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モルトワーンの吸血鬼  作者: 左藤 ふじ
第1章 彷徨える影
3/7

3

 ばさり。


 ショーン・クラーク。27歳、男性。身長178cm、体重75kg。

 両親、妹が2人との5人家族の長男である。父親は会計士、母親は一般企業の営業職で、2人の妹は大学生だ。家庭環境から鑑みるに、富裕層家庭と見られる。

 ショーン本人は大学卒業後は貿易センターの事務職員として勤務しており、非常に真面目で着実に業務を遂行する人物で、同僚や上司からの信頼も厚かったようだ。

 温厚な人柄で、友人付き合いは多くはないが人に好かれる人物との評価だ。

 そんな彼が行方不明になったのは4日前の13時頃で、職場の昼休憩から戻らなかったため判明し、翌日には家族から捜索願が出されていた。

 そうして今朝、失血死の状態で発見される。


 モルトワーン中央警察の科学捜査兼検死室(ラボ)に今朝運び込まれた遺体の正体である。


「この通り、この子に関する資料はざっとこんなものだ。殆どが捜索願を出した時点でのご家族から聞き取りした内容を拝借してきた。なにせ秘匿する事項もない善良な一般市民なものでね。ま、あとは好きに読んでくれ」


 大人3人が敷き詰まったラボ内の小さなミーティングルームに、書類の束がどっしりと存在を主張する。その頂を小突きながら、小柄な女はつまらなそうに、ウォルシュとジェラールに向かって呟いた。

 特段の感情を捕らえない横顔と肩まで伸びた赤毛を小窓からのぞく西陽が照らす。


「相変わらず仕事が速いねぇ、ジェーン」

「それほどでも」


 ウォルシュの感嘆の声を気に留める様子のない返事とは裏腹に、このラボを管理する女傑は机上の()()に愛おしい視線を送る。

 それに気付いたか否か、ジェラールが軽く断りを入れてからその束に目を通し始める。


「軽微な前科もありませんし、見る限り交友関係も悪くない……。到底あんなところで殺される人物には思えません」


 己と同じ年頃の青年の理不尽な死に、自然と言葉尻にやるせなさが滲む。今後の予定を手帳につらつらと書き起こしていたウォルシュがその筆を止めるほど、今朝の意気揚々と挨拶をしていた彼との差が見えた。

 長い睫に縁取られた碧眼がその想いを現わすように揺れ、紙を持った手がわずかに震えている。


「……申し訳ありません。ご本人とそのご家族が一番、無念だというのに」


 彼の嘆きにかける言葉は誰しもがなかった。脳裏に遺体の本人確認のため訪れた家族の様子が思い出された。

 現状、なぜ彼が殺されたのかをレポートからは読み取ることは難しい。年齢や経歴から見ても今後を期待されたであろう若者の死を、黒いインクが淡々と連ねるばかりだ。


 ウォルシュは居たたまれないように、徐に胸元から取り出した煙草に火をつける。たちまち涼やかな煙が立ち上がった。

 すっと、2本の赤い爪がウォルシュのウォルシュの目の前に差し出された。一瞬ぎょっとして少し下に目線を落とせばジェーンが視線を向けないまま指を差し出している。


「最近吸ってない」

「……へぇ、珍しい。禁煙でもしてるの」

「んなわけあるか」

「だよなぁ」


 何の躊躇いもなく差し出された箱からジェーンが葉巻をすくい上げる。

 男女の間に一瞬の灯火、紫煙がのぼり薄い換気口の間をすり抜けていく。


 珍しい香りだ、と誰かが言ったことが男の脳裏にふと思い出された。この地方ではなかなか採れる材料はないのだ、とも。己が若輩の頃であり、ジェーンもまだラボの一研究者の立場として同席していた覚えもあった。

 その葉巻を買った本人自身がその辺りの知識には明るくないから特別に拘って買ったものではなかったが、それ以来常に懐に忍ばせるようになった一品であった。


 暫しレポートを捲る音と煙の淡い香りが狭い個室を包みきる。

 ひとしきり嗜んだジェーンが、短くなった葉巻を処理しながらはたと顔を上げた。


「……そう、一個言っておかないとだった。フォンテーヌくん、24ページ開けて」

「へ、え? あ……、はい!」


 突如呼ばれて一瞬の間を置くもジェラールが素早く該当のページをはじき出す。開かれたとほぼ同時に、ジェーンはさっとそのページだけを取り上げ、男たちの眼前に晒した。

 遺体の出血部を写した写真が貼り付けられている。


「まだ特定されていないのさ、ここだけね」


 ぱしぱし、と赤い爪が画像の部分をはじく。

 先程までつまらなそうに鈍い光だけを宿していた彼女の眼は、ぎらぎらと怪しい光を携えている。


「それは凶器が、ってこと?」

「そうさ」


 珍しいこともあるものだ、とウォルシュは面食らった。

 彼女とその助手たちの腕をもって特定出来ないものがある、と同時にあんなにも分かりやすく出血多量死であるのにも関わらず、そうした何かがわからないという。刃物だとか、銃火器であるとか、人を殺すための凶器など、限られているであろうと思うのが通常である。


「いま分かっているのはここからの出血多量により死亡した、ということだけ。何故そういうことになるのかが分からないのさ」

「どういうこと?」

「こっちが聞きたいよ」


 ざっと眼前に晒された24ページをじっと四つの眼が凝視する。

 人の首裏。うなじから左肩にかけて内出血が点在し、そこにぱかりと開いた傷口がある。魚を捌く一手のような跡である。


「単純に見れば刃物によるものかと思えますが……」


 ジェラールが小首を傾げつつ思ったままを伝える。


「おかしいな」


 ウォルシュがすかさず違和感を唱える。それに呼応するようにジェーンが頷いた。


「傷口の周りに変にひきつった部分があってね。複雑な刃物かとも思ったんだが、そうでもない」

「じゃあなによ」


 勿体ぶる口調の無表情を形作る女は、碧のシャドウを乗せた瞳だけをいまだ爛々を光らせている。赤い唇から覗く白い歯が部屋のライトにきらりと反射した。

 ウォルシュはこの様子のジェーンは良くないことを言う前触れであることを知っている。


「ひとの唾液、が検出されたのさ」


 二つ分の息を吞む音が一瞬。

 ジェーンがべろ、と出した舌を指差す。


「ま、ひとが噛み千切った、と考えるのが妥当かな」

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