14.【出題編】それぞれの気づき②
ウェクスフォード侯爵家の家族用の居間は、タウンハウスの建物自体と調和するジョージ朝様式の内装が整えられていた。
ストーン色を基調とした壁に囲まれたその部屋には、ほとんどの家具が左右対称に配置されていて、ソファや椅子の布地は大ホールの薄い青よりもやや濃い青色で統一されている。
白い暖炉の枠は繊細に装飾されており、その上部には侯爵家の家族の肖像画がかけられていた。
中央に座っているのが15年ほど若い侯爵と描かれた当時まだ存命だった侯爵夫人、その周囲にまだ少年だった息子たち3人と幼児のレディ・グレイスが配置されている。
アルバート卿はくつろいでソファに置きっぱなしになっていた本をパラパラとめくっていたが、アメリアはこれまで見たこともない立派な家具や調度品に囲まれると、なぜか自分のローズグレーのドレスの膝の上のしわがどうしても気になってつい何度も撫でつけてしまった。
そんな彼女の様子を見て彼が何か言いかけたとき、ロスマー子爵がやっと現れた。
「レディ・メラヴェル、お待たせして申し訳ない」
ロスマー子爵はアメリアの手をとって改めて挨拶をする。
「私の従者は優秀な男なのですが、さすがに髪にこびりついたアイシングの砂糖を落とすのは初めてでして。ミセス・モースに頼むべきだったかな?元乳母の彼女ならこういうことに専門性がありそうだ」
「もう彼女は家政婦長なんだし、第一、子供ならまだしも大の男の髪に付いたアイシングなんてお断りだろう」
子爵は弟の皮肉を笑って受け流すと、アメリアの向かいのソファに座った。
このご家族は――当たり前かもしれないけれど――アルバート卿の皮肉に慣れていらっしゃるとアメリアは思った。
「それにしても、先ほどは砂糖を払ってくださってありがとうございました」
「いえ。お怪我はありませんでしたか、ロスマー卿?」
「ええ、お蔭様で」
子爵は温かい笑みを浮かべて答えてから、おどけたような表情を作ってアルバート卿を見ながら続ける。
「あのとき、砂糖の襲撃に遭った私を助けに来てくださったのは、アッシュコム銀行のミスター・ブルックとレディ・メラヴェルだけでしたよ」
「……皆、あまりのことに唖然としていたんだ。別に誰も兄さんのことを見捨てたわけじゃないさ」
アルバート卿の灰色の目が薄情者の汚名を着せられるのは心外だと言っている。
「そもそも、御年60の父上が無事だったのに、なぜ30歳以上若い兄さんが避けられなかったんだ?」
「あのとき言っただろう?ステージの上になぜか水がこぼれていて、それに足をとられたんだと」
アルバート卿は子爵に懐疑的な視線を向ける。
アメリアは一応事実を告げておこうと口を挟んだ。
「ロスマー卿がおっしゃっていることは本当ですわ。私もステージ上に水があるのを見ましたもの。もっともそのときにはほとんど砂糖に吸収されていましたが」
子爵は「ほら」と言って弟に向かって眉を上げて見せた。
アルバート卿は短い溜息をついた。
「なるほど、確かに水がこぼれていたようだ。しかし、なぜ?」
「確かにおかしいですね。誰もステージ上でシャンパンをこぼしたりはしていませんでしたし……」
この不可解な水についてその場では誰も答えを持ち合わせていなかった。
ロスマー子爵も答えの代わりに少し肩を竦めると、2人に先を促す。
「さて、先ほどの盗難事件について聞きたいんだったね」
アメリアが躊躇っていると、アルバート卿が「あなたから質問した方が良い」という視線を送ってきたので、彼女は遠慮がちに切り出した。
「あのとき――ウェクスフォード卿の挨拶が終わって、乾杯したあたりのことですが――何かお気づきになったことはありましたか?」
子爵は「そうだな」と言って少し思案した後、目を閉じて記憶をたどるようにして話し始めた。
「あのときショーケースを守っていた警官がその場を離れてしまっていたな。あのステージからは大ホール全体が良く見えましたからね。最初は<王女の涙>が3人の男たち――警官2人と当家の執事ミスター・リーですね――によってしっかりと守られていたのを覚えていますよ。しかし、あのケーキの倒壊が起きて、警官たちがいっせいにこちらに駆け寄ってきた。あの中には<王女の涙>に張り付いていたはずの2人もいましたよ。私は転んでいましたが、傍に来た彼らの顔を見てわかりましたよ。議員の仕事柄顔を覚えるのは得意ですからね」
「なるほど、大ホールが封鎖されたすぐ後に、警部が2人の警官に雷を落としているのを見たが、それが彼らだったのかもしれないな。これについては警部が正しい……なぜ持ち場を離れたんだか……」
アルバート卿はため息をつく。
「まあ、窃盗団が現れたと思ったのだろうから、彼らは責められんよ」
子爵は苦笑して鷹揚に首を振った。
「まあ、私が覚えているのはこれくらいかな」
そう呟いて子爵は二三度頷いた。
「では、ロスマー卿は率直に盗難についてどう思いますか?」
「率直にどう思うか……そうだな……」
子爵は顎に手を当てながらアメリアの言葉を繰り返して思案する。
「『悲しい』というべきかな。あれは我々の母が正装するときにはいつも着けていた指輪でしたからね」
子爵は視線を暖炉の上の方へ向ける。
先ほどは顔ばかり見ていて気づかなかったが、そこにかけられている肖像画の中でも侯爵夫人の左手の薬指に<王女の涙>が描かれていた。
「それから、あれは今日の婚約披露をもって、ミス・ジョーンズに贈る予定でした。あれは我が家の女主人の地位の象徴でもあったから、それが不完全なものになってしまったのは、やはり『悲しい』ですね」
沈黙の中に子爵のため息だけが聞こえる。
「ミス・ジョーンズはどう思っているのでしょうか?」
「どうかな?彼女はダイヤモンドがなくなったことそれ自体にはあまりショックを受けていないかもしれないな。彼女の実家が宝石商の大富豪であることはご存じでしょう?彼女のお父上は、当初ミス・ジョーンズと彼女の未来の夫を事業の後継にと考えていたらしく勉強も兼ねてたくさん宝石を与えていたそうなので、彼女は自分のをたくさん持っているはずですから。ただ――」
言葉を切った子爵の様子にアメリアは先ほどのミス・ジョーンズを思い出した。
彼女もまた肝心なところでこんな風に沈黙していた。
「ただ?」
しかし、今度はアルバート卿がタイミングよく先を促した。
「いや、少しほっとしているということはあり得るかもしれないと思っただけだよ。彼女は最初に<王女の涙>を見たときから――盗難予告を受けて父と私とでアッシュコム銀行に行ったときだが――プレッシャーとでも言うのかな……とにかく何か抱え込んでいる節があるような気がしたんだ」
アメリアとアルバート卿は子爵の話の続きを待ったが、彼はそれ以上は語らなかった。




