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西日本旅行記

作者: ガンダム

長崎でボブと再会したのは年明け間もなくであった。相変わらずの笑顔に私は安堵感を覚えた。私はこれから始まるボブとの旅にワクワクした。

翌朝、ユースホステルの駐車場にはボブの愛車ランドクルーザーがあった。ボブは私に、ユーアーナビゲーターと言った。私は早速ナビゲーターらしく、助手席に乗り込んだ。

ボブとの出会いは3年ほど前に遡る。私は旅先で知り合った男子高校生と長崎のユースホステルにて再会を約束していた。ユースホステルというのは、若者用の簡易宿泊施設である。一人旅の者同士が同じ屋根の下、同じ部屋に集う。いやでもコミュニケーション能力が高められ、知り合いになれる。

その高校生とは、ここ長崎ユースホステルで、とある正月に知り合い、その翌年の同じ日に同じ長崎ユースホステルにて再会することを約束した。当時正月を九州で過ごすことが年課のようになっていた私は翌年長崎に向かった。

しかし彼はいなかった。当然だという思いと残念な気持ちとが交錯した思いで過ごしている時だった。私宛てに電話が入っているという。電話の向こうから懐かしい声が聴こえる。何とその高校生からだった。沖縄からだった。翌昼鹿児島に到着するとのこと、再会の地は鹿児島になった。その鹿児島に彼が沖縄から連れてきた男がボブだった。もう一人の大学生と三人で彼ははるばる沖縄からの旅を終えてきたのである。

その大学生は、その日に東京に帰京するらしく、我々にいち早く別れを告げた。ボブは宮崎県に住んでいるとのことで、私と高校生を自宅に招待してくれるらしい。もっとも、ボブのお気に入りはその高校生のようで、私はその高校生に誘われて、ボブの了承を得た、という格好になった。

高校生「二人で遊びに行ってもいいですか?」

ボブ「いいですよ。」

高校生「三人で仲良くディナーですね。」

ボブ「そうねー。」

という具合に話が進んで行く。結局私は金魚のフンのごとく、二人についていった。この時の私は完全に二人のお邪魔虫状態であり、その後ボブと長い付き合いになるとは予想もしていなかったのである。

鹿児島から宮崎までは鈍行で行った。私は当時、九州への旅は周遊券を使っていた。九州内は自由席であれば特急に乗れるので、鈍行を利用したのは初めての経験だと思う。私の幼少期に伊豆までの旅行の際に利用した鈍行に似ており、懐かしかった。道中、高校生とボブは二人で仲良くお喋りをしており、私は車窓を眺めながらたまに二人の会話に加わる、という状況であった。早く目的地に到着してほしい、とそればかりを願っていた。

宮崎の駅に到着するとボブの車が置いてあった。ボブが運転席に、高校生が助手席に乗り込み、私は借りてきた猫のごとく後部座席にちょこんと座った。

ボブが乗り心地を聞いてきたので、私と高校生は異口同音に

「最高!!」

車内は活気に満ち溢れた。事実、私は興奮気味であった。タクシー以外滅多に車に乗らなかったし、ましてや旅行先でタクシー以外の車など初体験で、それがほんの数時間前に知り合ったばかりの外人の車だと思うとなおさらであった。

「ランドクルーザー、最高ね。私大好き。」

ボブが言った。

私「クルーザー?ブルドーザーみたいな、トラックみたいな名前だね。」

ボブ「ははは、そうねー、トラックは好きですか?」

私「大好きですよ。トラックも車も好き。」

車内は笑いに包まれた。これが私とボブとの最初の会話であり、わたしがランドクルーザーという車を知った最初だった。

その後、意気揚々としながら買い物をし、ボブの自宅に到着した時は日が暮れていた。ボブの家は予想外に広かった。十畳ほどある和室が二部屋ある。大の男三人が寝るには十分すぎる広さであった。

私達がくつろぐ暇もなく、ボブの室内にポツンとある電話機が鳴った。

ボブ「あ、分かりました。これから行きます。友達が二人来ているんですけど、一緒に行っていいですか?」

片言の日本語で電話を終えると、ボブはやや面倒そうに、これから友達がご馳走してくれるらしいけど一緒に来るか、とこれまた片言の日本語で我々に聞いてきた。我々の答えは勿論イエスである。我々二人ともドライブをもう少し楽しみたかったのである。近所だから歩いて行こうというボブの申し出を二人して大反対し、ランドクルーザー第二弾の旅が幕を開けた。と思ったのも束の間、5分もしないうちに到着してしまい二人は残念がった。

我々を出迎えてくれたのは、還暦くらいの老婦人であった。ボブは他にも色々な知り合いがいるらしく、それが宮崎の土地柄なのか、ボブの人間性なのかは分からなかった。やはり交友関係を広げることは様々な出会いに繋がるし、良いことだと感じた。まだ正月三ヶ日ということもあり、正月料理が振る舞われた。海沿いにある土地なだけに刺身が美味しかった。我々が知り合ったいきさつを説明すると、老婦人は驚いて聞き入っていた。老婦人にとっては未知の世界のようである。ボブもたまにこの老婦人の家にきては色々と振る舞われているようである。車で来たこともあり酒は出されなかったが、我々が老婦人宅をあとにしたのは、夜10時過ぎであった。

ボブ宅に戻ってから入浴を済ませて、その後旅行談義が始まった。私は改めて高校生と知り合ったいきさつを話しながら、沖縄の海の綺麗なこと、正月でも海水浴が楽しめること等を聞いた。ボブが沖縄ほどではないが、宮崎の海も悪くないと言うと、高校生が宮崎の海を見たいと言う。そこで翌朝に海にドライブに行ってみよう、ということになり、三人ともワクワクしながら床に着いた。

翌朝は、我々の宮崎への訪問を歓迎してくれているかのように快晴であった。我々はまたしても意気揚々とボブの愛車に乗り込むのだった。第三弾ランドクルーザーの旅の始まりである。ボブのお気に入りのビーチは、まずまずの綺麗な海水だった。周囲には我々以外には誰もおらず、完全なるプライベートビーチと化していた。遠くに見える水平線は、我々が楽しむのに十分であった。

その後我々はボブのお気に入りのレストランでランチを取った。ボブは午後から用事があるらしく、駅まで見送られてから一行は別れた。別れ際に土産を持たせてくれた。良い旅になった。

私は当時、東北地方の福島県に一人暮らしをしており、帰郷したのはそれから10日ほど経った日であった。留守電を見ると5、6件ほど録音がされていた。誰かと思えばボブだった。帰宅したら折り返してほしい、とのことだったので、早速連絡することにした。名を名乗ると

「へーイ!ロングタイムノーシー!お久しぶりね。元気ですか?」

と懐かしいボブの声がした。私も負けじとあらゆる限りの語彙力を駆使して英語で応戦した。ボブは、高校生とばかり会話してしまい、私がつまらなそうにしていたのを気にしていたらしい。意外とウマが合い、それからというもの電話代も気にせず、毎晩のように電話して話す仲になった。ボブは英会話学校の講師をしているらしく、宮崎の例の老婦人もボブの教え子らしい。持ち前のフレンドリーな性格からプライベートでも色々とお付き合いがあるらしい。

ボブはアメリカのフロリダ出身だった。日本が気に入り、九州に住んでみたが九州の自然の虜になって、すっかり居着いてしまったようだ。今回の沖縄旅行を最後に祖国に帰国するつもりだったそうだ。だが、そこで知り合った変な日本人のおかげで、もう少し日本にいたくなったとのことだった。

私「変な日本人って、僕達のことじゃないよねー。まさかねー。」

静まり返った夜、こんなジョークを交え二人で笑い合った。又彼は日本の歌も好きで、たまにカラオケも行くようである。日本の歌謡曲も好きで、日本語の歌詞を私がアルファベットで書き直し、英訳したものを手紙に書いたりしてあげた。

私の新たな故郷である福島に遊びに来たこともあった。その頃にはお互いをベストフレンドと認め合うほどの中になっていた。第四弾ランドクルーザーの旅は福島周遊の旅となった。山道を走り、温泉にも入った。ボブとの福島での車の旅はこれも不思議なものだった。何しろ、同郷の友人とでさえ一緒にドライブしたことがほとんどなかったからだ。

私な一人暮らしのアパートに洗濯機がない、という話になり、ではリサイクルショップを探し安い洗濯機を買おうという話になった。実際にリサイクルショップを見つけてみると驚くほど安かった。洗濯機を購入し、乾燥機を購入し、壊れかけの電子レンジを一新した。他にも何点か購入し、帰宅後我が家は改造された。第四弾ランドクルーザーの旅は、我が家をより近代化させてしまったのである。

そんな素晴らしい旅を終えてから10日くらい経った頃、この日も電話で話している最中、ボブが悩みを打ち明けてきた。もう何年間か日本にいるのに、日本語が上手くならないというものだった。日本語を勉強したい、ボブはそう願っていた。ところで、私の実家は東京にあり、たびたび帰京している。その際私の家族にボブのことは既に色々と伝えてある。幸い父もクルージング旅行が好きで、その折にはたくさんの外人と友達になる。外人が好きなのだ。

ボブが日本語学校に通いたいらしい、ということを告げた時であった。

父「東京にはたくさん日本語学校があるじゃないか。アンタの部屋も空いているし。ボブさんさえ良ければ、アンタの部屋に住まわせてあげたら?」

この鶴の一声はのちに実現することになる。ボブは東京の日本語学校に通うことになったのである。東京にある私の実家での居候が始まるのだ。元・私の部屋が彼の新しい住まいになるのだ。九州から東京への移動手段として、彼の頭には空路の選択肢はないようで、あくまでも愛車のランドクルーザーを持ち込みたいらしい。幸い、我が家には小さいながら車1台停められる、おあつらえ向きのスペースがある。

こうして、いわば第五弾ランドクルーザーの旅が始まる。彼は私をナビゲーターに指名してきた。ただ私としては、ナビゲーターよりもランドクルーザーでの日本横断の旅にワクワクしていた。そしてこの第五弾は、私の旅行史上最高の伝説の旅となる。

と言っても特に高速道路等は使わず、それほど優雅な旅とは言えない。整備されていない道も多い。ただ彼は片言の日本語でランドクルーザーは砂利道でも運転しやすい、というようなことを言った。私にとっても車の乗り心地は悪くなかった。

長崎から福岡に移動しようとした時だった。目の前の交差点の信号が赤になった。左折すると福岡に出る。そして右折すると鹿児島に行く。ボブは当然左折のウィンカーを出していた。突然の究極の選択だ。私の中に、いつかの宮崎のビーチに対する思いが湧いてきたのだ。それも鹿児島経由で行きたかった。電車で鹿児島に行った際の、左の車窓から見える山、右の車窓から見える海に魅入られてしまっていたのだ。あの秘境のような眺めは九州独特なのではないか。私はボブに左折ではなく、右折のウインカーを出すように頼んだ。宮崎のプライベートビーチに行きたい、と申し出る私の言葉にボブは驚いたが、

「OK。行きたいところに行きましょう。」

と片言の日本語で答えてくれた。

そして車は南下を始めた。南下して鹿児島に近づくにつれ秘境となる。そう感じる。左を見れば険しい山が、右を見れば海が、そこにある。ランドクルーザーがエンジン音を立ててひた走る。

宮崎のビーチに到着したのは夕方になっていた。あの時のままだ。ただ今回は私が助手席に乗っている。そして私とボブの二人だけのプライベートビーチである。そして目の前には綺麗な夕焼けが広がる。再び来られるとは思っていなかったので、嬉しさもひとしおだった。海岸で私達は寝転がった。下から見上げる夕焼けが綺麗だった。

その夜の宿泊先として、私とボブは一つの結論に到達していた。ボブの元の住まいだった。我々は大家さんのところにお願いしに行った。大家さんは我々の突然の来訪に驚いていた。彼もまたボブの教え子であり、ボブの大ファンなのだ。ボブが教える生徒は、大抵ボブの人間的魅力に取り憑かれるのだ。かつての高校生がそうであり、私がそうである。その夜は大家さんを含めた3人での食事会になった。ボブにとってのこれが本当の最後の宮崎の夜であった。

翌朝宮崎を出発した我々は、温泉に立ち寄った後福岡に向かった。ボブの希望であった福岡の太宰府天満宮に寄り、遅ればせながら我々の旅路を祈る。そして関門トンネルを越えていざ本州へ。九州に別れを告げる。ランドクルーザーにて、初めての関門トンネルを、初めて出来たアメリカ人の友人と共に渡る、というこの現実に私は興奮した。その10分足らずの旅路を漫喫した後、街中から少し離れた下関のユースホステルに立ち寄った。

その後、中国地方を全県制覇しようという意見にまとまり、中国地方の山陰と山陽をいわばジグザグにドライブすることになった。わたしは島根県の松江を訪ねるのが楽しみであった。

松江は昔、父が出張していた兼ね合いで初めて母と二人旅に来たところである。初めての寝台特急に乗り込み、初めての出雲大社にてちょうど島根県に上陸していた台風に傘をもぎ取られ、初めて父にハサミ将棋にて圧勝出来た地であり、初めて飛行機に乗った地でもあった。帰りの飛行機から眺める東京の夜景がとても綺麗だったのが印象に残っている。

ボブも島根県を楽しみにしており、そこまでは中国地方をアルファベットのWを描いて突き進んだ。大半は山道であり、愛車の乗り心地は抜群であった。ランドクルーザーは山道に適している、と改めて感じた。

出雲は快晴だった。我々は出雲大社をお詣りした。あの時と違い、ランドクルーザーに乗ってきた我々に神が微笑んでくれているように感じた。我々はその足で鳥取砂丘へと向かった。砂丘の手前で車を停め、砂丘で大の大人がはしゃぎまくる。ここを車で飛ばしてみたい、という想いに駆られ、そのままボブに伝えたが失笑された。

その後、京都へ向かった。ここまで来ると、東京が目前のように思え、物悲しい気分になった。その気持ちを抑え切れないままある定食屋に入った時のことである。そこは外人が頻繁に来るらしく、マスターとボブはすっかり意気投合してしまった。マスターは元々外人の扱いに慣れているようであった。様々な料理でもてなしてもらい、店の常連が嫉妬するほどであった。確かにボブは人懐こくて誰とでも気さくに話す。人付き合いが得意とは言えない私とも親しくなるのだから、お墨付きである。

ボブがランドクルーザーの旅のことを話すとマスターの顔つきが変わった。どうやら彼も以前、アメリカでランドクルーザーの旅をしたことがあるらしい。ランドクルーザーはエンジン音といい、山道を走る爽快さといい、素晴らしい、という話で大いに盛り上がった。他の客のもてなしも忘れているようだ。

挙げ句の果てには、マスターの部屋にまで上がらせてもらい、マスターの旅行アルバムを見せてもらうことになった。結局宿に戻ったのは深夜であった。我々と同室にイギリス人がいたが、既に就寝しており、話さず仕舞いになった。ただボブも私も満足であった。この京都の夜が実質的に我々の最後の夜になった。

こうして、我々のいわば西日本漫遊の旅は終焉を迎える。次回の第六弾は、私の愛車ランドクルーザーで、家族を引き連れて行くつもりでいる。私の旅は、まだまだ終わらない。


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