美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!
◆1
ある自然豊かな王国に、高貴な家柄の美しい姉妹がいました。
公爵家のご令嬢で、姉をリリア、妹をイリスといいます。
一つ違いの彼女たちはほんとうに仲が良く、少々お転婆な妹を、お姉さんが優しく面倒をみていました。
そして、しっかり者のお姉さんのリリアは、幼い頃から王子様の許嫁でした。
王妃様はすでに亡く、王様も病気がちでしたが、王子は健やかに育ち、元気いっぱい。
そんなアモス王子もリリア嬢も、すでに十八歳。
来月には、結婚式と披露宴が開かれることになっていました。
そして王子様は、結婚を期に、新国王として即位する運びとなっていました。
ところが、試練がいきなりやって来ました。
突然、美しいリリアが、奇病に罹ってしまったのです。
赤や黒の痣が、額や頬にできてしまいました。
綺麗に整った顔に、醜い痣がたくさん浮かび上がったのです。
突然の出来事に、公爵家は大騒ぎとなりました。
なんとか痣を誤魔化せないものかと、侍女たちを総動員して、リリアの顔に化粧を施しました。
ところが、いくら白粉を塗りたくっても、まるで空気を入れたボールのように、白粉を塗った肌から、たくさんのブツブツが姿を現わし、化粧をすればするほど、さらにお肌の状態が悪くなっていくようでした。
打ちひしがれたリリアは、部屋にこもりがちになりました。
妹をはじめ、家族のみんなも心配してくれました。
妹は侍女と交代しながら、優しくリリアを看病したものです。
ところが、リリアの病状は重くなる一方でした。
全身に痣が広がり、お肌が醜く爛れていきました。
特に、額に出来た腫れ物が、赤くなって、大きくなる一方でした。
さらに、生ものが腐ったような異臭が、身体から漂うようになったのです。
リリアの面倒をみる者はみな、鼻をつまむ必要があるほどでした。
しかし、疫病なのか呪いなのか、痣の原因はまったく究明できません。
手の打ちようがありませんでした。
結局、高名な医者や魔術師に診せても、「治療はできない」と言われる始末でした。
「このままでは、王子との婚姻は延期せざるを得まい……」
父の公爵閣下は苦渋の決断をし、その旨を王家に伝えます。
ところが、アモス王子は承知しませんでした。
すでに披露宴の案内は国内貴族をはじめ、諸外国の王侯貴族にも通達しています。
このまま結婚式と披露宴を中止するのは、王家の恥になると思ったのでした。
結果、アモス王子は、リリアとその家族の心情に構うことなく、自らリリアの寝室にズカズカと押し入りました。
リリアに痣ができたといっても、どうせたいしたこともあるまい、と王子はタカを括っていたのです。
部屋にこもったのも、結婚を控え、緊張しているんだろう、くらいに思っていました。
ところが、アモス王子はリリアの顔をひと目見た途端、
「おええええ!」
と嗚咽し、吐いてしまいました。
リリアの病はますます深くなっていました。
今では頬だけでなく、全身に赤い痣ができ、肌もすっかり黒ずんで、とても見られたものではありませんでした。
額に出来た腫れ物に至っては、真っ赤に膨れ上がり、今にも張り裂けそうでした。
「なんと穢らわしい。余は化け物を娶るつもりはない!」
王子様は顔を真っ赤にして、そのまま立ち去ってしまいました。
◆2
王子様がリリア嬢の病床を見舞いながらも、即座に踵を返し、退去なされたーー。
そうした噂が、あっという間に、巷で囁かれるようになりました。
それを期に、リリアに対する家族の応対は冷たいものになっていきました。
もとより母親は見舞いに顔を出したことはありませんでしたし、妹のイリスも姉の身体を濡れ布巾で拭いてあげる日課を取りやめました。
「伝染したら嫌だわ」
などと、妹からも陰口を叩かれるようになってしまったのです。
親しい身内の人々までもが、リリアに冷たい視線を投げつけるようになリました。
結果、リリアは女中部屋にまで追いやられてしまいました。
長年お仕えしてきた侍女頭だけが、リリアの許に食膳を運び、部屋を掃除してくれるだけとなってしまったのです。
それでも、病状と同じく、リリアを取り巻く環境は悪くなる一方でした。
父の公爵閣下は、娘、リリアのことを不憫には思っていました。
でも、王国の宰相でもある父は、政治的にも、これ以上、アモス新王の即位を遅らせるわけにはいきませんでした。
かくなるうえは、「リリアには身をひいてもらうしかない」と考えたのです。
幸い、公爵家にはもう一人、美しい娘ーーイリスがいます。
実際、貴族や国民にとって、今、強く求められているのは〈新国王の即位〉であり、アモス新王のお相手たる王妃が、リリアである必要はまったくありませんでした。
リリアの代わりに、一歳違いで、同じように美しい妹のイリスが王妃となっても、王家にとっても、公爵家にとっても、何ら問題はないのです。
問題があるとすれば、アモス王子自身が、これまで、リリアこそ、愛する婚約者ーー将来の妻だと思い、イリスはその可愛らしい妹程度に思っていたことだけです。
そしてイリスは、姉のリリアほど厳しい妃教育を受けていないので、少々奔放に振る舞うきらいがあるといったくらいでした。
結局、王様と公爵は相談し、醜くなった姉リリアの代わりに、妹イリスに、アモス王子のところに嫁がせることに決したのでした。
結果、王家からリリアに、婚約破棄が通達されました。
そればかりか、自分に代わって、新たに王子の許嫁になるのが、妹のイリスであると知らされます。
リリアは深い絶望の淵に叩き込まれました。
(酷い! 私の中身は、そのままなのに……)
婚約破棄通知の手紙を、リリアの許に持ってきたのは、妹のイリスでした。
「ごめんなさい、お姉さま。このようなことになるなんて……。
でも私、お姉さまに代わって、お家の勤めを立派に果たして参りますので、ご安心を」
これまでずっと、リリアは妹イリスと仲良しでした。
もっとも、わずか一歳違いでありながら、一方的にリリアがイリスの面倒を見ていたという格好ではありましたが。
リリアは幼い頃から妃教育を受け続けていたのに対し、次女である妹イリスは、いずれ他所の貴族家に嫁ぐものとして、かなり自由に育てられてきました。
食事の際、姉妹が顔を合わせても、お淑やかに振る舞うよう叩き込まれたリリアに対し、妹のイリスは好き勝手に振る舞い、テーブルマナーですら覚束なかったほどでした。
皮肉なことに、それがまた、両親に気に入られているかのようですらありました。
四方に聞こえた〈美人姉妹〉でしたが、そもそもの立ち位置が大きく違っていたのです。
とにかく、妹のイリスは感情をすぐ顔に出す性格で、今回、姉に向けての婚約破棄通知を手渡す際にも、喜びの表情を隠そうともしませんでした。
イリスはすぐに退室しましたが、勝ち誇った妹の顔が、目に焼きついて離れません。
リリアは悔しくて、婚約破棄通知の手紙を握り潰し、自分に言い聞かせました。
(妹はーーあの娘はいいのよ。もとより、ああいう娘だったのですから。
それでもーー)
リリアが思い浮かべる顔は、父上、母上ーーそしてアモス王子でした。
公爵家では、両親ともが、「将来は王妃になるのだから」と、姉にはいろんな課題を押し付けておいて、妹には「可愛い娘はお前だけだ」と可愛がる傾向がありました。
「あなたは、お姉さんなんだから、妹の面倒を良くみてーー」
と、リリアはいつも両親から言い聞かせられてきました。
王子からも、
「将来、僕の妻ーー王妃になるのだから……」
と言われ、あれこれと注文をつけられ、気を使わされ続けました。
それなのにーー。
いきなり婚約を破棄され、将来の王妃の座すらも、妹に譲り渡す羽目になるだなんて……。
リリアは唇を強く咬みました。
(今までの、あの苦難の日々は何だったの?
長年の苦労の結果が、この仕打ちだというの?
そんなの、納得いかない。
おかしいわよ、そんなの。
だいたい、王子も王子よ。
何年、付き合ってきたと思ってるの?
学生時代、学園祭の時に、王子は言ってくださったわよね?)
庭園を散歩しながら、笑顔いっぱいでアモス王子は言いました。
「結婚して、子供ができて、どんなに忙しくなろうとも、こうして一緒に公園を散策して、花を愛でる時間をしっかりとっていこう。
僕ら二人のために、世界はあるのだから」
と、そう言ってくれたじゃない?
それが外見が変わったからといって、この仕打ち!?
王子様と誓った永遠の愛の約束は、嘘だったの!?
醜い身体を引きずりながら、リリアは動き回りました。
両親のみならず、王様やアモス王子にまでも、その真意を尋ねて回ったのです。
その際、リリアは胸の内を全て打ち明けて話しました。
それでも、誰からも相手にされませんでした。
誰もが、変わり果てたリリアの顔から目を逸らせるだけ。
リリアにとって、自分には味方がいないと痛感するだけの日々となってしまいました。
その一方で、リリアから責められることを、みなが恐れ始めました。
特に、リリアのお母さんが、堪忍袋の緒を切らせました。
彼女はリリアお付きの侍女頭に命じました。
「親を困らせるような娘は、娘じゃありません!
あなたも、今後、リリアの面倒を見るのを禁じます。
親不孝な娘は、地下に閉じ込めてしまいなさい!」
それを期に、さらにリリアの扱いは酷くなりました。
リリアは地下牢に押し込められるようになったのです。
地下牢に閉じ込められて、一日に一度、一枚の皿に入った水と、硬いパンが、下人の手によって投げ入れられるようになりました。
しかも、逃亡されることを恐れて、両手両足を鎖で繋がれてしまいました。
そんなリリアは、犬のように皿の水を舐め、涙するしかありません。
病状は悪化し、すでに全身の皮膚が爛れて、身を起こす気力も湧かなくなっていました。
それでも、リリアの不幸は続きます。
両親と妹が、さらなる追い討ちをかけてきたのです。
リリアが奇病に罹ってから一ヶ月経った、満月の夜ーー。
妹と父親がやってきて、地下牢からリリアを引っ張り出しました。
下男に命じて、リリアを担がせ、そのまま、ロバが繋がれた車輪付きの荷台に乗せたのです。
父の公爵は顔を伏せ、正面から娘リリアを見てはくれませんでした。
醜く変わり果てた娘の顔を見たくなかったのです。
リリアは悔しくて、涙も出ませんでした。
母親は、見送りにすら来てくれませんでした。
妹のイリスは、父の傍らで、表向きは悲しげに涙を浮かべていました。
けれども、彼女の口の端がわずかに綻んでいたのを、姉は見逃しませんでした。
妹のイリスが鼻をつまみながら、荷台に乗せられたお姉さんに顔を近づけました。
「ごめんなさい、お姉さま。このようなことになるなんて……。
でも、恨まないでね。お家のためですもの」
姉の額に出来た腫れ物を目の前にしながら、一切、手に触れることなく、妹は笑顔をみせます。
そして、「もう行きなさい」と下男に金を握らせて命じました。
荷台には、リリアのほかにも、ゴミや家畜の餌も一緒に載せていました。
文字通りの「汚物扱い」です。
腐った匂いの只中で、リリアはしくしく泣きました。
荷車が向かった先は、〈投げ込み穴〉と通称されているところでした。
性病や伝染病にかかった売春婦や遊女を放り込む穴が、地面に大きく穿たれているところです。
「恨まないでくださいよ」
下男は、リリアをぐるぐると簀巻きにして担ぎ上げ、穴の中へと放り込みました。
リリアは悲鳴をあげることもできませんでした。
あまりの酷い扱いに、声を失っていたのです。
穴の底に落下した衝撃で、全身が痛みました。
今宵は満月ーー。
簀巻きになったリリアにとって、ただ眼だけが動き、周囲の景色を眺めることができました。
彼女の傍らにあったのは、人間の死体ばかりでした。
腐った死体。
乾涸びた死体。
白骨化した死体ーー。
リリアは両眼に涙をいっぱいに溜め、夜空を見上げました。
(私の中身は何も変わらないのに……。
身体が醜くなったというだけで、人々の態度がこんなにも変わってしまうだなんて……。
お父様もお母様も、そして妹もーーいえ、長く仕えてきた侍女たちまでもが、私を汚物でも見るかのような目つきになって……。
それに、アモス王子まで……。
今までの愛情は何だったのでしょう?
こんなにも浅い人間関係しか、私にはなかったのでしょうか?
ああ、もはや何も信じられない。
これ以上、生きていたくない。
もう死ぬしかないんだわ……)
リリアの身近に広がる世界は、腐った死体だらけで、陰惨を極めていました。
ところが、穴の中の様子に関係なく、夜空は美しい。
満月が白く輝き、星々が瞬く、美しい夜空が広がっていました。
星空に向かって、リリアは声を出して泣き続けました。
そして、翌朝ーー。
星空に代わって、朝日が輝く青空が広がっていました。
陽光を浴びて、リリアが目を覚ますと、すぐ目の前に、鳥がいました。
額にできた大きな腫れ物の上に、白い鳩がとまっていたのです。
気づけば、穴の上から声がしていました。
「おや、まあ! 生きている人がいるのかい!?」
おばあさんが顔を出し、穴の中を覗き込んでいたのです。
おばあさんは呪文を唱えて杖を振ります。
すると、リリアの身体は宙に浮かび、そのまま穴の上へと昇っていきました。
次いで、おばあさんは、紐をほどき、簀巻きの状態からリリアを解放したのです。
おばあさんはリリアの腫れ上がった額や痣だらけの身体にまったく怯むことなく、頭を撫でてくれて笑顔をみせました。
「私は呪術師パリスーー魔術師のお仲間みたいなものだ。
不幸な女性の供養のために、たまにここに来るのだがね。
今日はペットの鳩が思わぬものを見つけたよ」
おばあさんの足元に犬もいました。
ふさふさのけむくじゃらの、丸くて真っ白な犬です。
おばあさんは犬の散歩も兼ねていたようでした。
その犬が近づいてきて、リリアの顔を舐めました。
(ああ、優しいーー)
人間とは違い、犬はまっすぐリリアをいたわり、癒そうとしてくれました。
その事実に、リリアは感動しました。
こうして、リリアは九死に一生を得たのでした。
◆3
不幸なリリア《お姉さん》は、呪術師のおばあさんのおかげで、〈投げ込み穴〉から救出されました。
それでも、苦難は続きます。
リリアを匿ってくれたおばあさんが住んでいた場所は、隣国との国境線上にあるような、王国のハズレに位置する森の中でした。
辺鄙なところでしたが、森で採取した野菜やきのこを食べることはできました。
それでも、人間社会の中では、リリアに居場所はありません。
痣だらけの容姿は、誰からも目を背けられました。
森近くの村人たちからも気味悪がられ、白い眼を向けられます。
その白い眼は、リリアだけでなく、リリアを保護している呪術師のおばあさんにまで向けられる勢いでした。
これ以上、助けてくれたおばあさんに、迷惑はかけたくないーーそう思ったリリアは、あてがわれた部屋にこもったまま、まったく外に出てこられなくなってしまいました。
「死んでしまいたい……」
そうリリアは、何度も口にしました。
リリアがそう言うと、呪術師パリスは明るく笑います。
「私も貴女様と同じように、実家から疎まれ、追い出された女です。
呪術なんかに没頭した報いーーなんだそうで。
ですが、私は何も間違ったことはしていない、と自負しております。
ですから、私と同じように、何も間違っておられない貴女様には、なんとしても立ち直っていただきたい。
せめて、自分自身を愛する心を取り戻していただきたいのです」
呪術師パリスは、一つのガラス小瓶を、懐から取り出しました。
赤い液体が入っていました。
「もし、貴女様に、生命を賭けて人生を立て直す覚悟がおありなら、私が調合した、このポーションをお飲みください。
いろんな呪物から抽出した〈呪いの塊〉とも言うべき液体ですが、強力な毒や呪いを打ち消す力があります。
強い効果を持つポーションですから、もしかしたら生命を落とす可能性もあります。
けれども、もしかしたら、貴女様のご病気にーーもしそれが〈呪い〉であればなおのことーー効き目があるかもしれません。
一か八か、試してごらんなさい」
リリアは、呪術師の目が真剣であるのを読み取り、その小瓶を手に取りました。
「今の私には、もはや大事なものなど、何もございません。
貴女の呪いの実験体に、喜んでなって差し上げますわ!」
リリアはそう言って、小瓶に入った赤い液体を一気に飲み干しました。
◆4
リリアがおばあさんからもらった〈呪いの塊〉を飲み干してから、一週間ーー。
王都では、王子とイリスとの婚約祝いが盛大に催され、お祭り騒ぎでした。
その一方で、リリアは暗い部屋の中で、生死の境を彷徨っていました。
はじめは、目も開けられず、暗がりでもがき苦しむばかりでした。
耳鳴りもしました。
周りを見渡しても、景色がぐるぐる回るだけでした。
ところが、日が経つにつれ、目を開けても、視界がぐるぐる回転するのが止まり、吐き気も次第に落ち着いてきました。
お粥や果物といった食べ物が、少しずつ食べられるようになってきました。
そんな頃、リリアの身体に変化が現われました。
手を見たり、足を見ると、痣がすっかりなくなっていたのです。
皮膚の爛ればかりか、黒ずみもなくなっていました。
半月もした頃には、リリアの方から呪術師に向かって会話を求めるようになりました。
呪術師パリスが顔を出した頃には、まだ完全には呂律が回らないながらも、リリアは会話ができるようになっていました。
リリアとパリスは、いろんな雑談をしました。
「どういう花が好きか」
といったたわいもないことから、
「これから先、健康になったら、何がしたいのか」
とか。
リリアが「お花屋さんでも開きたい」と言ったら、老呪術師パリスは笑いました。
「なんと可愛らしいこと。
とても元王妃候補とは思われませんよ」
「そうかしら?」
リリアは微笑むゆとりを持つことができました。
病が癒え、活力を取り戻し始めたのです。
そして、さらに一ヶ月後ーー。
森の中の一軒家から出て、リリアは陽のあたるところに姿を現わしました。
籠り部屋があった建物のすぐ外には、草原が広がっていました。
リリアは身体いっぱい朝陽を浴びました。
草原を少し歩くと、透き通るように綺麗な水を湛えた小川が流れていました。
「このような所で、裸になるのはーー」
躊躇するリリアに、パリスは笑いました。
「この婆しか、周囲にはおりませんよ。 さぁ!」
と言って、いきなりリリアの衣服を脱がせました。
リリアにしても、たしかに水浴びをしたい気分でした。
川のせせらぎのもと、水浴びをします。
呪術師は水面を指さしました。
「ほら、ご覧なさいな」
「まぁ!」
水面に写る自分を見たら、全身がキラキラと白く輝いていました。
病は綺麗に治っていました。
痣も出来物も、腫瘍もありません。
リリアは、すっかり元の姿に戻っていたのです。
ですが、ただ、一つ、まるで変わっていないところもありました。
額にあった大きな腫れ物だけが、相変わらずでした。
いえ、むしろ、さらに大きくなっているほどでした。
「これは……?」
再び、白い鳩が現われて、リリアの頭上を旋回します。
やがて、雲間から強い光が照射されました。
その途端、リリアの額に浮かび上がった腫れ物が、横に裂けました。
そして、境目が自らの力で開かれたのです。
まるで、瞼のようにーー。
そう。
彼女の額に、紅い眼が現われたのでした。
意識すれば、瞬きができます。
明らかに、もう一つの眼がーー〈第三の眼〉が、リリアの額に出来あがっていたのでした。
それを知って、リリアは絶望しました。
またこれからも、人目を避けて、引きこもらなければならないのかと思ったのです。
ところが、呪術師の反応は、リリアが想定するものとは、大きく違っていました。
「これは、この森の神様ーー〈三つ眼様〉にそっくりです!
ーーいえ、これはーー間違いございません。
神様が貴女様を癒したに違いありません。
やはり、貴女様が罹ったのは、病でも呪いでもなかったんです。
聖なる力を受けた結果出来た、〈聖なる刻印〉でしたわ。
貴女様こそ、次代の聖女様でございます!」
リリアは知りませんでしたが、王国の辺境では、〈三つ眼信仰〉というのがありました。
王国が建国されるよりも古き時代ーー。
病が蔓延したとき、すべての生きとし生けるものを癒してくださった女神様がいました。
その女神は、額に大きな一つの眼を持っていたというーー。
呪術師のおばあさんが、リリアに恐る恐る尋ねてきました。
「その三つめの眼から、いかなる世界が、お見えになっておられましょうか?」
リリアは小首をかしげて答えます。
「うまく言い表せないんですけど、この大地を、斜め上から眺めるようなーーそんな感じです」
「では早速、その額の眼から地上を見そなわしてくだされ。
そうですねーーまずは、この手前にある樹木をご覧になっていただけませんか?
この枯れた樹木です」
その樹木は虫に食われ葉も繁らなくなり、今ではキクラゲが大量に生えていて、伐採を余儀なくされようとしていました。
ところが、リリアが〈額の眼〉からそれを眺めた途端、天空から光が注がれたのです。
すると、みるみると樹木が蘇っていくではありませんか。
老呪術師パリスは歓声をあげました。
「まさに神のお力!」
リリアも嬉しかった。
「私、これからやるべきことを見出しましたわ。ありがとう。おばあさん!」
リリアが歩くたびに、周囲にあった枯れた草花が蘇っていきます。
そうと知ったリリアは、おばあさんに案内され、森の外れにある療養所を訪れました。
実際に、人間の病を癒せるかどうか、確かめたかったのです。
リリアが微笑みを浮かべたら、不治の病に苦しんでいた人々が癒され、たちどころに立ち上がって歌い始めました。
心臓が止まって療養所に担ぎ込まれた人ですら、元気に立ち上がったのです。
リリアは死者すらも蘇らせました。
まさに奇蹟でした。
「生き神様だ!」
と村人からも、リリアは崇められるようになりました。
リリアが村人の前に立つと、みなが恭しくひれ伏します。
彼女が歩くと、その後ろに、ぞろぞろと村人たちがついていきました。
実際、リリアの能力は凄まじいものでした。
〈第三の眼〉を使えばーー
無数の草木の中から、薬草を見抜くことができました。
一目見ただけで、人の余命がわかりました。
呪いを見破り、浄化することもできました。
魔物が放つ瘴気を祓うこともできましたーー。
村人だけではなく、数多くの旅人たちも助けました。
その結果、『森には、素晴らしい聖女がおられる』という噂が広まっていきました。
王都中央にまで〈リリア聖女伝説〉の噂が届くのに、さほど時間は要しませんでした。
◆5
辺境に〈三つ眼の聖女〉が現われた。
なんでも、どのような病をも癒してしまうらしい。
しかもその聖女は、元は王妃様になる予定の娘だったらしいーー。
そういった噂が王都にもたらされたのは、アモス王子とイリスが婚約の儀を盛大に催してから三ヶ月ほど経ってからのことでした。
噂に引き寄せられるかのように、多くの人々が辺境の森へと足を運び始めました。
なかには、元内務大臣や政務官のような高貴な身分でありながら、見聞に行く者も現われました。
実際、身分に関係なく、不幸と言うものはあるものです。
病は言うまでもなく、事故で怪我をしたり、家族間の不仲や、領民とのいざこざ、親族との権力争いなど、高貴な身分であればあるほど、悩み事は増える一方でもあります。
本来なら、そうした王国臣民の不満を解消するのは、王政府の勤めでした。
ところが現在君臨する王様は年老い、近々即位するアモス王子の評判は悪化する一方だったのです。
王子が不人気になったのには、様々な原因がありました。
不景気や、農作物の不作といったこともありましたが、なんといっても新しい婚約者イリスが、前婚約者のリリアよりも、貴族からも一般大衆からも嫌われたことでした。
婚約が盛大に祝われてから数ヶ月もすると、熱気が冷め切ってしまったのです。
妹のイリスは政務には暗いし、儀式では無作法。貴族からは失望されました。
街の祭りにも顔を出さず、国民の暮らしに関心がないのは、すぐに知れ渡ってしまいました。
なにより、本来、婚約者であったリリアが婚約破棄された挙句、実家の公爵家からも追放されたのに、その理由が明かされないままだったので、あまりに酷いのではないか、と国民から不審に思われたのが大きな原因でした。
しかも、そのリリアが今では辺境の地で〈聖女〉となって活躍しているというのです。
王家はいったい、なにをしているのか!?
そうした不満が、貴族や大衆の間で湧き起こってきたのでした。
もちろん、リリアが〈聖女〉として崇められるという事態は、リリアの実家である公爵家の父母も、そして次期王妃と目されている妹イリスも面白くありませんでした。
自分たちが捨てた娘・姉が〈聖女〉として人々から讃えられるようになっては、後ろめたい気持ちが抑えられなくなるからです。
その一方で、婚約破棄をした当人であるアモス王子は、意外と楽観的でした。
あまりの醜さゆえ忌避したものの、リリアとは幼馴染として長らく付き合ってきたという自負がありました。
いつも彼女は自分を支えてくれたーーそういう思いがありましたから、ここはひとつ、声でもかけて、寄りを戻せば良いではないか、と気軽に思っていたのです。
それゆえ、ついにアモス王子自らが、辺境の森にまで足を運ぶ仕儀となったのです。
アモス王子は「鹿狩りに興じているうちに、森を分け入って遠出してしまった」という体裁で、辺境の森にまでやって来ました。
真実を言えば、公爵家令嬢リリアの病が癒え、今では〈奇蹟を行なう聖女様〉として生きている、という噂を確かめに、わざわざ国境の僻地にまで来訪したのです。
リリアが婚約破棄されて、すでに半年以上経っていました。
それなのに、王子は馬上で呑気に算段していました。
「リリアが元通り、美しい容姿となっているのならば、改めて王妃に迎え入れるのもやぶさかではないな……」
噂によれば、リリアは神々しいほど美しくなったというではないか。
なんなら、今度は妹イリスとの婚約を破棄して、リリアと結婚するのも悪くない。
いまだ婚約段階なのは助かったーーと、王子は胸を撫で下ろしてすらいたのです。
リリアに代わって許嫁となった妹イリスは、あまりに教養が足りなく、作法もなっていませんでした。
完璧な教養と作法を身につけていた姉と比べたら見劣りしすぎるのが問題で、王宮に勤める誰もがリリアの喪失を残念がる事態となっていました。
王子は元婚約者を、かつての美貌が取り戻せているなら、なんとしても王都へ連れ戻す魂胆だったのです。
リリアの住まう〈聖女の館〉は、鬱蒼とした森の中にありました。
そこへ王子がお忍びで訪問し、リリアとじかに対面する運びとなりました。
王子は応接室に通され、ソファーに腰掛けました。
すると、呪術師のおばあさんに導かれて〈聖女リリア〉が姿を現わしました。
額に布を巻くことによって、〈第三の眼〉を隠した姿でした。
おかげで、アモス王子から見れば、リリアの姿は、病にかかる前の、美しい容姿そのままでした。
いや、それどころか、あの頃より、ひときわ肌が光り輝いているように見えました。
金色の髪も、磨き上げられたかの如くキラキラと輝いています。
元婚約者の、あまりの美しさに、王子は心を打たれました。
王子は席を立ち、胸に手を当て、お辞儀をしました。
「リリア。病が癒えたようで、なによりだ。
やはり、そなたは美しい」
リリアは優しく微笑むのみ。
それを良いことに、アモス王子は一方的に捲し立てました。
「さっそく〈聖女〉として、そなたを王宮に迎え入れよう。
なに、案ずる要はない。
妹が目障りだと言うのなら、そのほうを再び王妃として迎えてやっても良い。
さぁ、私と共に、王都へ戻ろうではないか」
王子は立ち上がって、手を差し出し、エスコートを試みました。
が、リリアは椅子から立ち上がろうとしません。
「どうした、リリア。なぜ従わぬ?」
強引に引き寄せようとするも、弾かれました。
リリアは、無言のままに顎をしゃくります。
すると、呪術師パリスが、リリアの額から巻かれた布を解き放ちました。
〈第三の眼〉が大きく見開かれていました。
リリアは厳かに言い渡しました。
「アモス王子。
私はもはや以前のリリアではなくなったのです。
邪な心の者には近寄れない身体になっていますので、悪しからず」
王子に対して、面と向かって「邪な心の者」と断罪したのでした。
王子にとっては人生初の屈辱でした。
思わず、上擦った声を上げました。
「余はともかく、父王様も、公爵閣下も、そのほうの里帰りを心待ちにしておるのだぞ」
「私に実家などありません。
あのような者ども、もはや親でも妹でもございません」
聖女リリアは椅子に腰掛けたまま、澄まし顔でした。
「アモス王子。
貴方様の心は、病に冒されて爛れた皮膚よりも、ずっと穢れております。
私は貴方様を王の器〈うつわ〉とは認めません。
お下がりください」
アモス王子は顔を真っ赤にして立ち上がりました。
「将来の王である余に向かって、なんと無礼な!
下手に出れば、大きく出おって。
後悔するぞ!」
王子は椅子をひと蹴りしてから、踵を返して館から出て行きました。
こうして、元婚約者同士の会見は、まったくの破綻で幕を閉じたのでした。
◆6
アモス王子としては、自分の方がリリアを捨ててやった、ぐらいの心持ちでした。
ところが、居合わせた人々の理解は違っていました。
瞬く間に、噂が駆け巡ります。
「王子が聖女から見捨てられた」と。
王都中央にまで、その噂が広まるのに、さして日数はかかりませんでした。
王宮に戻っても、王子は不貞腐れまま押し黙っていました。
が、噂を耳にした妹イリスは、甲高い声で叫びました。
「三つ眼などと、なにが聖女ですか。
そんなもの、化け物ではありませんか!」
イリスは激怒していました。
王子が「鹿狩りに行く」とは聞いていましたが、まさか姉のリリアに会いに行くのが目的だったとは知らなかったのです。
挙句、自分との婚約を破棄して、元の鞘に収まるよう王子から提案し、あまつさえ、その提案を退けられて、這々《ほうほう》の体で逃げ帰ってきたというではありませんか。
王子も、姉も許せませんでした。
彼女は父の公爵や、懇意にしていた司祭を巻き込み、王宮や教会に働きかけました。
「たとえ辺境の地域であっても、怪しげな〈三つ眼信仰〉など、許しておいて良いものでしょうか」と。
もとより、〈三つ眼信仰〉は、王国の国教で異端とされた土俗信仰でした。
これ以上、異教の信仰を野放しにして、王国に広められてはたまらないーー。
教会の扇動もあって、「三つ眼の化け物を討つべし!」という世論が、教会や王宮で醸成されました。
そして、その世論に押される形で、王様は、王国騎士団を辺境に派遣するよう決定したのです。
何千もの騎士で組織された軍隊が、僻地の森を討つ準備を始めました。
そうした矢先ーー。
突如、王都中央で、疫病が流行りはじめたのです。
リリアが罹った、あの謎の病でした。
顔や手足に、赤いブツブツができたと思ったら、それが瞬く間に全身に広がり、やがて皮膚全体が黒ずみ、ただれていくーー。
当然、健康は失われ、全身から力が抜けたかのような感覚に襲われます。
常時、眩暈がして、吐き気すら感じられるようになります。
そのような病が、恐るべき勢いで王都に蔓延し始めたのでした。
辺境の森へ、討伐隊を差し向けるどころではなくなりました。
あっという間に、王都の医療施設には、どうにもできない患者で溢れ返ってしまいました。
王都に住まう誰もが思いました。
これは単なる疫病ではない、と。
もしかしたら、何者かによる強大な〈呪い〉なのではあるまいか。
しかも、これほどの力強い呪いとなると、その呪いに正当性があり、神様がお力添えをしているのではないか。
とすれば、この呪いを解くことは難しいーーと。
公爵家の侍女頭が秘密を暴露したのは、王政府への不満が昂じる最中のことでした。
「現在、王都に蔓延している疫病は、公爵家のご令嬢リリア様が罹ったご病気と同じものです。
リリア様のご病気を治せないからといって、アモス王子は婚約を破棄し、公爵家もリリア様を死者同然の扱いで追放なさいました。
ところが、そのリリア様が天啓を受け、〈聖女様〉とおなりになったのです」と。
不穏な空気が漂う社会において、人々は噂しました。
王国に疫病が蔓延したのは、〈三つ眼様〉ーー〈聖女様〉となられたリリア公爵令嬢の祟りだ、と。
アモス王子が、外見の醜さを忌避して、聖女様を追い払った報いなのだ、と。
病の勢いに貴賎はありません。
王都民が病に苦しみ出した頃、王宮に仕える貴族たちにも罹患者が続出しました。
王子は恥も外聞もなく、リリアを辺境の森から呼びつけようとします。
「リリアに命ずる。王都での病の蔓延を食い止めよ。
この呪いにも似た病を駆逐できたならば、そのほうに〈王都守護者〉の地位を授けよう。
教会には文句を言わせぬから、安心せよ」
そうした意向を記した手紙を何度も早馬で送りつけました。
が、リリアは森の中から動こうとはしません。
アモス王子は地団駄を踏んで、苛立ちを募らせます。
とはいえ、謎の病を相手に、どうすることもできません。
そのうちに、最も懸念していたことが起こってしまいました。
王子自身が、呪いのごとき疫病に罹ってしまったのです。
こうなると、居ても立っても居られませんでした。
自分が助かりたい一心で、リリアのいる森へと駆け込みたいくらいの気分でした。
が、病に臥せって三日もすると、もはや騎乗する気力すら湧かなくなっていました。
しかも、王子自身の、痣だらけの醜くい姿を、万が一、王国臣民に目撃されたらと思うと、森へと行きかねました。
婚約者が醜くなったら追放したくせに、自分自身が醜くなったら、その元婚約者に助けを乞うなどと、よくやれたものだ。
しかも、何百、何千もの国民が病に苦しむ最中、自分だけが助かろうとするのか。
それでも次期国王といえるのかーー。
そうした悪評がたてば、将来の統治に支障をきたす。
それぐらいの判断はできました。
ところが、自身が病を得てから一ヶ月以上も、リリアが上京しない状態が続くと、さすがに堪忍袋の緒が切れました。
王子は強行な命令を発したのです。
「これ以上、リリア側からの音沙汰がないのならば、近衛騎士団を差し向け、辺境の森を焼き払え!」
王子は痺れを切らせて、脅しをかけたのです。
とはいえ、王政府ーーさらには王子自身への反感が渦巻く現況にあって、近衛騎士団が実際に動き出すとは思われません。
人々からは無謀な賭けにしか思われず、実際に近衛騎士団は動きませんでした。
ところが、案に反して、脅しが効いたのか、リリアの許から呪術師が王都に派遣されてきました。
老呪術師パリスです。
彼女はリリアの病を癒したとの評判でした。
◆7
老呪術師パリスを自室に招き入れ、アモス王子はベッドから半身を起こして問いました。
「全身が痒い。
皮膚も爛れる一方だ。
眩暈もする。
これ以上、醜く、弱り果てるのは耐えられぬ。
いったい、リリアはどのようにして、この病が癒えたのか?」
「このポーションを服用したのでございます」
おばあさんは赤い液体が入った小瓶を取り出しました。
王子は喜色満面になって、小瓶に手を出します。
が、その動きを押し留め、呪術師パリスは警告しました。
「このポーションは薬というよりは、毒に近いものでございます。
幾つもの魔獣や呪物から、何年にも渡って集積させた〈呪いの塊〉なのです」
「しかし、リリアは、あのように美しくなっておったではないか」
「あれで生きておられるのは、聖女リリア様が〈三つ眼様〉のお力が顕現する〈器〉であられたからです。
〈呪いの塊〉を服用すれば、どの人物でも、病が癒えるというわけではありません」
「ふむーーでは、こうしよう。
幸いにも、街中であろうと、王宮内であろうと、病に罹患したものは無数におる。
試しに、その者どもに服用させ、実験してみればーー」
「そのように仰せになっても、このポーションの数は少うございます。
一つ精製するのに五、六年かかりまして、現在は二つしかございません」
そこへ甲高い声が飛び込んできました。
「二つあれば、十分じゃない!?
王子と私が服用すれば良いのよ!」
イリスが押し入って来たのでした。
呪術師パリスの来訪を知って、王子の寝室にまで駆け寄せてきたのです。
「二つであれば、王子である余と、父王様がーー」
と王子は抗弁しましたが、未来の王妃様から断言されてしまいました。
「王国にとって大切なのは、過去ではありません。これからの未来です!」
王子は苦い顔をするしかありません。
(そのほうは、いまだ妻ではない。
いつでも破棄できる婚約者に過ぎない。
それに、そもそも、そのほうはまだ病に罹っておらぬではないか……)
だが、そうした内心は口にできません。
つくづく、リリアとの婚約を破棄したのは軽率だったと、王子は悔やみました。
せめて、彼女の病が癒えるよう手を尽くしてから、行動すべきであった、と。
あのときは、彼女のあまりの醜さに驚いてしまった。
が、今では、自分自身が醜く成り果ててしまった。
イリスを見てみろ。
今も、婚約者である余から、目を背けておるではないか。
貴重なポーションを、この女に渡したくはないーー。
それが王子の本心でした。
ですが、今は王子自身の身体も儘なりません。
ベッドから身を起こすだけで、疲労困憊するありさまでした。
このまま、ポーションを二つとも強奪されてはかなわない。
(すべては、余自身の病が癒えてからだーー)
アモス王子は、そう考えました。
赤い液体が入った小瓶を寝衣の懐にしまうと、呪術師パリスに、もう一つのポーションを許嫁のイリスに与えるよう命じました。
それから、すぐに王子とイリスは、それぞれの部屋にこもりました。
特に、イリスは王子から病を移されたくないので、王宮内に特別にあてがわれた部屋にこもり通しでした。
王子の寝室に突撃したのは、呪術師パリスの来訪を知ったからにすぎません。
王子はイリスに小瓶を一つ渡して寝室から追い払うと、人払いをして、独りで思案しました。
〈呪いの塊〉の効果が強力で、ともすれば人の生命を奪うというなら、このポーションは〈薬〉というよりも〈劇薬〉といった類だろう。
だったら、大事を取って、少量づつに小分けして服用すれば良いのではないか?
この小瓶に入った、わずかな液体を十回に分けて、飲んでみようではないか。
そう思い至ったアモス王子は、小瓶をゆっくりと傾け、小皿にちょっとずつ垂らしました。
そうして、小分けにして、ごく少量だけ、舐めてみました。
ほんの数滴分の液体なのに、思いの外、苦く感じられました。
でも、効果がすぐさま現われ始めました。
喉や胸にあった痛みが、スッと消えたのです。
(これは、想定以上に、速やかに回復に向かうのではないか?)
王子は期待してベッドに横になり、ぐっすりと眠りました。
ところが、翌朝、王子の目覚めは酷くなっていました。
案に反して、昨日よりも、さらに体調が悪くなり、苦しくなっています。
視界がどんよりと赤く染まっていました。
いつものように起床の鈴を鳴らして、侍女を呼びつけます。
「そのほうから見て、余になにか異常はないか?」
「目が赤くなっております」
「そうか……」
王子はゼイゼイと荒く息をする。
少しも体調が良くなっていませんでした。
しかも、ただでさえ苦しい状況なのに、王子はさらに追い詰められます。
侍女が退室するに当たって、丁寧に頭を下げつつ言い放ったのです。
「王子に長らくお仕えして参りましたが、これでおいとまさせていただきます」
「なんだと!?」
「私が病を家に持ち帰るわけにはいかないのです。
幸い、夫はいまだ壮健ですが、老いた義父母も、幼い子供もいるのです」
「貴様、侍従の分際で、病に苦しむ主人を見捨てるのか!?
そのほうがおらぬようになれば、余の食事は誰が運んでくるのだ?」
侍女は溜息を吐きながら、首を横に振りました。
「王子こそ、病を得て醜くなったからと、あれほど仲の良かった許嫁のリリア様を見捨てたではありませんか。
王宮内でも、どれだけの者が心を痛めたかわかりません。
まして、代わりに婚約なされたのが、あのような女性となると……。
このような時期に長年仕えた王宮を去るのは心苦しいですが、王子様の場合は自業自得でございましょう」
侍女は頭を下げて立ち去っていきました。
その姿を目にして、王子の脳裡に浮かんだのは、元婚約者リリアの言葉でした。
『私は貴方様を王の器とは認めません』
ギリギリと胸が痛む。
結局、王子はそれから数日かけて、〈呪いの塊〉を小分けにして飲み続けました。
しかし、結果として、病状の進行を止めることはできませんでした。
チビチビとポーションを飲み続けた王子は、よけいに病状が悪化しただけでした。
◆8
一方、イリスは王子よりも、よほど強かでした。
彼女は王子とは違って、いまだ病に罹っていません。
それなのに、耳聡く、呪術師パリスの来訪を知って、〈呪いの塊〉とも称されるポーションを手に入れると、病に罹る前に、予防として服用しようと決めていました。
イリスは、病に冒された姉の惨めな姿を目にしています。
ですから、自らの美貌がいったんでも失われないために尽力すると決めていたのでした。
呪術師パリスが語ったところによると、姉のリリアはポーションを一気に飲んだらしい。
それから一週間以上、苦しみながらも病と戦い抜き、さらに一ヶ月以上かけて体調を回復させ、以前にも増した美貌を獲得したという。
(私も一気に決めてやるわ。
額に眼が出来たって構うものですか。
私もお姉様みたいに〈聖女様〉になって、大勢の男どもを傅かせてやるんだから!)
〈呪いの塊〉とも称されるポーションを、イリスは一気に飲みました。
とたんに強烈な吐き気を催し、視界がぐるぐると回転します。
そして、あっという間に、昏倒してしまいました。
彼女がボンヤリとした視界とともに目を覚ましたのは、それから三日後のことでした。
これで、私は疫病に打ち勝つ力を得たーーとイリスは信じていました。
意気揚々と起きあがろうとします。
ところがーー。
身体を起こすことができないくらい、全身に力が入りませんでした。
おかしい。
立ち上がって姿見の鏡の前に立ちました。
鏡に写る自分の身体を目にした途端、イリスは悲鳴をあげてしまいました。
「いやああああ〜〜!」
全身に真っ赤な痣が浮き立ち、肌がすっかり黒ずんでいるではありませんか!
まさにあの病気に罹った者の姿でした。
姉がこうなったさまを眺めて、内心、ほくそ笑んだーーその姿そのままでした。
「どうして!? なんで、私が病気に罹ってるわけ!? 予防したのに!」
彼女の叫び声を耳にして、部屋に入ってきた女性がいました。
リリアとイリスの実母、公爵夫人でした。
イリスは渾身の力を込めて母親のドレスの裾を掴んで、泣きじゃくりました。
「お母様!
お母様が、呪術師のポーションなら予防できるっておっしゃったのよ!
なのに、これはなんなの!?
そもそも、この呪いは、お姉様にのみ向かうんじゃなかったの!?」
娘の剣幕に押し切られ、母親は頭を振るばかり。
「わからない。わからないわ。お母さんも、まさか、こんなことになるなんて……」
じつは、公爵夫人は、実の娘であるリリアに対して、暗い陰謀を働かせていたのです。
リリアが病を得たのは、母親の企みのせいでした。
公爵家お抱えの呪術師に命じ、呪物を使ってリリアを呪ったのです。
このとき、実の母親でありながら、公爵夫人は暗い笑みを浮かべたものでした。
彼女は、なんでも澄まし顔で課題をこなす長女リリアが憎らしくて仕方なかったのです。
そして、このままリリアが王妃になれば、今後は母である自分が頭を下げなければならなくなるーーそれが我慢ならなかったのです。
その一方で、妹のイリスが王妃になるのは、一向に構いませんでした。
所詮、イリスは私に泣きつくしかできない娘なのだから、たとえ王妃になっても、心ひそかに優越感を抱き続けることができる。けれども、姉のリリアは少し痛い目を見るほうが良いーーそう思って、呪術師に呪わせたのでした。
結果、思った以上の効果を発揮して、リリアは醜くなり、婚約破棄の運びとなりました。
公爵夫人は即座に呪術師を処分して、後顧の憂いを断ちました。
でも、病に冒されたリリアの執念は凄まじいものでした。
婚約破棄に同意し、あまつさえ妹に肩替わりさせたことを、危機迫る形相で詰られてしまいました。
実の母親として、耳が痛くて仕方ありません。
だから、夫にうまく言って、リリアを家から追い払ったのです。
地下牢から引き摺り出して、死体として処分させたーーそのはずでした。
(なのに、どうしてーー?)
困惑する公爵夫人に、イリスは泣いて縋りつく。
「私は病に罹って醜くなって、お姉さまは病が癒えて〈聖女様〉って呼ばれて!
お母さんはそれで良いの!?
私だけが可愛いって言ってくれてたじゃない!?」
痣が浮き立つ顔を涙でクシャクシャにして、イリスは母親を詰ります。
公爵夫人はサッとドレスの裾を翻しました。
「知らないわよ。
もう、アンタは手に負えません。
せっかく婚約者に収まっているのだから、王子になんとかしてもらいなさい!」
公爵夫人は逃げるように王宮から立ち去ってしまいました。
イリスは甲高い声で絶叫しました。
「姉さんばっかし、ずるい!」
が、どんなに叫ぼうと、後の祭りでした。
◆9
王都で病が蔓延してから半年ーー。
病によって全身に痣ができ、皮膚が爛れ、息ができなくなっても、なかなか死なないうえに、治療法も存在しません。
病を得た家族を抱え、絶望した王国民は王城に殺到し、怨嗟の声をあげました。
その頃には、かつて〈聖女リリア様〉の討伐を呼号した教会は、逆に信徒たちによる襲撃に遭っていました。
公爵邸も、すでに群衆によって焼き討ちされていました。
王国を未曾有の危機の落とし入れた疫病の蔓延ーーこれはひとえに、アモス王子が軽々しくリリア嬢との婚約を破棄したせいだ、と王国民の誰もが思っていました。
そしてこの呪いを解くことができるのは、今や聖女となった〈三つ眼様〉の聖女リリア様のみと、誰もが信じていました。
弱り果てた王様は、王家の存続を賭けて、できるだけ手を打ちました。
まず、アモス王子とイリスとの婚約破棄を宣言し、イリスを王宮から追放しました。
そして、疫病の流行が終焉するまで、王子を政治の表舞台に出してはならぬ、と宣言しました。
加えて、少しでも聖女リリアの怒りを宥めようと、実家の公爵家も取り潰しました。
リリアを追い詰めた公爵夫婦は慌てて離婚し、それぞれの親類縁者の許へと姿をくらませたのです。
イリスは罹病後、修道院付きの療養所に引き籠る日々を送っていましたが、その修道院すら焼き打ちにあってしまいます。結果、イリスは焼け死んでしまいました。
このように王様が手を尽くす間、人々は〈三つ眼の聖女〉リリア様のお怒りが鎮まるよう祈り続けました。
それでも、疫病は一向に熄む気配がありませんでした。
さらに半年も過ぎた頃ーー。
痺れを切らせた王都民は動き始めました。
民衆は王都中央を見限って、続々と移住を始めたのです。
一路、聖女リリア様が住まう〈聖なる森〉へーー。
実際、〈三つ眼様〉ーー聖女リリア様がおられる僻地の森の近郊では、疫病が流行することはありませんでした。
しかも、入村した者は、時間とともに病が癒えていったのです。
移住する者が後を絶たなくなって当然でした。
やがて、病を苦にアモス王子が自殺すると、王様は退位を宣言。
結果、王子の従兄弟が新王に即位しました。
そして、新王は遷都を宣言。
辺境の〈聖なる森〉の近くに、都を移したのです。
相変わらず旧王都周辺では疫病が蔓延し続けていました。
結局、彼の地を〈呪い地〉と指定して立入禁止区域とした結果、王国は平穏を取り戻したのでした。
その頃には、〈聖なる森〉に聖女リリア様の姿はありませんでした。
ただ、彼女の自室に、次のように記された書き付けが残されていました。
「私が病を得たのは天啓でした。
一見すると、病や不幸と思われる現象を、易々と〈呪い〉と決めつけないでください。
苦しみに耐え抜いて、今までとは違った、一段、高い地点からの視野を手に入れて、自らの人生を浄化してください。
これが、聖女としてではなく、醜い病を得た一人の娘としてわかったことの証言です。
みなさまも、それぞれの人生を、より良く生きてくださることを、お祈り申し上げます」
その後、聖女リリア様の姿を見る者はいませんでした。
すでに何処かへ旅立たれたのだ、とか、女神様に昇格なされたのだ、などと噂されましたが、真実は誰も知りませんでした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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