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まずいことになったぞ②


 翌日もクラリッサは食料調達のため、湖のほとりで釣りをする。

 しかしどうにも調子は悪かった。いつもなら竿にわらわらと寄ってくる魚達が、今日は一匹も引っかかってくれない。虚しくも、湖の奥でポチャリと魚の跳ねる音がする。


「はあ……」


 つい、口からはため息が漏れる。 

 実際のところ、釣りをしていても集中出来てはいなかった。クラリッサの頭では昨日の話がぐるぐると回っていて、釣りどころではなかったのだ。


(結婚……この町で?)


 湖面では浮きが揺れ、ツンツンと糸が引いている。

 けれど、悶々と考え込むクラリッサが、引きに気づくことは無い。

 

(町長の息子さんと……??) 


 カルボの町での結婚。 

 それは思ってもみないことだったから。

  

 

 クラリッサ達はカルボの町で、子爵家の人間であることを明かしていない。町人から警戒されたり、壁を作られたりしては暮らしにくいと思ったからだ。

 

 町の皆も、母が子爵家に嫁いだということは知らないようである。そこで、『母の生まれ育った家に住んでみたくて』と言葉を濁しつつ、町のはずれに居着いたのだった。住人側としてはクラリッサのことを『都会育ちのお嬢さん』くらいの認識でいるだろう。


 そのおかげか、カルボの町ではみんな優しくクラリッサ達を迎え入れてくれた。よそ者である自分達に、差し入れをくれたり畑仕事を教えてくれたり。それはこちらが驚くほどの歓迎ぶりだった。


 中でも村長の奥さんは、人一倍親切で面倒見が良かった。

 洗濯のやり方すら分からなかったクラリッサに、奥さんは手取り足取り家事のイロハを教えてくれた。ローランには畑の一角を貸してくれ、度々野菜を交換してくれて……感謝してもしきれないくらいだった。

 それがまさか、こんなことになろうとは。


  

 昨日の話を受けて、ばあやにはすぐ相談をした。

 するとばあやは『やっぱり……』と申し訳なさそうに頭を下げたのだった。


『カルボの町はこのような田舎でございますから、クラリッサ様のように美しく若い女性は珍しいようでして……皆浮き足立っているみたいなのです』


 実はこの三ヶ月の間、クラリッサへの結婚話は、保護者となるばあやの元へ沢山届いていたということだった。

 それをばあやが毅然と断ってくれていたから、何も知らずにいたクラリッサは平穏に過ごせていたというわけだ。

 

『クラリッサ様を狙う男達には危惧しておりましたが、ついに直接お話があったなんて。びっくりなさったでしょう、お断りして構いませんので……』


 たしかにびっくりした。知らないところで、自分が狙われていたことに驚いた。

 住人達が優しかったのは、町長の奥さんが親切だったのは――あわよくばクラリッサを嫁として迎え入れたかったからだったのか。彼等も、ただ純朴で優しいだけでは無かった。親切には下心があったのだ。

 これまでの善意に下心があったことを知り、クラリッサは少なからずショックを受けたのだけれど。

  

 それより、問題はこれからだ。

 こちらの方が、悩みとしては深刻だった。


(私……これからもずっとこの町で暮らし続けるのかしら)


 町長の奥さんから結婚の話――未来の話が出たことで、先行きの見えない不安からも一気に襲われた。

 

 フロレンシオ子爵家の屋敷を追い出されてから、クラリッサ達は無我夢中でカルボの町での毎日を送ってきたのだが……もしかして、このままずっとこの土地で生きていくことになるのか、なんて不安がクラリッサの頭に渦巻いている。


 王都に戻りたくても、叔父が牛耳る子爵家には戻れない。かといって、他に行く場所なんて無くて。

 クラリッサ達には、カルボの町しか居場所はなかった。他に選択肢は無いように思えた。


(となると……早くこの生活を整えなければならないから……)

 

 今は差し入れ頼みの貧しい生活を送っているけれど、育ち盛りの弟ローランには出来ることなら栄養のあるものを食べさせてやりたい。ばあやにもゆっくりして欲しいし……とにかく、早く暮らしを安定させたい。 

 町長の息子と結婚してしまえば、野菜もミルクも沢山食べられるし、今のように生活に困窮することは無いはずだ。

 

 そこに愛は無いけれど……この町で生きていくのなら、この結婚にしがみつくのも得策なのではないのだろうか。

 どうしても損得勘定が働いて、その答えに行き着いてしまう。


(私、どうすればいいの……)

  

 ただし、一生を左右するその選択が良いものか悪いものか分からなくて、悩んだまま……クラリッサはまた、何匹目かの魚を見送った。



 

「女神……さま?」


 膝を抱え込んで悩み続けていたその時、クラリッサの耳元に、鈴のような声が届いた。

 見上げてみると、少女がこちらを気遣うように様子を伺っている。

 

「あなたは……」


 ずっと考え事をしていて、この子がすぐそばまで来ていたことに気付かなかった。

 栗色の髪を弾ませながら歩く美少女。この間『お兄さまに会いたい』と願った、あの健気な少女だ。


「やっぱり女神様だわ!」


 少女と会うのはこれで三度目になる。

 羨望の眼差し。嬉しそうな笑顔。相変わらず、少女はクラリッサを女神様であると信じているようだった。

 もう、この少女の前では女神として振る舞うしかない。罪悪感に苛まれつつも、クラリッサは女神のように優雅な微笑みを作ってみせた。


「またお会いできて嬉しいです、女神様」

「そ、そうね、私も嬉しいわ」

「実は今日、折り入ってお願いがあるのです」

「お願い……?」


 クラリッサは思わず身構えた。

 また、彼女からお願い事をされてしまうなんて。前回はたまたま叶えることのできる願い事であったけれど、次はあんなにうまくはいかないだろう。 

 いよいよ正体のばれる時が来たのかもしれない。覚悟の決まらないクラリッサを前に、少女はとんでもないことを口にした。 

 

「実は今日、お兄さまも一緒に来ているのです」

「えっ?」

「お兄さまも女神様にお願い事がしたいらしくって……どうかお会いしてはいただけませんか? 女神様」

「ええ……!?」


(更にまずいわ……!!)


 少女に正体がばれる……どころの騒ぎではなくなってしまった。

 子供相手には女神のふりで誤魔化せても、大人にはクラリッサが女神では無いことくらいすぐ分かってしまうだろう。

 なにより、彼女にとって最愛の兄を巻き込むことになる。そうなれば、この少女はどれだけ落胆することか。兄は、妹を騙していた女をどう思うだろうか――


「あの、私、実は」

 

 クラリッサが思わず逃げ腰になったその時、背後からガサ……と草を踏みしめる音がした。

 この足音は――女神に叶えて欲しい願い事があるという、少女の兄。

 

 恐る恐るそちらへ目を移すと、木の影からは見知った顔が現れた。

 

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