 危ない!」
リナが叫ぶ。
死霊はもう目の前まで来ていた。顔全体に空いた闇が、耕平に牙をむいていた。




