少女の兄②
「クラリッサ嬢。まずは詳しい話をお聞かせ願えますか?」
湖のほとりで、苦手なトルエノと二人きりになってしまった。
離れた場所では天使のようなカロリーナが花に囲まれ、可愛らしい花輪を編んでいる。まるで天国と地獄だ……
「く、詳しいお話、とは……?」
「ご自分の胸に聞いてみてはいかがです」
じりじりとトルエノに詰め寄られる。
が、クラリッサには訳が分からなかった。
ただの人間のくせして女神のフリをし、カロリーナを騙していたことは本当に悪かったと思う。しかしその事について彼は気にしていないらしい。
むしろトルエノからは、これからもカロリーナの前では女神でいてくれと――つまり、カロリーナをがっかりさせるなと言われている。
だったら今、なぜ彼はこんなに怒っているのか。
「わ、私には、トルエノ様からそのように怒られる理由が分かりません」
「――あなたは何故突然、家出などしたのです?」
「え?」
「ご両親のことは大変残念でしたが、いくらショックだったとはいえ行き先も告げずに家出をするなんて軽率過ぎます。屋敷に居るのが辛くても、他にいくらでも方法が――」
「待ってください。トルエノ様は何のお話をされているのです?」
二人は互いに怪訝な顔で睨み合った。
(ショックだったから家出? 行き先も告げず……?)
話が噛み合わない。
確かに、両親の死は悲しく、辛かった。だからといって、クラリッサは自発的に家を出たわけでは無かった。
彼の言う『家出』とは、一体何のことを言っているのか分からない。
同様に、トルエノもこちらの反応に首を傾げた。
「クラリッサ嬢は家出をした……のでしょう?」
「一体、誰がそんなことを?」
「フロレンシオ子爵に伺ったのですよ。クラリッサ嬢は、屋敷にいることが辛くて家を出たと。子爵家の屋敷には、亡きご両親の思い出が詰まっているからと言って」
「そ、そんなのは嘘です!!」
クラリッサは思わず声を張り上げた。
自分達を追い出した張本人である叔父が、そんな風に吹聴しているだなんて。
「……なるほど。あなた方は、子爵に家を追い出されてしまったのですか」
クラリッサは、洗いざらい事情を話した。
両親が死んだ後、突然叔父が現れたこと。長男であるローランを差し置いて、叔父が跡継ぎとなってしまったこと。用無しとなったクラリッサ達だけが家から追い出され、ここカルボの町へ移り住んだこと――
「確かに子爵の様子には違和感がありましたが……まさかそんなに酷いことを」
「私、学園も退学扱いにされているのですね。まあ、そもそも戻れるとは思っておりませんでしたが……残念です」
トルエノの話によると、クラリッサは学園を辞めたということになっているようだった。それもおそらく、叔父が勝手に届けを出したのだろう。
学園では優等生であっただけに、勿体なく思うし、心残りだ。
勉強も運動もあまり得意ではなかったけれど、生徒会やら奉仕活動には積極的に参加して、クラリッサなりに頑張ってはいた。おかげで学園での評価は我ながら上々で、特待生として学費も半分ほど免除していただいた。あのままいけば、卒業後は学園からの推薦で城務めくらい出来たかもしれない。
なのに、あの頑張りが水の泡に……せっかく、アベル殿下とも信頼関係が出来てきたところであったのに。
「戻る気はないのですか?」
「えっ?」
「王都へ戻れば良いではないですか。幸い、あなたは特待生でした。事情を話せば復学くらい出来るでしょう?」
「む、無理ですよ。子爵家には戻れませんし、私達はもうここで暮らし始めておりますし……それに結婚のお話も」
「け、結婚!?」
それまでの間、かろうじて落ち着いたまま話をしていたトルエノが、急に慌てた。先程までとは、明らかに声のトーンが違っている。
(え……なに? トルエノ様がそんなに驚くこと?)
「結婚とは一体誰と?!」
「ええと……まだお話をいただいたばかりなんですが、町の青年から求婚されているのです。これからの生活やローラン達のことを考えると、結婚して生活の基盤を整えるのが得策かな、と……」
「馬鹿ですかあなたは!!」
とうとう、馬鹿だと言われた。
やっぱりクラリッサはこの男が苦手だ。
「ば、馬鹿とはなんですか。私だって、これからどうしたらいいのか悩んで――」
「馬鹿だから馬鹿と言ったのですよ! なぜそんな身売りのようなことを……クラリッサ嬢はその男の事を愛しているのですか?」
「愛……?!」
愛は無い。そもそも、良く知りもしない人なのだから。
けれど町長の息子と結婚すれば、間違いなくクラリッサ達の生活は安定する。それだけは分かる。
「……一緒に暮らせば。いつかは愛せるかもしれないじゃないですか」
「つまり、愛のある結婚では無いのですよね? ではそんな結婚、ただちに止めてください」
「なぜ、トルエノ様からそこまで言われなければならないのですか! 関係無いでしょう?」
「関係大アリです! ああ、早く殿下にお伝えしなければ……いいですか、私はまた来ますからね。その時まで絶対に求婚を受けてはなりませんよ!」
(殿下……アベル殿下のこと?)
トルエノは早口で言い捨てると、カロリーナを連れ足早に湖を去っていった。
湖にはクラリッサだけがポツンと取り残される。
(な、なんだったの一体……?)
嵐が去ったあとの湖畔に、呆然と立ち尽くす。
結局、トルエノの願い事は何だったのか、クラリッサには分からずじまいだった。