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湖畔の女神①


 エルデリア王国のおとぎ話には、女神がいる。 

 悩める仔羊達の願いを叶えるという――その女神は、森深い湖畔に現れるそうだ。 

 月光の祝福を受けたような銀髪に、星屑のごとく輝く透き通った瞳、発光せんばかりの白い肌。女神の人智を超えた美しさは、どんな美女をも凌駕するらしい。

 

 しかし、クラリッサは知っている。

 湖に女神なんて存在するはずがないことを。



◇◇◇



 湖のそばに鬱蒼と広がる森、そのほど近くにカルボの町はあった。 

 カルボの町は、町民全員が顔見知りになるほどの素朴で小さな集落だ。連なるレンガ塀に、荷車のための砂利道、そして町の奥にはのどかな畑が広がる。

 三ヶ月間前から、クラリッサ達姉弟はこの町の外れで暮らしていた。


「あ、姉様おかえりなさい」

「おかえりなさいませ、クラリッサ様」

  

 湖から町へ戻ったクラリッサは、古い屋敷の扉を開けた。

 入口に、弟ローランとばあやの姿が見える。二人して、手も靴も泥まみれだ。朝から畑仕事に精を出していたローラン達も、つい先ほど切り上げて屋敷へ戻ってきたばかりらしい。 


「ローランとばあやもお疲れさま。どう? 畑の様子は」

「また、町長さまにダメ出しされたよ。こんな植え方じゃ苗同士が近過ぎるって」

「ふふっ。町長さまも、ローランに色々教えたくて仕方がないのね」

「だとしても、もっと優しく教えてくれたっていいのに。ものすごーく疲れたよ」


 ローランはぶつぶつと文句を言いつつも、三ヶ月間もの間、慣れない畑仕事を頑張ってくれている。傷一つ無かった美しい手も、毎日の農作業で荒れてしまった。

 

 クラリッサも、ようやく料理や洗濯という家事仕事に慣れてきたところだ。ローラン同様、爪の先まで艶々としていた指先はカサカサだった。手の皮とはこんなに固くなるものかと二人で驚いているところである。


「おいたわしや……クラリッサ様もローラン様も、本当ならこのような田舎でご苦労されるはず無かったのに。私ひとりではお役に立てず……」


 ばあやは、クラリッサとローランの手を見ながら大袈裟に嘆いた。シワだらけの目尻には、じわりと涙がにじんでいる。

 

「何を言っているの。ばあやが一緒に来てくれただけで嬉しいわ」

「そうだよ。むしろ僕達はばあやには感謝してもしきれないくらいなんだから」 

「当然でございます。わたくしは()()()より、クラリッサ様とローラン様に一生を捧げる覚悟でございますよ」


 決意も固く、ばあやは小さなこぶしを握りしめた。

 

  

 というのも、三ヶ月前。

 クラリッサ達姉弟(きょうだい)は、王都にあるフロレンシオ子爵家から出てきたばかりだった。

 ばあやの言う()()()――突然現れた叔父から、屋敷を追い出されてしまったためである。


 クラリッサの両親は三ヶ月前、馬車での移動中に事故に見舞われ、その命を落としたのだが。 

 両親の急死後、悲しみに暮れているクラリッサ達のもとへ、叔父は突然現れた。

 

『まだ君達には子爵家を任せられない』

『ローランはまだ子供だろう? だったら大人の力が必要なんじゃないか』

 

 父の弟を名乗るその男は図々しく屋敷に居座り、子爵家の今後についてあれやこれやと口を出し始めた。

 そしていつの間にか子爵家は叔父が継ぐことになり、クラリッサ達は有無を言わさず邪魔者扱いされるようになってしまったのだった。


『君達は他人。ここにいても仕方がないだろう?』

 

 問答無用でフロレンシオ子爵家から放り出されたクラリッサとローランは、ばあやに連れられてカルボの町へと辿り着いた。そして案内されたのが、実母の生家であるというこの屋敷だ。

 

 もう空き家となってからずいぶん長いようで、埃は積もっているし、所々に雨漏りする箇所さえあった。しかし寝具や食器などはそのまま綺麗に残されていて、かつて人が住んでいた気配は感じられた。

 

 使用人もいない、古く小さな屋敷。

 突然始まった、三人の田舎暮らし。

 フロレンシオ子爵家から持ち出すことができたのは僅かなお金と、実母の形見である指輪だけ。


 

 こうして、クラリッサ達の田舎暮らしは突然始まってしまった。

 まだまだ畑は軌道に乗らず、日々切り詰めた生活を送らなければならない。そんなクラリッサ達にとって、最も苦労しているのは毎日の食事だった。

 

「見て。帰りに、向かいのおばさまから野菜をいただいたの」

「やった! 久々にまともな食事にありつけそうだ」


 クラリッサは、湖で採れた魚と引き換えに、少しばかりの野菜を分けてもらっていた。

 育ち盛りの弟は嬉しそうだ。それもそのはず、このところは魚だけの日が続いたものだから。 

 

「もう魚はこりごりだよ。毎日、朝昼晩、魚・魚・魚……」

「残念ね、今晩も魚を焼くわよ」

「うええ……もういいよお……」

「何言ってるの、湖の魚はタダなのよ! 貴重な食材は、ありがたく頂かないと――」


 文句を言う彼を諌めながら、クラリッサはさっそく調理に向かおうとした。その背後で、ローランが何かを思い出したように呟く。

 

「……湖といえば」

「ん?」

「今日、行商人から王都の噂を聞いたんだけど。そこの湖に、女神様が現れたんだって」


『女神様』。

 クラリッサは思わず、動きを止めた。

 

「王都で……噂に?」

「うん。女神様は本当に少女の願いを叶えたらしいよ」

「へ、へえ。すごいわね」

「姉様、一体なにをしたの?」


 ローランは訝しげな目で、じっとりとこちらを見つめる。

 その口ぶりからして、彼は噂の『女神』がクラリッサであると確信を持っているようだ。

 

「な、なにをって……私は何もしていないわよ」

「嘘だ。絶対に姉様何かしたでしょ。町長さんも言ってたよ、『きっとクラリッサちゃんの事だよ』って。姉様が毎日のように湖へ行っているから、こんな噂になってるんじゃないの」

「誤解よ。私、釣りをしているだけだもの」 

「釣りをしているだけで、そんな噂になるもんか」

「……()()が、私のことを女神と勘違いしてしまったのよ……!」


 まずいと思いつつも、隠し通せなかった。残念ながら、クラリッサには心当たりがあり過ぎた。

 

 おそらく噂の女神の正体は、クラリッサ本人で間違いなかった。けれど当然、本物の女神などであるはずも無い。

 クラリッサは、フロレンシオ子爵家に生まれ十八年が経った正真正銘の人間だ。実母譲りの銀髪と、祖母から受け継いだブルーグレーの瞳。そして、いくら外にいても日に焼けることの無い青白い肌。

 美しいかどうかは置いておいて、特徴は女神とおおよそ一致する。母から譲り受けた金の指輪も、おとぎ話で登場する女神の指輪にそっくり。紛らわしいことこの上ない。

 

 そのうえ、湖でよく釣りをしているために、『湖畔』というシチュエーションまで整ってしまった。

 あの日もまさに、夕飯となる獲物を釣り上げたところだったのだが――



  

『湖畔の女神様……!』

  

 目撃者である美少女は、身体を震わせ感動していた。湖で、ただ釣りをしていただけの女に。


次回は明日の朝投稿予定です。

よろしければまたお立ち寄りください( ᷇ ᵕ ᷆ )

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