3.勝負になると先のことを考えられなくなる人いるよね
市立望美中学校出身、碇紺。
彼女は月曜日の新入生歓迎公演が始まる前に入部届を提出していた。
他の部活に目もくれず、一切の迷いなしに演劇部に入部した。
それほど、彼女は演劇部に囚われていた。
彼女のいた中学は、過去10年地区大会で賞を逃してきた。
しかし、決して彼女の中学が弱小校と言うわけではない。
横浜市の中学校演劇は地域で4つのブロックに分けられている。
北部地区、東部地区、臨海地区、中部地区の4ブロックだ。
各ブロック10校ほど出場し、1校だけが県大会に推薦を受ける。
ちなみに、シキこと小檜山色埜の出身である円舟中学は臨海地区の覇者である。
彼が在籍している3年間で2回県大会に出場し、過去にも定期的に最優秀賞を選出されている。
望美中学があるのは、中部地区。
ここには帝王が居る。
市立夢里中学校演劇部。
中部地区10年連続最優秀賞。2年連続県大会最優秀賞。昨年度関東大会優秀賞。
過去10年中、全国大会3回出場。
中学演劇の場合、県大会の次は全国大会か関東大会に推薦される。
全国大会の場合、全国中学校文化発表会というくくりで、賞の受賞はない。
ゆえに、関東地区における最高位の賞は、関東大会の最優秀賞にあたる。
演劇の表彰は下記のようになっている。
・最優秀賞 ―― 上位大会推薦
・優秀賞 ―― 優秀賞校から最優秀賞校を選出
・優良賞 ―― 参加校に与えられる賞
これに加えて、特別賞が設けられていることが多い。
碇紺が在籍していた3年間の内、望美中学校が優秀賞に選ばれたのは1回のみ。
夢里中学校が絶対王者ではあるが、他の中学も常に最優秀の席を狙っている。
寝てても最優秀が取れる地区ではない(そんな地区は存在しないが)。
努力の果てにようやく優秀賞を掴める魔境が中部地区である。
碇紺は、演劇が好きだ。
中学校の演劇が好きだ。
だから地区大会で敗北したからと言って、上位大会を見ないようなことはない。
毎年必ず県大会を見る。
毎年必ず関東大会を見る。
すべての大会の、すべての作品を見る。
そして可能な限り審査員の講評をメモする。
中学2年生になってからは高校の大会にも足繫く通い、そこでも講評を聞ける限り聞いてきた。
彼女は誰よりも演劇が好きだと自負している。
同時に、自分に才能がないことに気づいている。
北部地区王者 市立山田中学校の豪快な演出を自分が思いつけると思えない。
東部地区最強 市立月代中学校のエンターテイメント性について行けると思えない。
臨海地区覇者 市立円舟中学の繊細な演劇を成せるとは思えない。
中部地区帝王 市立夢里中学の完成された圧倒的な舞台を作れるとは思えない。
それでも、彼女は演劇が好きだ。
それでも、彼女は演劇を止められない。
自分が何者でもないことがどれほど悔しくて苦しくて辛いことでも。
彼女は演劇を続ける。
その彼女の目の前に、円舟中学で同期唯一の男子部員が立っていた。
最初は憧れのまなざしを向けていた。
彼と同じ舞台に立てることに心躍っていた。
「ああ、ノゾ中――演劇部あったの?」
憧れは殺意に変わる。
「円舟からすれば、木っ端みたいな中学かもしれないけど……その言い方はないんじゃない」
「知らないものは知らないって言って何が悪いの」
絶対に許さない。
彼を舞台でぎゃふんと言わせるまで、絶対に許してなるものか。
◇◇◇
木曜日。本日の活動内容はバラシ。
新入生歓迎公演の為に特別教室を小劇場にリフォームしていたが、それを撤収する作業だ。
メンバーは3年生の野崎先輩、宇蘭先輩、2年生の麻野先輩、九桐先輩、小田先輩。
そして1年生の碇と俺の計7人。
「じゃあ1年はネムと一緒にアンテン剥がしてねっ!」
そう言いながら麻野先輩が遮光カーテンを捲る。
カーテンの裏には窓――のはずだが、そこにはビッシリとダンボールが埋め込まれていた。
舞台が暗転したとき、教室内が真っ暗になっていて驚いたが、こういうことだったか。
遮光カーテンだけではなく、窓自体にダンボールをハメて一切の光を排除していた。
「じゃ、やろ。これ、剥がして、そこに積む。再利用する、から、丁寧に、ね」
カチューシャに眼鏡の九桐先輩が指しながら説明をする。
ガムテープより粘着力が弱く、ノリが残りにくい養生テープで窓に止めているダンボール。
ガラス面にノリがつかないよう、アルミサッシにテープが留まっている。
ダンボールを剥がして、床に置く。
ダンボールを剥がして、床に置く。地味だ。
その間に先輩方は配線を片付けたり、パネルを解体したりしている。
正直あっちをやってみたい。
「うちの学校、役者やってもやらなくても、三部署に、必ず所属、する」
「三部署ってなんです?」
九桐先輩が作業しながら話し始め、碇がそれに質問する。
「大道具、照明、音響。この三つの部署。私は照明」
中学でもスタッフは分かれていたが、この人数でも分けるのか?
「だから、二人とも、考えといて」
「え?」
「大道具、照明、音響」
「二人ってことは、兼任するってことですか」
「部員が、二人で終わるなら、そう」
チラリと3年の2人を見る。野崎先輩と宇蘭先輩も2人の学年だ。
「あの。先輩たちの部署? って教えてもらえるんですか」
「うん。わたしは、照明」
それはさっき聞いた。
「ピカりんが大道具。美術ね。カヨちんが音響」
おそらく麻野先輩と小田先輩のことだろう。
なぜ知っているテイでニックネーム呼びをする。
「カイト先輩が大道具と照明と音響で、ミッチ先輩はナシ」
「「おかしいでしょ」」
声が揃った。揃えてんじゃねえよ。
「ネムくん聞こえているよ、でたらめを言ってはいけないよ」
「ミッチ先輩。わたし、嘘言ってない」
「ボクは舞台監督と演出をしているじゃないか」
「つまり。カイト先輩を、顎でこき使ってる」
「そんなことはないさ」
舞台の壁として立てられていた木製パネルを解体しながら、野崎先輩が九桐先輩に言った。
先輩は中学でも舞台監督と演出をやっていたのだから、別に変なことだとは思わないが……。
三部署制が早速揺らいでいる気がする。
畳ほどの大きさに解体されたパネルを宇蘭先輩が運び出し、廊下の壁に立てかけている。
野崎先輩と九桐先輩の話し声が聞こえているのか分からないが、宇蘭先輩はどこか諦めたような顔をしている。哀愁が凄い。
九桐先輩とそうやって雑談をしながら、教室の片付けが進む。
アンテンと呼ばれたダンボールや遮光カーテンを片付けると、外の明かりが教室に差し込む。
窓を開け、まだ少し肌寒い空気が吹き込んでくる。
舞台装置が教室の隅に避けられ、音響装置の配線が箱に片付けられ、なんとなく全体が落ち着いた。
「みんなっ、ちょうど良さそうだねっ! そしたら~っ……客席撤収しまーすっ!」
「え、やだ」
「がんばろーよー」
「そーだよっ! 仕込みの時と違って先輩も後輩もいるんだからっ!」
「ハハハッ、すまないね! 委員会のせいで手伝えなくてさ」
「ミッチ先輩。倍頑張るの、お願いします」
やんややんやと姦しい。
何が始まるか分からない1年の俺たちと、宇蘭先輩だけが静かにしている。
「えっと、宇蘭先輩?」
「ん?」
「客席撤収って、なにするんですか」
「んん……」
宇蘭先輩に尋ねると先輩は客席を指す。
「これを元あった場所に片付けるんだ。うん」
「この教室の椅子じゃないんですか」
「いや。これは体育館の」
「ああ、体育館の――体育館の!?」
驚いたのは無理のない話だ。共感してほしい。
客席は40から60席くらいあるように見えるが、これを体育館まで運ばなければならない。
星旬高校は大きく分けて3つの棟に別れているのだが、この教室と体育館は別の棟にある。
そして、星旬高校の体育館は2階にある。
つまり、椅子を持って1階に降りて、隣の棟に行って、階段を上がって体育館に行かなければならない。
渡り廊下はあるが、それは3階にある。どちらにしても階段の昇降がある。
7人の部員。1人あたり7脚から9脚運ばなければならない。
ちょっと嫌になる。
隣を見ると碇が俺の顔を見ている。
なんか小馬鹿にしたように笑っているように見えるが。小馬鹿にしているのだろう。
「んだよ」
「別にぃ。これぐらいで音を上げるなんて、円舟さんは貧弱なんだなあって思っただけ」
「は? なんも言ってないだろ」
「表情に全部出てたけど?」
「表現されたことが感情の全てだと思うなんて、望美中学校さんは随分単純な演劇をされていたんですね」
「そう見えない演技は全部自己満足だって知らなかった? ああ、自分本位の演劇しかしてないのね」
「あ?」
「なに?」
ムカついたので椅子を4脚同時に持つ。右手に2脚、左手に2脚。
碇は椅子を3脚抱えている。
俺の方が多い。勝ちだ。
「ああ、軽い軽い」
「……」
「あっ、ちょっと待てよ!」
碇はテッテテーと廊下に早足で出て行った。
速い。疾風迅雷の如く。いや、走っているわけではないから、そんなに速度は出ていないが、それでも俺の倍は速い。
「しまった」
俺は負けじと碇を追いかける。
「こらーっ! 人にぶつかったら危ないでしょっ!」
麻野先輩のお叱りの声が廊下に響き、俺も碇も速度を緩める。
だが、碇は俺に追いつかれないように、俺は碇を追い越すように早歩きを続ける。
――結果。筋肉痛。
夕食の時間、俺は茶碗を持ち上げることさえできなくなっていた。
許さん。碇紺。
【中学演劇】
横浜市における中学演劇のスケジュールは下記の通り。
・7月末から8月頭にかけて、各地区の地区大会。
・12月頭に県大会。
・翌年3月末に関東大会。
・翌年8月に全国大会。
つまり、3年生は全国大会に出場が出来ない(これは高校も同じ)。
県大会が12月のため、受験直前の3年生にとっては精神的にとてもキツイ。
さらに関東大会は中学校を卒業してから出ることになる。
受験期間中に稽古するわけにもいかないので、受験終わり次第の稽古で、県大会以上にシンドイ。
卒業式後も3月末まで中学に在籍があるため、大会に出場可能だが、大会の翌週には高校生になっている。




