グラスフィッシュの心
朝は重いカーテンに覆い隠されて
家の中にはまだ届けられていない
私は暗いキッチンで一人
あの人のお弁当を作っている
あの人は昨夜も帰りが遅かった
最近になって突然増えた残業
それは本当に家族の為なの
あなたの楽しみのため
あるいは私以外の
誰かのためではないの
私は重いカーテンを
ぼんやりと見つめながら
頭の中でその物の名を繰り返す
カーテン
カーテン
カーテン
カーテン
何度も繰り返していると
意味が物から剥がれはじめて
皺が化け物のように見えて来てしまうから
さっさと開けてしまおうカーテン
朝の光が一気に部屋を明るい白に染めて
水槽の中に小さな魚たちがキラキラと姿を現す
透明な体をもつグラスフィッシュ
あの人の趣味のために買われて来た6匹の
骨がくっきりと光に輝く
キラキラと透明な体の中
腹部にだけギラギラ銀色の内臓が見えている
しかしその中に隠しているものは見えない
その銀色をこの包丁で裂いたら
心がコロコロと出て来るのだろうか
朝にだんだんと目を慣らしながら
私は心にもない明るい歌を歌った
部屋の隅の陰まで振り払おうとするように
小さく踊りながら
あの人のためのお弁当と朝食を
作り続けた
闇を抜けるような階段を昇って
二階の寝室へ
巣穴のような部屋で布団を被り
あの人が眠っている
世界で最も暗い場所のような
中心に私は立って
それよりは明るい階段の闇を背に
あの人を見下ろす
胸から腹部にかけて
布団からはみ出ている
あの人の透明でない体の中にも
あの銀色のものがあるのだろうか
それをこの包丁で裂いたなら
心は出て来るのだろうか
嘘偽りのない
調理もされていない
生の心が
そこから転げ出して来るだろうか
ココロ
ココロ
ココロ
ココロ
何度も頭の中で
呟いていると
本当にコロコロと転げ出して来るそれが見えるようだから
さっさと剥がしてしまおう布団
「変わった魚だね」とあの人は言った
私はただ笑顔を見せた
目玉焼きとサラダ
ソーセージに加えて
小さな魚のソテーが6匹
名前もつけて可愛がっていた
その魚たちを
あの人は珍しがって口にした
あたたかい朝の光が照らす水槽には
透明な水だけがただそこにあるのに
あの人は気づかなかった
気づかずに
家を出て行った