閉鎖的な町
「アベル殿下。あの男は拘束いたしましたが」
「ああ。そのまま連れて行け」
「かしこまりました。その……クラリッサ嬢はいかがいたしますか」
「まずは休ませたい。顔色が悪い……彼女の家を調べてくれないか」
「ええ、もちろん。では――」
トルエノが段取りよく事後処理を進めるあいだ、アベルはクラリッサを抱えたまま見つめた続けた。
ずっと会いたくてたまらなかった彼女。
やっと会えた。夢のようだ。アベルの心を掴んでやまない美しい顔には、これまでの疲れがにじんで見えた。頬には涙が一筋つたった跡。それだけで胸が痛む。
抱きかかえると、その身体は羽根のように軽かった。腕も足も学園にいた頃よりずっと細く、元々白かった顔はさらに青白くて。抱きしめてしまえば、ぽろぽろと壊れてしまいそうな儚さだった。
(一体、とのような生活を送っていたらこのような事に――)
トルエノに縛り上げられている男は、あんなにも健康的な身なりをしているというのに。
アベルは、またあの不届な男を蹴り飛ばしたい衝動に駆られる。
木の影から、組み敷かれたクラリッサの姿が目に入った瞬間、アベルは我を忘れた。頭に血がのぼるとは、ああいう状態をいうのだなと身をもって知った。
身体中の血液が沸騰するほど、全身がカッと熱くなった。考えるよりも先に足は動いて、気付いた時にはもうあの男を蹴り飛ばしていた。
突然の強い衝撃に苦しみ悶える男。その姿に、アベルの怒りは加速した。クラリッサを手篭めにしようとした下衆が、一丁前に苦しむなんてアベルには許せなかった。助けを乞う声も汚らわしく感じた。男が息をしていることさえ忌々しかった。
何度となく蹴り上げても、怒りが収まることは無くて。むしろ蹴り上げるごとに憎しみが沸いた。トルエノが止めなければ、本当に殺してしまっていたかもしれない。
いや、殺してしまいたかった。もしアベル達が間に合っていなければ、クラリッサの身に何が起こっていたかと思うと――奴は死んで同然だとさえ思う。彼女がどれだけ傷付いたか、奴はどれだけのことをしでかしたのか。死をもって償うべきことを、奴は身をもって知るべきだ。
まあ……トルエノが止めるだろうけれど。
腕の中で、依然としてクラリッサは気を失ったままだ。しかし繰り返される彼女の呼吸を聞いていると、徐々に気持ちは落ち着いてくる。
不安なのか、よほど怖かったのか、意識の無い彼女の手はアベルの胸元に縋り付いていて。それだけでも嬉しくて、彼女を誰にも触れさせたくなくて――
(クラリッサ嬢……間に合って本当に良かった)
彼女が誰よりも特別であることを改めて感じる。
アベルは、愛しい人の身体を宝物のように抱きしめた。
トルエノの案内で連れてこられたのは、町の外れにある小さな屋敷だった。
初めて訪れたカルボの町は、平和で穏やかな普通の田舎町だ。しかし、どこか閉鎖的な印象を受ける。屋敷まで歩く間も住民達からはジロジロと警戒され、誰も話しかけてきたりはしない。クラリッサがこんな目に遭っているというのに。
彼女達が住んでいるという小さく古ぼけた木造の屋敷は、クラリッサの実母が生まれ育った家であるらしい。
トルエノからの情報によると、クラリッサの実母は元々カルボの町に生まれた平民であった。優秀であったクラリッサの母は王都の学園寮へ入り、たまたま知り合ったフロレンシオ子爵に見染められた。そして子爵の遠縁にあたる家へ養子に入り、その後夫婦となったのだった。
そんな二人の間に産まれたのがクラリッサとローランであるようなのだが。
「奥様とクラリッサ様は、よく似ておいでなのです。女神のように美しい容姿も、分け隔てなくお優しいところも、気丈で無理をしてしまうところも。結局、同じようになってしまって……」
アベルの腕の中で気を失うクラリッサを見るなり、ばあやはホロリと涙を流した。
「同じように、とは?」
「奥様も昔、この町である青年から求婚されたそうなのです。王都へ進学されましたのも、その縁談から逃げるためと仰っておりましたが……まさかクラリッサ様にも同じことが起こってしまうなんて……」
フロレンシオ子爵家を追い出されたクラリッサ達を連れ、ばあやはカルボの町へとやって来た。頼るツテの無い彼女達には、この町に残された実母の生家へ移り住むしかなかったのだ。
母親が逃げ出した町……とはいえ、それは昔の話。かつての閉鎖的な空気も今なら変わっているだろうと、都合のいい期待も抱いていた。
しかし、住んでみればやはり同様の事が起きてしまった。
「もしかして、クラリッサにも無理な縁談があったというのか?」
「はい。いくつか縁談はいただいたのですが、中でも先程捕らえられた男――町長の息子が、それはもうしつこくて……何度も断りを入れたのです。けれど立場的には圧倒的にあちらの方が優位ですので、聞き入れて下さらなくて困っておりました」
「そうか……」
あの男がクラリッサに縁談を。
嫌がる彼女にしつこく付きまとう姿を想像しただけで、再び腸が煮えくり返る。もう二度と、あと男にクラリッサを会わせたくない。
「もう貴女方はこの町にいてはならない。子爵家に戻るんだ」
「しかし殿下、フロレンシオ子爵家はあの男に乗っ取られてしまって……私共にはどうしようもありません」
「乗っ取る? 叔父という男が、君達の了承も無しにどうやって? そもそもクラリッサの弟――ローランは爵位の相続を放棄をしたのか」
「い、いえ、そのようなことするわけがありません。本来であればローラン様がフロレンシオ子爵家を継ぐはずなのですから」
「では、その男はただ居座っているだけだ。我々が手を貸すことだって出来る、貴女方は子爵家を取り戻すべきだ」
クラリッサを腕に収めたまま、あっさりと言い放つアベル。このように風向きが変わるなんて思ってもみなかったばあやは呆気にとられた。




