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コココ、コン。
ウォルシュとジェラールが退室したばかりの科学捜査兼検死室のドアが叩かれる。特徴的なノック音はジェーンのよく知るものである。
「……空いてるよ。分かってるだろうけど」
ため息の後、苛立ちを隠そうともしない声色でジェーンが応える。
とたん、重さを感じられない軽快さで重厚な扉が開けられた。
にこやかそうな薄ら笑みを浮かべた長身細身の男が足音も立てずに部屋に踏み入る。一重の眼と主張しない顔の造形に反し、首元で結われた艶やかな黒髪がゆらゆらと存在を訴えている。
「徹夜のようだね、ジェーン。どう? 今から夜明けの一杯でも」
「お誘いの文句としては些か不勉強なんじゃない」
「はは、違いないね」
すらりと流れるような実のない会話の応酬。男は壁に立てかけられていたパイプ椅子を広げ、自然とジェーンの視界に踏み入る。会話を続けるつもりの相手にジェーンは一層深いため息で返すことにした。
「はぁ……で? たいそうお忙しいと聞く部署のお偉いさんがこんなジメジメした部屋に何の要件で?」
「そんなに一息で言わなくても。そんなに嫌? 私と話すの」
「嫌も何も、あんたもさっき言ってたでしょうが。私は徹夜なんだよ。一刻も早く片付けて寝たいの。わかる?」
「わかる! じゃあ手短に」
ガタリ。雑に立たれた椅子が音を鳴らす。
数歩で距離を詰めた男がジェーンの目の前にのそりと立ち影を作る。
「ウォルシュさんの担当する事件、私も動くことになったよ」
たった一言。
ジェーンの顔色がサッと変わる。
男は変わらずにこやかな表情を崩さない。
「……なんだって」
隠せない動揺を犠牲に声を絞り出す。
男が変わらない声色で続ける。
「ジェーンが徹夜してすぐに報告書を上に提出してくれたお陰でね、登庁直後の私のところに話が来たよ。勿論、私がウォルシュさん達と一緒に行動することはないから安心して。ただ、ジェーンには伝えておかないとと思ってね」
「……当たり前」
「とはいえ、あくまで私が動くのは念のため、という判断だ。君も感じた通りちょっと不可解な事件になりそうだからね。特にこの国の中心であるモルトワーンでそんなことが起こってるなら、殊更警戒するに越したことはない」
「……わかってる、わかってるが」
緊張感をわかりやすく表情に乗せたジェーンが唸る。僅かに眉を下げた男がその肩に軽く手を置いて続ける。
「ジェーン、この件は私が担当する。だから、そんな顔しないで」
「……どんな顔に見えてるのか知らないけど、余計なお世話」
「ふふ」
ぱし、とジェーンは肩に置かれた手を軽く叩いて払い落とす。愉快そうに笑う男はそのまま踵を返し部屋を後にするつもりだ。ジェーンはすっきりしない頭でゆらゆらと揺れ動く男の結われた後ろ髪を見送りながら、色の薄くなった唇をうっすらと開けた。
「リウ」
男の歩が止まる。
「気を付けろよ」
左手をひらりと挙げて、男――リウは科学捜査兼検死室を後にした。
ジェーンに彼の表情は見えなかったが、変わらず薄い笑みを浮かべているであろうことは容易に想像がついた。