28.【エピローグ】親愛なる探偵女男爵
事件後しばらくの間、ウェクスフォード侯爵家からは特に音沙汰はなかった。
社交界では事件のことが知れ渡り、ウェクスフォード侯爵家のタウンハウスには未だに警官が頻繁に出入りしていると噂になっていたので、警察の捜査に対応するために忙しく過ごしているのだろうと、アメリアは思っていた。
一方で、ヘイスティングス警部を始めとした関係者の前で推理を披露したアメリアが警察に呼ばれることはなかった。
アメリアはきっと一緒に捜査していたアルバート卿がすべて引き受けてくれているのではないかと思っていた。
侯爵家からの手紙が届いたのは事件から3週間後、すでに7月の半ばになり、今期の社交シーズンも終わりに近づいた頃だった。
当初の予定ではメイフェアのメラヴェル男爵邸の改修工事は既に完了しているはずだったが、途中で水道管の劣化まで判明したことにより、工事は更に長引いていてアメリアとその母のミセス・グレンロスは、未だにケンジントンのグレンロス邸に留め置かれていた。
そのグレンロス邸にようやく届いた侯爵家からの最初の手紙の差出人は意外にもレディ・グレイスだった。
彼女からの手紙は2通あり、1通は宛先がアメリアとミセス・グレンロスの連名になっているが、もう1通はアメリアだけに宛てたものだった。
アメリアは自然と後者は一人で読むようにということなのだろうと理解して内ポケットに隠し、前者だけを母と侍女のミス・アンソンとグレンロス家の居間で読むことにした。
「あらあら、結局あなたは社交じゃなくて探偵ごっこをしに侯爵家に行っていたわけ?」
ミス・アンソンが手紙を読み上げてくれたのを聞いて、ミセス・グレンロスは傍らの紅茶にミルクを足しながら呆れたように言った。
エルデンハースト伯爵夫人から娘の活躍の概要は聞いていたが、こんなに大変な事件だったとは思っていなかったようだ。
レディ・グレイスからの手紙には、その後の捜査でミスター・リーの部屋から本物の<王女の涙>の台座が見つかったこと、ミスター・リーが<王女の涙>のダイヤモンドを闇市場に売却した証拠が見つかったこと、そして、それをミスター・リー自身も認めていることが書かれていた。
アメリアにとってはミスター・リーが容疑を認めていることが救いだった。彼は今度こそちゃんと責任を果たそうとしている。
「でも、ダイヤモンドが見つかったのは良かったですわね、奥様」
ミス・アンソンが手紙の終わりの一節を指さして言う。
そこにはミス・ジョーンズの尽力で、彼女の実家の宝石商会がモナコで<王女の涙>の一番大きなダイヤモンドを発見し、彼女の父ミスター・ジョーンズが買い戻しを交渉中と書かれていた。
先日のミス・ジョーンズの勢いであれば、彼女は必ず父を説得して買い戻させるだろう。
しばらく母とミス・アンソンと談笑した後、アメリアは自室に戻った。
そこで彼女はレディ・グレイスからのもう一通の手紙を開いて密かに口元をほころばせてしまった。
そこには3つのことが書かれていた。
一つ目は、散歩への誘いだった。
レディ・グレイスは事件の捜査が落ち着いたら午前中のハイドパークの散策を再開するので、ぜひレディ・メラヴェルもハイドパークに出てきてほしいと誘ってくれている。
アメリアはレディ・グレイスと違って乗馬ができないが、彼女はアメリアに合わせて徒歩で行くとも書いてくれていた。
二つめは、宝石盗難事件の当日、侯爵家の次男ヘンリー卿の様子がおかしかった理由だった。
アメリアはすっかり忘れていたが、確かにあの日のヘンリー卿の行動は謎で満ちていた。
誰かを探しているようだったり、警察の監視をすり抜けて移動していたり、最後には全く姿が見えなくなった。
レディ・グレイスによると、彼はパーティーの客人の中にいた想い人である男爵夫人を追いかけていたらしい。
しかし、最終的には振られてしまい、ずっと自室に閉じこもっていたので姿が見えなくなっていたのだった。
アルバート卿から謎を解くのが好きなレディ・メラヴェルが気になっているかもしれないので教えてやってほしいと依頼されたので書いているとのことだった。
アメリアは思わず笑みを零した。
失恋したヘンリー卿は気の毒ではあるが、確かにこれですっきりした。
また、レディ・グレイスはこの件に関し、アルバート卿の指示に反してヘンリー卿の想い人が既婚者であることまで書いてしまったが、書いてしまったものは取り消せないのでそのまま送りますとも書いていた。
アメリアはレディ・グレイスの優美な外見からは少し意外な冷静かつ大胆な性格を懐かしく思い出した。
彼女とハイドパークで話すのが本当に楽しみになってきた。
そして、最後の三つ目はたったの数行だったが、アメリアが一番気になっていたことが書かれていた。
アルバート卿がアメリアとミセス・グレンロス宛に訪問したい旨の手紙を書いているが、推敲が行き過ぎていて出すのが遅れているとのことだった。
――また"artistic"か"exquisite"かのようなことでお悩みなのかしら?
アメリアは密やかな笑い声を漏らすと、そのレディ・グレイスの手紙を箪笥の奥に隠してあるフランス語の小説本の間にしっかりと隠しておいた。
同じ本にはとある<クロニクル>の記事の切り抜きも挟んである。
アメリアが事件解決の翌朝にグレンロス邸の居間のアームチェアにもたれながら読んだアルバート卿が書いた記事だった。
こちらはヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の入り口の位置が変わったことの影響について真面目に考察している記事で隠す必要は全くないのだが、アメリアは自分だけの大事な記録にしたかった。
***
アルバート卿がケンジントンのグレンロス邸を訪れたのは、それから一週間後のことだった。
結局、事前に受け取った手紙にはただ事件解決のお礼とお礼の訪問に訪れる日が簡単に書かれていただけだった。
約束の日の午後、早すぎず遅すぎない時間に彼はやってきた。
パーティーで会ったときよりもカジュアルな黒いラウンジスーツに身を包んでいる彼は、あの日よりもリラックスしているように見えた。
盗難事件もしつこい令嬢も原稿の締め切りもないのだから当然かもしれないが。
ミセス・グレンロスは娘と共に応接間でその侯爵家の子息を迎えるとやや緊張して切り出した。
「侯爵家のご子息をお迎えするには手狭で恐縮ですわ」
アルバート卿は軽く首を傾げて微笑む。
「確かに『手狭』とは言えるかもしれませんが――」
アメリアはひやりとして、身に着けていた藤色のデイドレスのレースの立襟に触れた。
侯爵家のあの広いお屋敷に住んでいる彼に全く悪気はないのはわかっているが、ミセス・グレンロスはこういう貴族の若者が苦手なのだ。
しかし、アルバート卿は意外な言葉を続けた。
「しかし、私がこれほどまでに訪れたかった家は他にありません」
眉をひそめかけていたミセス・グレンロスの表情が緩んだ。
「この度は、レディ・メラヴェルには本当に感謝しなければなりません。あなたがいち早く事件を解決してくれたお蔭で、その後、モナコで例のダイヤモンド<王女の涙>を買い戻すことができました。今フランス経由で英国に運んでいる途中です」
アルバート卿が送ったさり気ない視線を受けて、アメリアは頬を緩めた。
結局、ミス・ジョーンズの父であるミスター・ジョーンズは<王女の涙>の買い戻しに成功したということだ。
「あれは兄であるロスマー子爵の婚約に必要だっただけではなく、父と我々兄妹にとっては亡き侯爵夫人の思い出の品でもありましたから、何にも代えがたいものだったのです」
アメリアは、アルバート卿が敢えて彼女の方を見ずに、視線をその後ろに掛けられている静物画に向けているのに気付きながらも、ただ頷いた。
「父である侯爵からも、レディ・メラヴェルには深くお礼を申し上げるように申し付けられています。社交シーズンが終わった折には、当家のカントリーハウスにご滞在ください。ぜひ1週間ほどは。もちろん、お母上もご一緒にです」
アメリアは思わず少し目を見開いてしまった。
いくら事件を解決したとはいえ、中産階級出身の女男爵がまだ知り合って間もない侯爵家のカントリーハウスに招待されるなんて。
これを遠慮なく受ける人は相当神経が太いに違いない。
それにアメリアには継承したばかりの自分の領地の仕事もある。
「大変ありがたいご招待ですが――」
彼女が言いかけたところで、ミセス・グレンロスがすかさず割って入った。
「ぜひ伺います。娘も私も」
ミセス・グレンロスは娘に目線だけで「社交界での好機を逃さないように」と告げている。
アルバート卿はその灰色の瞳に少し楽し気な輝きを浮かべて、満足そうに頷いた。
「よかった。妹のレディ・グレイスもレディ・メラヴェルとお近づきになりたいようなので、きっと喜びます。すぐに父に伝えましょう」
そう言うと、アルバート卿は礼を述べて、優雅に腰を上げ、辞去の挨拶をした。
アルバート卿が去った後、アメリアは誰にも気づかれないようにそっと自分の胸に手を当てた。
あっという間の訪問だった。
でも、彼女の心には小さな灯りがともっていた。
アメリアは少し微笑んでから何気なく彼が座っていたソファに目を向け――小さく息を呑んだ。
「手袋が……」
彼の薄いグレーの手袋がきれいに揃えられてソファの上に残されていた。
ティーセットを下げようとしていた侍女のミス・アンソンが素早くその手袋を手に取り「走れば間に合いますわ」と言って玄関へと向かっていった。
***
約10分ほど過ぎた後、ミス・アンソンは息を切らして戻ってきた。
彼女は、ミセス・グレンロスが自室に下がっているのを確認してから、他の使用人の視線すら避けて、アメリアに何かをこっそり手渡した。
それは、アメリアが事件の捜査中に――あのハンマーの実験の際に――アルバート卿から借りたハンカチだった。
上等な白いリネンに彼のイニシャル"A"が意匠化された繊細な刺繍が施されている。
アメリアは自室に戻り、ハンカチに添えられていた手紙を開いた。
「親愛なる探偵女男爵様へ
このハンカチを事件解決の記念に"本来の持ち主"であるあなたに贈ります。
妙に思われるかもしれませんが、私はあの事件の捜査を経て、ここに刺繍されている"A"は私の名ではなく、あなたの名であると考えるようになったのです。
深い感謝を込めて
――A」
その手紙を読み終えたとき、“探偵女男爵”と呼ばれたアメリアの頬は少し熱くなった。
彼女はハンカチに刺繍された"A"を手でなぞり、ただそれを胸に抱きしめた。
謎はもうすっかり解き終わったはずなのに、彼女のヘーゼルの瞳は何かをもっと知りたい気持ちに輝いていた。
ご読了ありがとうございました。
もしお楽しみいただけましたら引き続き【第2部】もお読みいただけると嬉しいです。(ロマンスにご興味があれば【番外編】もぜひ。)
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