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湖畔の女神②


『湖畔の女神様……!』

  

 あの日。目撃者である美少女は、身体を震わせ感動していた。湖で、ただ釣りをしていただけの女に。

 

『そのお姿に、その指輪……おとぎ話で見た女神様そっくりだわ! 本当にいらっしゃったなんて夢みたい』

『え……、いえ、私は女神などではなく――』

『隣に座ってもよろしいですか女神様!』


 世にも可愛らしい少女は、つやつやとした栗色の髪を弾ませながらクラリッサの隣に腰を下ろした。大きな瞳は木漏れ日をたくさん取り込み、キラキラと輝いている。


(嘘でしょう……? この子、私のことを女神だと思っているの?)

 

 湖は、カルボの町からほど近い森の奥にあった。これまでも何度か、こうして釣りの現場を目撃されたことはある。

 けれど目撃者はみんな大人であったから、湖で食料調達する哀れな女を見て見ぬふりしてくれていた。大抵の人は、クラリッサの釣竿と釣果をチラ見したあと、素通りで去っていく。

 

 しかし幼気(いたいけ)な少女は、ただの釣り人でしかないクラリッサを女神であると信じ込んでしまったらしい。

 隣からひしひしと感じる、曇りなき(まなこ)……彼女の年齢は六~七歳というところ。まだおとぎ話を信じるお年頃なのだろうか。

 

 クラリッサだって、出来ることなら少女の期待を裏切りたくない。けれど女神を名乗るなんて烏滸がましいにも程があって――


『女神様、わたくしのお願いも叶えて下さる?』


 困り続けて言葉も出ないクラリッサへ、少女はポツリと呟いた。

  

『お、お願い?』

『おとぎ話では、女神様にお願い事をするとその願いが叶うのよ。ね、そうでしょう? 女神様』

『え? え、ええ、そうね、そうだったわね……』

 

 彼女の言う通り、女神は人間達の願いを叶えてくれる存在だ。ただし、女神が本物であったなら。

 

 ただの人間であるクラリッサに、そんな人知を超えた力があるはず無い。

 けれど真剣な顔で縋りつく彼女を見ていたら、クラリッサの見栄っ張りな首は勝手にコクコクと頷いてしまっていたのだ。これでますます、『女神じゃない』なんて言い出せなくなった。


『わたくし、お兄さまにお会いしたいの』

『お兄さま? あなたとお兄さまは、離れた場所で暮らしていらっしゃるの?』

『ええ、お兄さまは王都で暮らしているのだけれど』


 話を聞いてみれば、どうやら少女には胸の持病があり、空気の澄んだこの土地へ療養に来ているらしい。こんなに幼い子が家族と離れて暮らし一ヶ月、別荘で使用人達と暮らしているという。

 

 彼女はその愛らしい瞳を伏せて、兄が恋しくてたまらないのだと言った。女神に、会いたいと願うほど。


『お兄さまは素敵な人なの。いつも優しくて、穏やかで、賢くて。でも、王都でお忙しくされているから、なかなかお会いできなくて』

『そ、そう……』

『どうか、お兄さまに会わせてください、女神様……!』

『ええ……?』


 ついに、願い事をされてしまった。

 湖畔に佇む女神として。

 

 目の前で祈りを捧げる少女を見下ろしながら、クラリッサはうーんと考えた。 

 王都からこの田舎までの道のりは、馬車をゆっくり乗り継いでも二日ほど。すぐ駆けつけられる距離では無いけれど、会えないという距離でもないように思う。

 

 少女の兄が話どおりの優しい人なら、彼女が望めば会いに来てくれるだろう。

 というか、こんなにも健気な妹のもとへ会いにこないなんて許せない。

 

『大丈夫よ。私にお願いなんてしなくても、きっとお兄さまは会いに来てくださるわ』

『でも……』

『コホン。では、今日にでもお兄さまに「会いたい」と手紙をしたためてごらんなさい。さすれば、彼は会いに来るでしょう』


 クラリッサは女神らしく仰々しい口調で、少女に助言した。女神からの言葉であれば、彼女にとって説得力があると思ったからだ。


(どうか、彼女がお兄さまと会えますように……)

  

 思惑通り、『女神』の言葉を聞いた少女の瞳には、キラキラと光が宿る。そして彼女はクラリッサに向かって大きく頷ずくと、軽い足取りで湖を後にしたのだった。

 


 その数日後。

 再び少女は湖へ姿を現した。律儀な彼女は、『女神』であるクラリッサへ報告に来てくれたのだ。 

 なんと、彼女の兄は本当に会いに来たらしい。


『女神様のおかげです!』

『い、いえ、それはあなたが手紙を書いたからで――』

『ありがとうございました女神様!』


 少女は、何もしていないクラリッサに何度も何度も感謝を伝え、お礼にとフルーツを沢山()()()して去っていった。

 とうとうクラリッサは、彼女にとって最後まで『女神』のまま終わってしまったのだった。

  

 これが『女神』が願いを叶えてくれた――という事の真相なのだけれど。



 ◇◇◇


  

 噂の発生源は、王都にいるという彼女の兄なのだろうか。どうやら、王都では少女の話に尾ひれがつき、『女神は実在した』との目撃情報が流れてしまっているらしい。

  

 願いを叶えてくれる女神が実在する――なんて夢のある話はまたたく間に広がり、回り回ってカルボの町にまで伝わった。その噂を信じ込み、女神を探しまわっている者までいるとのこと。


 ひと通りクラリッサの事情を聞いたローランは、情けない姉に呆れて大きなため息をついたのだった。

 

「姉様……気をつけてよ。ただでさえ勘違いされやすい見た目なんだから」

「だ、大丈夫よ。こんな田舎町まで女神を探しに来る人なんていないわ」

「何言ってるの。女神に頼ろうとする強欲な人間は絶対いるよ、叔父(あいつ)みたいにね。もう姉様は湖禁止、釣り禁止!」

「それはローランが魚を食べたくないだけでしょ?」

「……ばれたか」


 この極貧生活で釣りを禁止されると困るけれど、ローランの気持ちもよく分かる。きっと本当に心配してくれているのだ。

 姉思いのローランは「でも本当に気をつけてよね!」と念を押してから、部屋を後にした。


  

(確かにローランの言うとおりだわ。

 勘違いされないように女神の真似事みたいなことは止めないと……)


 クラリッサは魚の仕込みを進めながら、呑気にそんなことを考えていた。

 まさか――この噂があの人の耳にまで届くとは、まるで思いもしないまま。

次回、やっと王子が登場します。

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