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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

リファインド・ファインダー

作者: 津籠睦月

 学校へ行けなくなってしばらくった頃、叔父おじが中古のカメラをくれた。

 

 叔父はプロのカメラマンで、普段は結婚式など人生の重要イベントで写真をっている。

 だが、趣味で風景や花や小動物を撮ることもあり、家に遊びに来るたびにその写真を見せてくれた。

 

 カッチリした勤め人の父とは違い、叔父にはどこか自由な空気があった。

 

 考え方も柔軟で、私が不登校になってからも、理由を問いただそうとするわけでも学校へ行くよう説得するわけでもなく、それどころか学校の話など一切出さずに、綺麗な風景や季節の花の話をしてくれた。

 

 そうして帰り際、「もう使わないから」と言って、小振こぶりな一眼いちがんレフカメラを置いていった。「ファインダーを通すと、景色が違って見えるぞ。一度やってみるといい」と、そう言って。

 

 そのカメラを手に取り、家を出たのは気まぐれだった。

 本当は、もうずっと、外へ出るのも怖かったはずなのに。

 

 学校へ行っていなければいけない時間にフラフラしている……それを見られるのが嫌で、近所の人の視線が怖くて、家を一歩でも出たくなかった。

 

 だけど、ファインダーをのぞき込めば、そんな人間の姿もフレームの外に見えなくなる。

 ファインダーで四角く切り取られた世界の中に、みにくいもの、怖いもの、私を傷つけるものは存在しない。

 

 心を誤魔化ごまかしているだけだと分かっていても、カメラひとつ手にしただけで、万能の防御壁でも手に入れたような気になって、不思議とすんなり外へ出られていた。

 

 前々から、写真に興味が無いわけではなかった。

 叔父の見せてくれる写真は夢のように綺麗で、自分もこんな写真が撮れたらいいのにと、ぼんやりあこがれを抱いていた。

 

 写真に写る世界は、ただひたすらに美しい。

 現実社会の醜さも、人間の汚さも、そこには一切写っていない。浮き世離れした、夢の世界。

 こんな世界に、行けたらいいのに。

 

 写真の撮り方なんて知らなかったから、最初は全くの手探り状態だった。

 技術も何も無く、ただ自分が綺麗だと思った被写体へ向けシャッターを切る。

 

 写真は、思っていたより全然難しい。

 綺麗だと思って写したはずなのに、後で見返してみると、その綺麗さがこれっぽっちも写し取れていない。

 それが何だかくやしくて、ムキになったように写真に熱中した。

 

 お金が無いから遠出はできない。人に会うのが怖いから人の集まりそうな場所へは行けない。

 それでも、被写体はいくらでもあった。

 

 コンクリートのヒビ割れから伸びた花。

 雨上がりの草の葉に光る、小さな銀の水晶のような雨粒たち。

 雲の形や空の色だって、日によって移り変わる。

 

 お金が無くても出会えるけど、どれほどお金をんでもとどめておけない、この瞬間にしか存在しないものたち。

 その一瞬の美しさを、せめて写真の中に切り取って、閉じ込めておきたい。

 

 カメラを手に町を歩いて、保存したい景色をさがす。綺麗だと思う景色を探す。

 一回、二回、何十回、何百回……シャッターを切るたびに、画像データが増えていく。

 そうやってひとつ、ふたつ、何十、何百……保存した景色が増えるたび、心の中に何かが増えていくのに気づいた。

 

 紫の粉を地面にいたように咲いているのは、数えきれないほどのホトケノザ。

 ……その名前を知ったのは、小学校の“身近な草花の観察”で、だった。

 

 鮮やかなピンクや黄色の花の合間に、ころんと黒い種を実らせるのは、オシロイバナ。

 ……幼い頃は、夢中でその種を集めて遊んだ。

 

 丸くり取られた深緑の木の中で、オレンジ色の小さな星のように無数の花を咲かせるのは、キンモクセイ。

 この花の香りを町の中でぐと、「あぁ、秋が来たんだな」と、しみじみ感じていた……。

 

 近頃は見向きもしなくなっていた植物たち。

 その忘れていた名前――知っているのに、意識の外に追いやって思い出すことのなくなっていた名や思い出が、ファインダー越しにじわじわとよみがえってくる。

 

 植物だけじゃない。

 モンシロチョウ、ミンミンゼミ、ツバメ、テントウムシ、コオロギ……。

 私はいつから、この小さな生き物たちを私の世界からめ出してしまっていたんだろう。

 

 思えば、小学生の頃は、草や虫や鳥や水が、もっと“近く”に存在していた。

 カレンダーではなく草花や虫の変化で、季節の移り変わりを感じていた。

 

 自然は、遊び場で、遊び道具で、時にどんなエンターテイメントより魅力的なものだった。

 

 どうして忘れていたんだろう。

 あの頃は、もっと世界がキラキラしていた。あの頃は、明日が来るのが怖いなんて思ったことがなかった。

 あの頃は……この世界のことが、好きだった。

 

 いつの間にか私は、この花や、空や、虫や、鳥や、綺麗なものたちのことを忘れ、学校の中のことだけで頭をいっぱいにしてしまっていた。

 私が忘れてしまっても、振り向かなくなっても、花や空や綺麗なものたちは、変わらずにここにったのに。

 いつの間にか、学校の四角い建物の中だけが、世界の全てのような気がしていた。

 

 この世界は、人間だけのものなんかじゃない。

 花や、虫や、鳥や……いろんな生き物たちが、必死に日々を生きている世界でもあったのに。

 

 一時は道端みちばたくしていた野の花も、季節が変われば跡形あとかたもなく消えせる。

 花や虫の命ははかなく、だからこそ、いとしく、いとおしい。

 

 人間の社会やいとなみなど関係ないかのように、ただ自分たちの命をつらぬくものたち。

 それを見守り、写真におさめるたびに、じわりと胸にあふれてくるものがある。

 

 この世界にはまだ、私が好きになれるものがあったんだ。

 綺麗だと思えるものがあったんだ。

 

 この世界は醜いものでいっぱいだから、ソレにばかり目を向けて、ソレで心をいっぱいにしてしまえば、簡単に世界を嫌いになれる。世界に絶望できる。

 だけど、この世界はソレだけじゃなかった。私が目を向けるのを忘れていただけで……。

 

 今日も私はファインダーを覗き、綺麗な景色を探し出す。

 この世界の中の“好き”な一瞬を保存する。

 そうやって、ひとつずつ、私は“好き”を取り戻す。

 いつの間にか失ってしまった、私の世界を見つけ直す。

 

 醜いものや汚いものでいっぱいになった世界は、とても苦しくて生きづらいから、少しずつでも好きなもの、綺麗なものを増やして、生きるのを楽しくできたらいい。

 嫌いなものはなくならなくても、好きなものの数が多くなって、いつか嫌いの数を上回れたなら……きっとまた、世界が好きになれる。そんな気がするから。

 

 今日も私は景色を探す。

 心の中に、この世界に、私の“好き”を集めていく。

Copyright(C) 2020 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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