仮入隊
(あぁ、早くお帰りにならないかしら)
夜も深くなり始めたエルメイス王国の王都にあるアスクセル辺境伯家のタウンハウスで白銀の長く真っ直ぐと伸びた髪をゆらゆらと揺らし、先程まで薄紫だった瞳を金色に輝かせながらフィーネリアはある人物の帰りを待ちわびていた。暫くそのまま待ち続けているとお目当ての人物がエントランスから現れた。
「お兄様!!おかえりなさいませ!!」
まってました!と言わんばかりの勢いで飛びつくと、兄であるシドラルドは「おわっ」と呻きながらも受け止めてくれた。
「ただいまフィー、まだ起きていたのかい?」
少しばかり呆れた様子を隠さずに咎めるような口調で話すシドラルドはプラチナブロンドの長い髪に青紫の瞳を持ちフィーネリア同様の容姿端麗な顔をした自慢の兄である。
「だって…お返事早く聞きたかったんですもの」
しょんぼりと返せば「全く…困った妹だ」なんていいながらも優しく頭を撫でてくれるお兄様がフィーネリアは大好きだった。
「それで!それでどうでしたか?」
シドラルドはしばし沈黙のあと「ひと月だけだぞ?」と言った。
フィーネリアは顔をパァーっと輝かせて今にも踊り出しそうな程に喜んだ。
シドラルドはそんな妹を傍目にふぅ、と息を吐いた。
―そもそもこうなった原因は10日ほど前に遡る。
その日は丁度フィーネリアの16歳の誕生日であった。
16歳を迎えた御令嬢は初夏に王宮で開催される社交の場「始まりの宴」でデビュタントを迎える。余程の理由がない限り参加を断ることはできない。由緒ある辺境伯であるアスクセル家が参加しない訳にはいかなかった。ましてや兄であるシドラルドはなんと言っても近衛騎士団の副団長である。そんな彼の妹が参加しませんなんてことは許される筈がない。だがフィーネリアは社交界へ参加することが嫌だった。参加してしまえば婚約者を探してますと言ってるようなものだと思っていたからだ。けれど貴族に産まれた以上仕方ないことだということも弁えている。悶々として誕生日を迎えたフィーネリアだったがふと閃きそのままその足で兄の元へ向かった。
兄の居る執務室へ訪れたフィーネリアは扉をノックし返事があるのを待った。少しの間を置いて内側からシドラルドの侍従がドアを開けてくれた。
「お兄様!お願いがありますの」
待ての出来ない犬のように兄の元へすっ飛んでく。
シドラルドは苦笑しながらもフィーネリアの頭を撫でてなんだい?っと聞いてくれる。
「あのね、お兄様、私…近衛騎士団に体験入団したい!」
流石のシドラルドもこんなことを言ってくるとは思ってもいなかったのだろう、目を大きく見開き口をぽかんと開き、何を言い出すのかとばかりの驚き方だった。
「お兄様、お願い!ひと月でいいの。そうしたら大人しくデビュタントでも婚約でもするから…!」
「…フィー、流石にそれは無理がある」
「お兄様、お願いします」
「いや、気持ちはわかるけど、ね?」
そんな攻防が続き遂に折れたのはシドラルドの方だった。
その後シドラルドは団長と王太子殿下に掛け合いひと月だけ、という約束の元近衛騎士団への仮入隊が許可されたのであった。
―時は戻り仮入隊初日を迎えたフィーネリアは魔法によってプラチナブロンドに変えられた髪をひとつに結い、男性風のメイクを施し、胸を潰して急遽取り寄せた近衛騎士団の制服を身に纏った。外出する際には必ず着用するヴェールの代わりに目元を黒い布で覆う。そんなことをしたら当然のこと前が見えなくなるのだがこの生地にはヴェール同様に魔法が付与されており内側からはある程度見える仕組みになっているのだ。何故ヴェールや布を着用しなければならないかと言うとフィーネリアは大変美しい美貌を持ち、幼い頃に誘拐されたことがあるのだ。それ以降両親や兄は過保護過ぎる程になりその身そのままに外出することを許してくれなくなった。それだけではない。フィーネリアは夜になると瞳の色が変化する。理由は未だ解明出来ていないが万が一のことを考えて成人するまでは公表することを控えるよう王命を受けているのだ。
支度を終えてフィーネリアはエントランスまで降りた。
既に支度を終えていた兄の元へ足を進めた。