第一章 1 時間の誤り
曰く、霊というものは不思議なもので、全く怒ったり笑ったりすることは無い。ただそこにいるだけの存在。
それでは刺激が足りない。
それでは面白くない。
もっと自分にしか出来ない体験を。
何故こんなことを思うのか、この男小野零斗は家族の中で一人だけ霊を視ることが出来ないからだ。
幼い頃から夢の中で何度も思い考えた。自分が霊を視ることが出来たなら、それほど充実する毎日はないだろう。退屈、退屈なのだ。
家族間で零斗ただ一人、疎外されている気持ちが強かった。本当は血が繋がっていないのかと考えたこともある。だが、父親譲りの短足と母親譲りの病弱体質。弟と背格好も顔も良く似ていると言われるところのどこに血縁関係がないのだろうか。
だからこそ、比べられはしなかったが兄である自分が弟とは別の世界を生きていることが歯痒くて堪らなかった。父親も母親も、視ているものが違うという疎外感も零斗を蝕んでいた。
自分を見てくれ、自分は出来る。やれる。だから今日、
「降霊術を、やる」
それはもはや病に近かった。取り憑かれてしまったのだ、好奇心と承認欲求に。自分の価値を存在を証明するためにも、霊を視なければ始まらない。これが成功したらきっと皆認めてくれる。きっと褒めてくれる。自分の部屋に閉じこもり、本を捲り始めた。
「まずは紙の人型人形に血を垂らす、のか」
隔離された蔵から見つけた我が家に伝わる降霊術の書。零斗の祖父からは絶対に入るなと言われていたが、入りたいという欲求に負け、昨夜この本を見つけてしまった。
埃まみれで黄ばんでいる分厚い本の裏表紙には、札が何重にも貼られていて気味が悪い。これは代償を伴う術だが高確率で霊に会うことは出来る。
それがどんな代償でも、もうあとには引けない。
いくら危険な術でも、それが霊という不安定で不確かな存在に取り憑かれた男の末路なのだ。取り憑かれているのはどちらなのか。
傍にあったカッターナイフで人差し指に切り込みを入れる。血が滴り落ち薄っぺらい紙人形は朱く染まった。黒く、朱く、赤く染まっていく。薄ぼんやりと暗い部屋の中でも自分の血だけは色づいて、鮮やかに見える。
「えっと人形を四肢、頭部、上下半身の七つに分解する」
分解、つまり切り取るということだ。なにか間違わないように零斗はハサミで丁寧に切り取り記述通り七つに裂いた。血が滲み柔らかくなった紙を切るのに多少苦戦したが、よく出来た方だと思う。
そして最後の工程の文を読もうと目を凝らす。
「あ、れ……」
文字が掠れて、歪んで暈けて良く見えない。ポタポタと、何かが床に垂れる。
零斗の汗だった。
夥しい量の冷や汗が零斗の身体を包む。瞼が、体温が、呼吸も鼓動も下がっていくのを感じて、零斗は微かに高揚を覚えた。
これが、「死」だ。呪いだ、今自分は霊界と繋がっているのだ。
そう思うと興奮と喜びが心の中に押し寄せる。
ずっと感じたかった。会いたかった。やっとこの術を成功させることで叶うのだ。
焦点を必死に合わせながら頁を捲る。震えた指先を文書の最後の項目に当てた。
もうすぐ会える、視える。
早く、早く、早くはやくはやくはやく。
「全ての身体を一つに重ねて纏め、ナイフで上から突き刺しこう唱える」
ナイフなんてない。手元にはハサミとカッターナイフ。カッターナイフを迷わず手に取り、抑えきれない興奮をその一突きにぶつけた。刃が欠ける程の勢いで叩きつけたので、きっと床には抉られた跡が残るはずだがそんなのはどうでもいい。
それよりも、記述された言葉を紡ぐ為に息を大きく吸い込む。
舌が痺れる程熱い唾液が絡まり、自らの想いと共に唇に乗せて───、
「我が祖アシュベル・ローゲルトにこの魂を捧ぐ。応えよ」
契約が完了した。時は流れ、何も起こらないまま進んでいく。
何も起こらない?
失敗したのか?
溢れる不安を胸に零斗はナイフを床から抜き取ろうとした。大体、霊を視えない奴が降霊させることなんて出来るはずないのだ。簡単な術であるがそれほど危険ではある。ならば、命があるだけいいでは無いか。
込めた期待を恥と思い、深く刺さったナイフを両手で引き抜いた瞬間───、
「───ならば応えてやろう」
人型の人形から放たれる眩い程の白い光が零斗の部屋を照らし始めた。眩しいなんてものじゃない。実際目が開けられないのだ。あんなに焦がれて逢いたくて仕方なかった存在を視ることが出来ないなんて悔しいにも程がある。
中性的で低くも高くもない曖昧な声はその一言だけ言い残し途切れた。それは妄想なのか想像なのか。
光の勢いは増すばかりで息すらも吸えなくなる。呼吸はもう出来ない。息を吸った瞬間恐らく死んでしまうのだろう。それぐらいの恐怖が零斗を支配していた。
視界も、音も、何もかも離れていく。
そのまま本能的に瞼と脳がシャットダウンするのを感じながら零斗は眠りについた。
深い、深い眠りについてしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「起きろよクソだらあ!」
「ったァァァア!」
鼻に激痛が走り零斗の意識は覚醒する。激痛なんてもんじゃない、鼻が折れるほどの痛みで悶えるのは当然の事だ。
涙目で転げながら焦点を合わせると、目の前には鼻を垂らした少年三人組がいた。真ん中にはいかにもやんちゃそうな子供がいて、ゲラゲラ笑いながら指を刺されている。
こいつらに鼻を蹴られたのだと本能で感じたのだ。
「こんのクソガキィ……! これ以上俺の鼻が低くなったらどうすんだよ……! タダじゃ置かねぇからな」
「おーやってみろよクソジジイ! 俺ら強えからお前なんか『こっぱみじん』だぜ」
脅しをかけるも泣き出すかと思いきや、さらに威勢が良くなる大将。鼻から血が垂れて頭が痛い。ただでさえそこまで高くない鼻を気にしながら過ごしているのに、潰れてしまっては元も子も無くなる。
大人気なくてもなんでもいい。まずこの子供達に拳で痛い目を見せてやらないと───、
「魔術の決闘だ、クソ野郎! 俺の炎クソ熱ぃんだよ。さっさと焼けちまえ」
そう言いながら大将は棒切れを懐から取り出した。瞬間、棒の先端から炎が飛び出し大気が燃える、燃える。勢いを増した炎は零斗の鼻先にまで灼熱とした温度が伝わってきた。
どうなっているのか。
今の小学生はマジックが達者でこんな芸も出来るのだろうか。
とても現実とは思えないぐらいの出来事で、零斗は目を丸くした。
「なんだ、それ……」
「おいこいつ怯えてね?」
「絶対そうだ! シューちゃんの炎見てビビってやがる!」
「早くジジイも杖出せよ!」
違う。違うのだ。魔術とか訳の分からないことを言い始めた子供は、それが当然であるかのように豪語する。おかしい。変なのだ。
「待て待て、お前ら。ここは何処だ?」
「あン? ここか? この街は」
「違う! そうじゃない! ここは地球なのか?」
自分でも訳の分からないことを言い始めたと自覚する。よく見れば髪も瞳の色も、地球では考えられないような色をしているのだ。大将は赤色の短髪と緑の瞳。横の二人は兄弟なのか水色の髪と黄色い瞳がよく目立つ。
魔術、炎、異色の子供達。これらを考えると答えは明確で───、
「チキュウ? 何それ」
身の毛がよだつ。自分でもこれ程まで勘が嫌になったことは無い。ここが地球じゃないのなら、ここは俗に言う『異世界』なのだろう。
覚えている限りの零斗の情報を頭の中で整理した。降霊術をしてその衝撃で意識を失い、この世界に飛ばされたということか。
「ハハ、これが代償なのか? アシュベルさんよぉ」
独り呟く。ただ帰りたい。あの術には代償が伴う。少なくともそれは命や魂だと推測していて、彼らに会えるのなら本望だと喜んで差し出したのが零斗だ。
だが、未だかつてその存在を目にしたことは無いし、声は聞こえたが会話として成り立っていない。一体どこが代償なのか。釣り合わないにも程がある。
ここから先、何も分からない異界で言葉は通じてもどうすればいいのか零斗には想像もつかない。
「おいてめぇ、いいから杖を」
「───そこまでにしなさい」
声が聞こえた。声なんてどうでも良かったが、その人は何か特別な感じがして思わず振り向いてしまう。
白髪で年老いた老父がそこに立っていた。優しい顔立ちで近づいてきた彼は、子供の前で膝を折り曲げ目線の高さを合わせる。
「シューテ、ルカ、トッド。お前達は優しいのだから弱いものいじめはダメだろう?」
「グルーレ様。で、でも僕達は何もしていません! 向こうが急に脅してきて」
老父に言い寄られ、さっきまでの威勢を無くし大将は小声で言い訳する。言い訳をゴタゴタと並べられ、零斗の怒りは上がっていく。あんな間近で鼻を蹴られたら誰だって怒るものだ。
「うん。お前達は優しい。でも嘘はいけないよ」
「ぅ……。はい、すみません。……お兄さんもいきなり思いっきり蹴ってごめんなさい」
「はあ……」
謝罪をしながらそそくさと逃げていく三人組。その背中が消えるまで老父は手を振りながら見送っていた。そんな彼を尻目に零斗はお礼の言葉を伝える。
「あの、さっきはありがとうございました。何が何だかわからず混乱していましたから」
「いいや、良いんだよ。それに君が来ることは分かっていたからね」
「……はい?」
先程まで少年らに向けられていた優しい瞳が一変し、色づいていた光が老父の目から消える。その目は、何か、零斗の核は拒絶反応を示した。
分かっていた、とはどういう事だ。
この世界に来てからそう長く時間は経っていないとは思っているが、寝ているところから何もかも見られていたのだろうか。なら、何故今助けたのだろうか。
自分が異界から来た人間だとバレているのではないか。
考えすぎる癖が裏目に出て、零斗の思考は得体の知れない恐怖感で押し潰されていた。
「大丈夫、私は君にとって害になる人間じゃない。詳しくは私の家で話そう」
断れば、断ってしまえば此処で零斗の存在が消えてしまうかもしれない。言葉は、分かる。話せもする。だが、根本的に知らない土地で知らない人が知らない常識を掲げて待ち構えていたと言うなら、おぞましい以外の言葉があるのだろうか。
断れない。
助けてくれるのならその人について行くべきだ。
芯の気持ちを押し殺し、顎を引き頷く。声を出したら、瞬きをしたら、崩れてしまいそうだったから。
「はは、そう警戒しないでくれ。さっきも言っただろう? 危害も不快になることも絶対にしない。私は教会の人間だ」
教会。何を信仰しているかは分からないが、外見的なものを見ると、老父は紳士的で神父のようにも見えた。十字架は見当たらないが、黒と白を基調とした制服が彼の綺麗な顔立ちをより一層引き立てる。そうか、だからあんなに子供が素直に従ったのかと零斗は今更ながら気づいた。
「そういえば名前を言っていなかったね、私の名前はグルーレ・フォス・ノーゼルビアだ。気軽にグルーレと呼んでくれ」
和やかに話しかけるグルーレはそう言いながら歩き始める。「家はここから近いんだ」と言っていたので零斗は後ろにつきながら彼の家を目指した。
家が建ち並んでいる。煉瓦を主にして建築されているのか、似たような建物が多かった。煙突からは白煙が上り、窓からは子供が顔を覗かせている。この街には子供が多かった。どこか、自分がいた世界と比べ物にならないほど歩けば子供、子供子供。
それも皆、グルーレに挨拶をするのだ。グルーレもそれに長々と対応し、かなり時間がかかる。近いとは言われたものの、このペースでは中々辿り着けそうにない。
グルーレは何とか警戒心を解こうと語りかけたが、零斗は相槌を打つばかりであまり話そうとはしなかった。
あの目が怖かったからだ。
知らない世界の人を丸ごとそのまま信用できるほど楽観的ではない。だが、最初よりは砕けたのでは無いかと思う。本当に待ち構えていたのなら、これ以上に怖いことはないのだから、当然の反応だ。
「ついたよ、ここが私の家だ」
高原に一軒家がぽつんと立っていた。道中、あれだけの家々が並んでいたのにも関わらず気づけば孤高の場所に来てしまった。
まるで、周りがそこだけを避けているかのように。
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