告白の前に
街を歩いていると、すれ違った女性が突き飛ばされ、荷物を持ち去られた。
カレンは驚きながらも、倒れ込んでしまった女性に手を貸し、助けおこす。
犯人の行方を目で追えば、さほど遠く無い所で、男性に腕を捻り上げられていた。
駆けつけた警邏隊が犯人を連れて行くのを見送り、ほっと息をつく。
男性は、そんなカレンに目を向け、「君は大丈夫か?」と声をかけてくれた。
犯人を捕まえた彼は、精悍で整った顔立ちをしている。
気遣ってくれた優しさを嬉しく思いながら、カレンは大丈夫だと答えた。
「なら良かった」
彼は表情を緩め、満足そうに頷く。
「あなたこそ、お怪我はありませんか?」
「全く無い」
これが、ラリーとの出会いだった。
ラリーは度々、カレンが営む雑貨店に足を運んだ。
他愛もない会話の後に、カレンが刺繍したハンカチを買って帰って行く。
そのハンカチを使っている姿を実際に目にした時、カレンは嬉しさで胸が苦しくなり、そんな自分に動揺した。
商品をお客様が使用するなんて、普通の事なはずなのに、どうして……。
疑問に思い、ハッとして、カレンは自分の恋心に気付き、頬を染めた。
ラリーは魔道具師だった。顧客からの依頼をもとに仕事をしているという。
魔道具について、彼が話してくれる事もあるが、言い回しが専門的すぎて、カレンにはほとんど理解できない。
しかし、内容が理解できない事は彼女にとって、さほど問題ではない。
何かに熱中した時、ラリーは他が疎かになってしまう傾向があった。
周りが見えなくなった分なのか、全てを濃縮した様に力強くキラキラする青い目に、カレンは魅了されている。
今日も、新しい魔道具を見せてくれるらしい。
閉店後の明かりを落とした店内で、ラリーはテーブルの上に魔道具を置いた。
球体のそれに、彼のすらりとした指が滑る様に触れると、真っ黒な表面にポツポツと光が灯っていく。
その光によって、天井に満天の星空が映し出された。
「すごい……」
単純な賞賛が口から溢れ、ラリーが得意げな顔をする。キラキラする青い目を見て、カレンは幸せな気持ちになった。
幻想的な光景が、じわりと親密な空気を作り出していく。
もしかしたら、告白するタイミングかもしれない。
彼とは、何度も二人きりで会っているし、デートに出かけた事もある。
好意は少なからず感じているけれど、それが恋人なってくれる程のものなのかはわからない。
どうしよう、なんて言おう。言葉を探しながら、間をもたせるように彼へ尋ねた。
「ラリーには、恋人いる?」
もちろん、いるだなんて思ってない。
この質問は、あなたの女性関係が気になりますよ、という告白の前置きの様なものだ。
「恋人はいないが、婚約者がいる」
「……え?」
彼の言葉にカレンは驚愕した。
彼女の、まじまじとした視線を受け、ラリーは気まずそうな表情をする。
「俺には、親に決められた婚約者がいるんだ」
「……もっと、早くに言って欲しかった」
好きになる前に。
「すまない。言うタイミングが分からなかった」
「ウチの店で小物選んで、これ婚約者にあげるんだ、とでも言えば良かったのよ」
告白しようと、もじもじしていた自分がバカみたいで、その羞恥心から恨みがましい言い方になってしまう。そんなカレンに、彼は首を振った。
「それでは嘘になる。お互いが望んだ婚約では無いし、今も望んでいない。私的なプレゼントを交換したりしない」
ラリーには悪いけれど、言い訳じみていて、全く心に響かない。
浮気男の『妻とはうまくいってない。家には居場所がないんだ』などの常套句と同列に感じる。
それより気になるのが、この男が、婚約者がいるにも関わらず、女と二人っきりで過ごしていた事だ。
カレンからすれば、勝手に浮気相手にされていた様なものだ。
友達のつもりだったと言うなら、それは独り身だから許される距離感だと説教してやりたい。
……まさか、私は愛人候補だったのだろうか?
「ラリーって、もしかして貴族?」
「それは……」
彼は眉を顰めて口籠った。
貴族だとしたら、婚約者がいる方が普通なのかもしれない。
それ以前に、平民の女を妻になんて、最初からあり得ないのだろう。
別に、いきなり結婚を考えてた訳ではないけれど、愛人前提の付き合いなんて、カレンは求めていない。
……諦めるしか、ないんだ。
「カレン」
彼はひどく真剣な顔をして、強い視線をカレンに向けた。
「婚約破棄するつもりだ。だから」
「絶対にやめて!」
何言ってるの?! この人!
カレンの勢いに、彼は肩を跳ねさせ、目を見開いた。
「……え?」
「略奪愛なんて、私は絶対しないから! 婚約破棄なんてする人、ありえない!」
ラリーが絶望的な顔をするが、カレンだってショックだ。
婚約みたいな重要な契約を、まるで大した事ないかの様に言う彼が理解できない。
居心地の悪い沈黙の後、「不快な思いをさせて、すまない」とラリーが、ぽつりと言った。
「実は、しばらく会えなくなるんだ。けど、絶対また会いにくる」
会えないと聞いて、胸がずきりと痛んだ。諦めると決めたはずなのに。
「私は、婚約破棄して欲しいなんて思ってないからね」
「わかった」
念を押すカレンに、ラリーは神妙に頷く。
彼を見送ったカレンは、項垂れてため息をついた。
彼があまりにも切ない顔をするから、会いにくるなとは言えなかった。いや、それは言い訳だろう。自分がまた会いたいだけだ。
けれど、彼にパートナーがいるとわかった以上、今まで通りの距離感は許されない。
宣言通り、あの日から彼は訪れない。
このまま、二人の関係は会う事なく終わるのかもしれない。
そうなってくれた方が、面と向かって拒絶するよりずっと容易い。
浮気相手になるのは絶対に嫌だし、彼を奪って、相手の女性が傷つく罪悪感にも耐えられない。
だったら、彼を諦めるしか無い。
どちらにしても、身分差のある二人が結ばれるという未来は無いのだろうし。
「つらい……」
それもこれも、ラリーが思わせぶりだったのが悪い。と、カレンは腹立たしく思った。
「婚約破棄の話、聞いたか?」
夕食として訪れた食堂。隣のテーブルの会話が耳に入り、カレンは咽た。
「第一王子の話か?」
「それだよ。王子様がパーティーでいきなり婚約者を名指しして、婚約を破棄する! って、言ったって」
へえ、王子様の話かと関心を持ちつつ、カレンは胸を撫で下ろした。
驚いた。ラリーの話かと思った。
「女を侍らせながら、婚約者を国外追放にしたんだって」
「うわ、ひどいな。ってか女って何? 王子、浮気してたって事?」
ご飯が不味くなる様な話だった。やっぱりラリーは関係ないなと確信する。
そんな酷い男が彼である筈がないのだから。
あの噂を聞いてから数日後、ラリーが会いにきた。
話をしたいと言う彼を、さっき閉めたばかりの店に入れる。
こんな風に二人きりで会うのも最後にしようと改めて決意し、目の奥がジンと痛んだ。
「これ、つけて良いか?」
星空の魔道具だ。カレンは頷き、明かりを消して、準備を手伝った。
暗ければ、泣きそうになったとしても気付かれないだろうから。
ラリーが作った星空の下、二人は向かい合って椅子に座った。
「改めて、元王子のローレンスだ。今まで通り、ラリーと呼んでくれ」
カレンはぽかんとした。
信じられない思いで「王子様なの? 本当に?」と、確認すれば「ああ。今は平民だがな」と真面目な顔で返された。
困惑しつつも、とりあえず噂について尋ねれば、事実だと言われてしまい、カレンはもう言葉が出ない。
彼が噂の王子様の様な行動を取るとは思えない。それなのに彼は事実だと言う。
だとしたら、一体どんな事情があるんだろう。
自身の思考の流れに、カレンはハッとした。
結局の所、自分は彼の人柄を信じ、ひどい男だと思いたく無いだけなのだと気づいたからだ。
彼は話をしたいと言った。カレンが知らない事実を話してくれるのだろう。
それを聞けば、カレンの胸を淀ませている、彼の人物像の矛盾が解けてくれるかもしれない。
彼女の聞こうという姿勢を感じ取ったのか、ラリーは話し始めた。
「俺は昔から、弟の方が次の王として相応しいと思っていた。だが、兄である俺が王太子になる事は生まれた時に決まっていた」
彼は椅子に深く腰掛け、膝に肘をついて指を組んだ。
「俺は、広く人を、物事を見るのが苦手だ。政よりも、魔道具を作ってる方が性に合う。問題を解決しようと集中すると、それ以外が見えなくなってしまうんだ。視野が狭くて自己中心的なのが悪いとわかっているが、どうやってもコントロール出来ない。俺は、与えられた仕事をこなす側の人間なんだ」
彼の自己分析は、カレンの知るラリーと重なった。
そんな彼の性質を、改善するべきものとする環境に、ラリーが身を置き続けてきたと知り、息苦しさに切なくなった。
「俺とは違って弟は優秀だ。弟を立太子させる方法を兄弟で模索した。しかし、お互いが傷つかない穏便な方法は思いつかなかった」
淡々と吐露する彼に、カレンは口を挟む事なく相槌を打つ。
「そうこうしている内に、俺の婚約が結ばれた。彼女と交流した俺は、この人は婚約を望んでいないのではと感じた。調べると、彼女は十年前まで認知されず、他国で庶民として生きていたとわかった」
ラリーは、自分が政治の采配を振るには力不足だと悩んでいた。
なら、元庶民である彼女は自分の立場をどう思っているのか。
さらに調べる事で、彼女の心はこの国ではなく、他国の故郷にあると彼は確信した。
そこで思いついたのが婚約破棄だと言う。
「俺は弟に相談した。弟を納得させた後は宰相に相談し、話を詰めて、最後に両親を説得した」
カレンは目を丸くした。
「両親って、王様とお妃様?」
ラリーは頷き、「両親も俺の悩みは知っていたからな」と、薄く笑った。
「俺が望んでいる以上、弟に王位を継がせる方が、兄弟にとって良いと思ってはいたらしい。……父上は、王家の醜聞と、未来の王の性質を天秤にかけた上で」
そこでラリーは唇を震わせ、閉じ、こくりと喉を鳴らした。
「俺の幸せを願って、計画にのってくれた」
カレンはラリーに走り寄った。彼の足元に膝を突き、そっと手を重ねる。
手を握り返した彼は、カレンに顔を向け「前置きが長くなって悪い」と、微笑んだ。
「パーティー当日、俺に粉をかけていた令嬢を連れて、愚かな王子として婚約破棄を宣言した。婚約者に冤罪をかけて国外追放。その日の内に、元婚約者は国外へ旅立っていった」
噂の出来事が、当事者によって語られていく。
「城へ戻った俺は、陛下に呼び出された。『公爵令嬢に冤罪とはなんて取り返しのつかない事をしたんだ』と、臣下達の前で叱責された俺は、継承権剥奪に加えて、王家からの追放となった」
彼は、椅子に背中を預けた。カレンの手の甲を、彼の親指が撫でる。
「俺にアプローチしてきた令嬢の黒幕についても、弟が証拠を集め終えた。元婚約者の父である公爵には、顔に泥を塗った事で借りができてしまったが、弟としては権力を削ぐこともできたから問題ないらしい」
ふっと視線を柔らかくして「あいつは本当に凄いんだ」と言いながら、ラリーは目をキラキラさせた。
第二王子の事が、よっぽど自慢らしい。
カレンが微笑ましく思っていると、彼は椅子から下り、カレンの向かいに座り込んで、目を合わせた。
「婚約者がいると言った日、君に婚約破棄をする人は嫌だと言われ、俺は……途方に暮れた。婚約破棄は、君と会う前から決めていたから」
彼は緊張した面持ちをしながら、膝の上で拳を握りしめている。
「カレンが言った、浮気や略奪愛も、意味がわからなかった。だって俺達の婚約は政略で、本人の意思じゃない。愛なんてかけらも無いのに」
カレンの心にモヤモヤとした澱みがよみがえる。言い返したくなるのを、唇を引き結んで耐えた。
「婚約者がいるって、もっと早く言ってほしいって言ってたけど、そんな事話せば、君が距離を置いて、仲良くなれなかった筈だ。そう考えた時、俺はやっと自分が、わざと婚約について言わなかった事実に気付いた」
ラリーは自己嫌悪に眉を顰めた。
「婚約を隠して、君と親密になろうとした。浮気だと言われた意味もわかった。俺の後ろめたい行動が、君にそう感じさせたんだ。傷つけた俺を君が怒るのは当然だ」
カレンの肩から、強張りが抜けていく。
「初めから婚約者がいる事を話して、適切な距離で友人として過ごし、婚約破棄をしてから、距離を詰めれば良かったんだよな……?」
窺う様な顔をする彼に、カレンはうんと頷いた。少しだけ口元を緩めた彼は、頭を下げた。
「傷つけてごめん」
カレンの顔に、自然と笑みが浮かんだ。
「良いよ」
ラリーが勢いよく頭を上げる。信じられないという様な顔に、カレンはふふっと笑った。
「許して、くれるのか?」
「うん。私が傷ついた事に気付いてくれて、何が悪かったか真剣に考えてくれたから、もう良いの」
自分について、真面目に悩んでくれたのが嬉しい。あんなに腹を立ててたのに、我ながら単純だと思う。
「ありがとう」
ラリーは噛み締める様に言った。
「カレン」
「ん?」
「俺には、婚約者も恋人もいない」
「……うん」
彼の作った星空の下。ラリーの真剣な表情。カレンの心に、もしかしてという期待と、がっかりしたく無いが故の否定が急速に膨らむ。
「カレンを愛している。結婚してほしい」
彼の煌めく瞳に見入りそうになりながら、カレンは震える唇を開いた。
「わたし、平民だよ?」
「俺もだ」
「そっか、そうだね」
カレンが頷くと、髪が頬に流れた。ラリーがゆっくりと手を伸ばし、そっと耳にかける。
一瞬触れられた耳が痺れる様に熱い。
胸がいっぱいになったカレンは頬を紅潮させ、花咲く様に笑った。
「ラリー、大好き。お嫁さんにして下さい」
目を見開き、顔を真っ赤にしたラリーは、勢い良くカレンを抱きしめた。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
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