王子は絶好調②
カルボの町から馬を駆け、休憩を挟みながら翌日――トルエノはやっとのことで王都へと戻った。
とにかく学園へ向かわなければ。
一刻も早くクラリッサのことを伝えなければ。
田舎道を走り続け、残り僅かとなった力を振り絞って向かったのは、学園の生徒会室だ。
そこで、トルエノは己の目を疑った。
アベルの机上がやけに広々としている。あんなに雑然としていて、手の付けようがなかった陰鬱な机が。
数日前まで、仕事が山のように積み上げられていたはずだ。なのに、すっかり跡形もなく消えてしまっている。
アベルも憑き物が取れたような顔をして、何事も無かったかのごとく座っている。
脇にある大きな作業机には、生徒会メンバーであるモンド、ブレア、ランス。これまでアベルのことを怖がりすぐ逃げてしまっていた三人が、今日はヨレヨレのまま倒れ込んでいた。
「アベル殿下……これは一体どうされたのです?」
「とりあえず、積んであった仕事は終わらせた」
「終わらせた!? こんな短期間で片付く量では無かったでしょう!?」
「彼らに協力してもらった。おかげで、これから俺はクラリッサの捜索にあたることが出来る」
アベルはトルエノに構わず立ち上がる。そして作業机に突っ伏したままのモンド、ブレア、ランスに「また改めて礼をしたい」と感謝を伝えた。
「そんな……お礼なんて構いません!」
「僕達はやっと、アベル殿下のお役に立てた気がするのです!」
「生徒会メンバーとして光栄です!」
仕事をやり切った三人は、なんとも良い顔をしている。疲れてはいるようだが、彼らの声色は充実感に満ちていた。トルエノがいない間に、アベルとの距離はずいぶんと縮まったようだった。
「クラリッサ嬢の捜索をされるのですか?」
「無事に見つかりますよう、お祈りしております!」
「アベル殿下とクラリッサ嬢、とってもお似合いでしたから……」
彼らの言葉に、アベルの動きがピクリと止まる。
「クラリッサ嬢と俺は、お似合い……だろうか?」
「えっ? あ、はい! とても!」
「打ち合わせをなさるアベル殿下とクラリッサ嬢は、まるで絵画のようだとメンバー間でも話しておりまして」
「いつご婚約なさるのだろうかと、賭け……予想していたのですよ!」
「そ、そうか……!」
アベルは笑顔こそ無いものの、わずかに頬を染め、満足そうにしている。
トルエノには見える。彼の後ろに、ブンブンと振り切れんばかりのシッポが。
(なんと分かりやすい……)
「アベル殿下、そのクラリッサ嬢ですが――」
おそらく、クラリッサを探すために急いで仕事を片付けたのだろうが、アベルが捜索する必要も無くなった。
彼女の居場所は分かる。カルボの町だ。クラリッサは町近くの湖で釣りをしながら、妹相手に女神のふりをしていた。
(さて、どのようにお伝えしようか)
しかし、いざとなるとこの事実を伝えることに躊躇した。
トルエノですら、湖で彼女を『女神』だと紹介された時、しばらく思考が停止してしまった。カロリーナが『女神』と崇拝していたのが、偶然にもクラリッサその人であったから。
突然学園を辞めて、王子を自暴自棄になるまで追い込んでおいて、何故こんな田舎で女神のふりなどしているのかと怒りさえ覚えた。
しかも話を聞いてみれば、クラリッサ達は家出などでは無く、一方的に子爵家を追い出されてしまったのだという。カルボの町ではクラリッサ自ら家事を行い、湖にいたのも食料として魚を得るためであったらしい。あまりに王都での暮らしとはかけ離れていて、聞いていて心苦しいものだった。
さらに……クラリッサは町の青年から求婚されていると言っていた。あの口ぶりからして、彼女は結婚に対して乗り気だったのだろう。結婚をして生活の基盤を整える、だなんて世にも恐ろしいことを言っていた。トルエノが止めなければ、あのまま求婚を受け入れていたかもしれない。アベルのことを思うとゾッとする。
(ああ……このような報告、したくないですね……)
だって目の前のアベルは浮かれきっている。絶好調だ。
そんな彼に面と向かって、事実を伝えるのが恐ろしかった。クラリッサが子爵家から追い出されたこと、カルボの町で求婚されていること。せっかく機嫌の良いアベルに、わざわざ伝えるのも酷な気がして――しかし伝えるべきでもあって。
トルエノはごくりと喉を鳴らして覚悟を決める。
「……あのですね。落ち着いて聞いて下さるとありがたいのですが。結論から申しますと、クラリッサ嬢を探す必要はなくなりました」
「どういうことだ? 家出から屋敷に戻ったのか?」
「違います。子爵の言う『家出』とはデタラメでした。彼女はフロレンシオ子爵家を追い出されています。弟と一緒に」
「何……?」
案の定、一気に室内の空気が凍る。
アベルの放つ怒気のせいで。
事実を伝えただけとはいえ、やはりこうなってしまった。絶好調からの落差が激しい。先程までの和やかな雰囲気から突然変わった空気に、モンド、ブレア、ランスが怯えてしまった。思わず同情する。
「トルエノ、それは本当か?」
「本当ですよ。クラリッサ嬢本人から聞いたのですから」
トルエノがそう答えると、さらに部屋の温度が冷えたような気がした。
アベルは鋭い眼光でトルエノを睨みつけてくる。
「なぜ、お前がクラリッサ嬢と?」
「そのような怖い顔はおやめ下さい、アベル殿下」
「まさか、俺に隠れて二人で会っていたというのか」
「偶然ですよ、本当に偶然、彼女を発見して話を聞くことができたのです」
「そんな偶然あるものか」
「それが、あるのです。驚きましたよ。私も妹とともに女神へ願い事をしようと思いまして、湖へ行ってみたら……噂の『女神』の正体がクラリッサ嬢だったのですから」
「なんだと……?」
なにも、トルエノは女神を信じていたわけではない。
けれど駄目元であっても、託してみたかったのだ。どこの誰も分からない女神とやらへ、「クラリッサ嬢が見つかりますように」と――幼馴染の恋心を思って。
まさか女神そのものがクラリッサであるとは、思いもしなかったけれど。




