このすばらしい二日酔いに療養を!!
「鍛冶屋ァァァァァ!!」
ドカン! とアシュリーは鍛冶屋――キュクロプス工房の引き戸を蹴破った。相変わらず薄暗く、埃っぽい工房の中にあの鍛冶師の男はいない。
「うぉのれぇ、どこへ行った……! 隠れても無駄だぞ! このアシュリー・フェリシティア・ポポロフが直々にバールのサビにしてくれる! 覚悟を決めて出てこいッ!!」
アシュリーは肩を怒らせて家探しを開始した。豪奢な金髪をほつれさせ、目を血走らせながらバールを片手に他人の家を荒らし回る女――それはもはや誇り高き騎士の所業ではない。真実、盗賊か殺人鬼の所業である。
あちこち引っ掻き回した。
窯の中を覗いた。
戸棚の影に目を光らせた。
ゴミ箱の中も攫った。
取り敢えず、工房の中に男はいないようだった。ならば住居の方を探すまでだ。のしのしと土足のまま、アシュリーはカウンターの向こうへと歩を進めた。
住居の中は工房に負けず劣らず雑然としていた。ベッドがあるだけの寝室を覗き、決して綺麗とはいえないトイレを探り、物置部屋も検めたとき――アシュリーの地獄耳が小さな音を拾った。
いた、あっちだ。絶対にあっちにいる。
アシュリーはどたどたと音がした方へ走り、音がした部屋のドアを蹴破った。
「鍛冶屋ァァァ! ここで会ったが百年目! 貴様、神妙に……し、ろ……」
アシュリーの怒声が尻切れ蜻蛉になる。
確かに鍛冶屋はいた。
如何にも男の一人暮らしのそれというような、油と水垢に薄汚れたキッチンである。そのキッチンの床の上に――見覚えのあるカーキ色のズボンを履いた足が投げ出されていた。
「お、おい、貴様っ!」
今しがたまでの怒りなど吹き飛んだ。アシュリーはキッチンの床にバールを投げ出し、床に仰向けに倒れていた鍛冶屋――確かベリックとか言ったか――を抱き起こした。
「ど、どうしたのだ!? おい、しっかりしろ!」
うう、とベリックはうめいた。取り敢えず生きてはいるらしい。しっかりしろしっかりしろと身体を揺すると、ベリックは土気色の顔をしかめ、大儀そうに薄目を開けた。
「お、おぉ……なんだ、この間のチビか……なんでここに」
「今の言葉は聞かなかったことにしてやる! どうした、誰にやられた!」
「あ、あんまり大きな声を出すな……」
「野盗か? 押し込みか? 殺人犯か!」
「い、いや」
ベリックは辛そうに顔を歪め、今にも消え入りそうな声で話し出した。
「き、昨日、久しぶりにカネが入ったもんで……街に降りて、賭場に……」
「賭場!? そうか、勝ったカネに目をつけられて襲われたか!」
「いや、負けた」
「負けた……!?」
ベリックはうぅ、と唸り声を上げた。
「負けに負けて全部スッちまった……それで酒場で深夜までヤケ酒呷って、明け方にここに……」
「それで?」
「あ、頭が……頭が痛ぇんだよ……は、吐き気も……」
要するに、二日酔いである。
アシュリーがパッと手を離すと、ベリックの頭が床に落ちる。ゴン! と後頭部をしたたかに打ち付けたベリックは、恨めしそうに呻いた。
「痛ぇ……! このチビ、何しやがる……」
「おのれ貴様! どこまで私をコケにすれば気が済むのだ!!」
アシュリーは床に落ちたバールを拾い上げ、曲線を描く先端をベリックの喉元に突きつけた。
「貴様のせいでさっき大恥かいたぞ! どうしてくれるのだ! 制約の力だの魔法剣だのと適当なことを言いおって! 丁度よい、今ここでギッタギタのメッタ打ちに――!」
そこまで言うと、ベリックが薄目を開けた。アシュリーの手に握られているバールをチラと見てから、アシュリーの顔を見上げる。
「折れてねぇじゃねぇか」
「……は?」
「そのバール……使ったんだろ?」
「あ、あぁ」
「お前が振るえば……隕鉄の剣でも、折れるんじゃなかったのか」
アシュリーはハッとした。
思わぬ指摘である。
確かに、このバールはさっき、副官相手に全力で振ったつもりだった。なのに、折れていない。ヒビさえ入らず、今もこうしてアシュリーの手に握られている。
有り得ないことだった。隕鉄どころか、鋼鉄で作っても合金で作っても、剣なら一月も保たなかった。剣よりも遥かに細いこのバールが、どうして……。
と、そのとき。ベリックがくわっと目を見開いた。
「ちょ、ちょっと、どけ……!」
「え、うわっ!?」
「と、トイレに……!」
飛び起きたベリックは猛烈な勢いで床を這い、トイレのドアを開けて便器を抱くようにすると、ビクンと身体を震わせた。
次の瞬間、ベリックは竜吐水と化した。踏みつけられたカエルのような声とともに胃の中のものをぶちまけるひどい音が響いた。
さすがのアシュリーも、これには唖然とする他なかった。この鍛冶屋に来たときの怒りは、ゲーゲーというベリックの苦しげな声を聞くごとに確実にしぼんでいった。
たっぷり五分も経っただろうか。ベリックの苦しげな息遣いが聞こえた。嘔吐はひとまず収まったようだ。どうしようか迷ってから、コップに水を汲み、差し出してやる。
「ほ、ほら水……」
便器の中身を見ないようにコップを差し出すと、ベリックはそのコップの水で弱々しくうがいをしてから、腹の底から搾り出すような情けない声を上げた。
「うえぇ……辛ぇよぉ……! 誰かなんとかしてくれよぉ……!」
とんでもない男だと――アシュリーは思う。掃除も整頓もされていない家といい、博打で一文無しになったことといい、ヤケ酒を呷って二日酔いになっている現在といい、ダメ人間の数え役満である。こいつ、鍛冶をする以外には全くの生活破綻者ではないか。
だが。自業自得とはいえ、目の前の男は相当に気の毒な状態である。これではとてもこのバールの秘密を訊ねるどころではない。話を聞いている最中に反吐まみれになっては目も当てられないのだ。
仕方ないな。とりあえずここにやって来た理由をひとまず忘れることにして、アシュリーはおずおずと言い出した。
「お、おい」
「なんだよ……なんでもいいから後にしてくれよぉ……今かなり取り込んでるんだよ」
「見ればわかる。だから……その、キッチン、使ってもいいか?」
「何するつもりだ……生憎食いもんなんてねぇぞ……」
「ま、まぁ、なんとかなると思う。何か腹に入れないと辛いだけだろう?」
そう言うと、ベリックは後ろを振り返った。
「まさか――俺のためにか?」
「あ、あぁ」
「あんた、なんでそんなことするんだ」
なんで、って――そう訊ねられてアシュリーも困った。気の利いた言い訳を並べるのは得意ではない性格たちである。なんと言おうか迷ってから、アシュリーは結局、思いつくままにつまらないことを言った。
「う、うるさいな! 私は騎士だぞ、民が困っていれば手を差し伸べるのが仕事なのだ! いいから全部任せて、貴様は養生しておるがいい! 病人は騎士の言うことを聞くものだ!」
探るようなベリックの目を無視して、アシュリーはキッチンに立った。さすが鍛冶屋と見えて、包丁は選び放題のようだ。
戸棚から食材を探す。とりあえず塩コショウ、ベーコンの切れ端と何種類か野菜も見つかった。作るものは決まったが、洗い場には皿や鍋釜が雑然と積まれている。料理を始めるには、まずは洗い物から始めなければならないらしかった。