聖剣のようなもの
練兵場の門をくぐると、上から声が降ってきた。
「よっ、のけもの隊長!」
ぬぅ!? と上を見ると、薄ら笑いを浮かべた若い衛兵が城壁の中に引っ込んだ。
なんだアイツは……。憤然としたアシュリーが歩みを再開すると、向こうから歩いてきた兵士二人が下卑た笑みを浮かべた。
「のけもの隊長、謹慎中でいらしたのでは? 憂さ晴らしの御巡幸? それとも徘徊?」
「のけもの隊長閣下! 本日もお美しゅうございますな! 嫁には絶対にゴメンですが妹にならぜひ欲しいであります!」
睨みつけると、ケッケッと意地悪な笑い声を発しながら衛兵たちは行ってしまった。
ぐぬぬ……と顔をしかめたアシュリーが練兵場に一歩立ち入ると、組手をしたり、弓の鍛錬をしていた数十人の兵士たちが一斉にこちらを見、口々に騒いだ。
「のけもの隊長! 謹慎は解けたのですか! あぁ機嫌が悪そう! そんなわけないか!」
「皆! のけもの隊長が戻ったぞ! 誰かミルクを出してやれ、人肌に温めてな!」
「のけもの隊長! 木剣ならこちらに! 飴玉ならあちらに! ケーキなら城下に!」
「のけもの隊長! 洗髪剤は何をお使いですか! 金髪が眩しくて前が見えねぇ!」
「隊長! 我らののけもの隊長! のけもの隊長! 呼びにくいぞのけもの隊長!」
「いい加減にしろ貴様らァァァァァ!!」
アシュリーが一喝すると、兵士たちは逆に喜んだらしかった。へへへへ、という小馬鹿にした笑いを浮かべながら、兵士たちは頭の後ろに手をやったり、口笛を吹いたりしながら歩み寄ってきた。
アシュリーは短躯に怒気をみなぎらせて怒鳴り散らした。
「毎度毎度五月蝿い奴らめ! だいたい貴様らはド三下の一兵卒だろうが! 反対に私は百騎隊長だぞ、隊長! わかっておるのか貴様らは! 大学なら学長、商会なら会頭、教会なら神だ! 上司に向かってなんだその口の利き方は!」
「いやだって、今のアシュリーちゃんって百騎隊長を降ろされてんでしょ?」
兵士のひとりが言い、アシュリーはギリッとそちらを睨みつけた。おお怖い怖い、というように肩をすくめた兵士の代わりに、誰かが言った。
「だいたい隊長になってもさぁ、アシュリーちゃんはちっとも怖くないのよ。身長も年齢も俺らの半分ぐらいしかないし」
「そうそう、怒っても全然怖くないしな」
「せめてもう少しタッパあればなぁ、怖いかもなぁ」
口々に言われて、ぐぬぬ……とアシュリーは言葉に詰まった。
そう、騎士どころか人間としても欠点だらけのアシュリーであるが、中でも特に深刻なのがそのことだった。
つまり――威厳がないのだ。
確かに、アシュリーはエーデン騎士団の中でも騎士団長に次ぐ要職である百騎隊長という役職を預かっている。だが、この小娘が草鞋を脱いでいるのは、泣く子も黙るエーデン騎士団なのだ。一騎当千の強者、百戦錬磨の偉丈夫がひしめく場所に、身長も体重も、年齢でさえも平均以下の小娘が混じれば、どのような扱いをされるかは自明の理というもの。まぁ、本人がこうでなく、もう少しどっしり構えていればもう少し違った形で尊敬を勝ち得る道もあったのだろうが――単細胞な本人はそれに気づく由もなかった。
それにしても、である。アシュリーはこの状況を創り出したであろう何者かに反駁した。いかに自分が頼りない隊長であったとしても、部下に尊敬されないどころか、敬語すら使われないのはおかしいのではないか。アベニウス騎士団長と自分、一体何がこうも違うというのだ。これでは部下に示しというものがつかないだろう。
地に落ちっぱなしの威厳を取り戻そうと、アシュリーは目を剥いて怒鳴った。
「だからって人をナメ腐るのにも程があるぞ貴様ら! 身長だって三分の二はあるわい! だいたいなんなのだ、のけもの隊長って!」
アシュリーが質すと、年配の兵士が答えた。
「いやね、この間執政官が来て言ったのよ。アシュリーちゃんを『のけもの隊長』って呼んでやれって」
「それでお前らは執政官のいうことを聞いたのか! 貴様らの上司は私だろうが!」
「ハーフィンガルドの野獣、やじゅう、野の獣、つまりのけもの」
「上手いこと言われてもちっとも嬉しくないわ!」
「上手いかな、これ」
へへへ、と兵士たちは一斉に笑った。
「ふ、副官……」
助けを求めると、アシュリーの副官――ニコラス・クラセヴィッツ副隊長が困った顔をした。一見すると騎士には思えない、温厚そうな眼鏡面の男である。
「いえ……申し訳ございませんアシュリー隊長。私だって何度も指導してはいるのですが、どうにもこれでして」
「ゴメンで済む話か! 第一貴様がちゃんと部下の指導をせんからこんなことになるんだろうが! こんなに派手に部下にナメられている将を貴様は見たことがあるのか!」
「は、はい……申し訳ございません……」
「アシュリーちゃん、副隊長をいじめるなよ」
兵士の一人が口をとがらせると、そうだそうだ、と兵士たちが同調した。
「だいたいアシュリーちゃんの副官をやろうってモノ好きは副隊長以外にいねぇんだぞ。副隊長がいなけりゃ俺らに隊列も組ませられないくせに」
「こ、こらお前たち……!」
「大体この間のトロール討伐だってアシュリーちゃんが抜け駆けするから、谷底からトロールの死体を引っ張りあげるのに俺たち凄い苦労したんだぜ」
「アシュリーちゃんはなんかカッコつけて先に帰っちまったしな」
「副隊長は朝までずっと寝ずに指揮してたんだぞ。そんな副隊長にありがとうとかご苦労さまとか一言でも言ったか? それ人間としてどうなん?」
「だいたいアシュリーちゃんがまた砦の鍛冶屋をクビにしたせいで俺ら凄く迷惑してんだぜ。それについてなんか釈明ねぇの?」
からかいの次は吊し上げである。部下であるはずの兵士たちにやいのやいのと己の非をつつかれ、評われたアシュリーは、間もなく涙目になりながらぷるぷると震え出した。
「きっ、貴様ら……! 人を悪し様に言うのもいい加減に……ひっぐ……!」
「オイオイ泣いちゃったじゃねぇか。誰だよ泣かせたの」
「えー、お前だろ」
「馬鹿言うなお前だろ」
「違うよ勝手に泣いたんだよ」
「晩飯のスープが辛すぎて泣いたことあるしな」
「あったよな」
「いよぉぉぉしよくわかった……! 貴様らには人間の上下関係というものを骨身に刷り込んでやらなければならんようだな……!」
アシュリーが腰に佩いた布袋に手をかけると、副官以外の兵士たちは目を丸くし、ひそひそと囁き合い出した。
「おい、見たかアレ」
「また性懲りもなく剣なんか持ってきて……」
「どうせ一月も保たないのにな」
「こ、こらお前たち! 口を閉じろ!」
「あの隕鉄の剣だってどうせ折ったんだろ?」
「次の雨が降るのとあの剣が折れるのと、どっちが早いか賭けでもするか」
「黙れ! 隊長の前だぞ!」
「俺は雨の方に晩メシ代賭けよっと」
「俺も」
「俺もだ」
「なんだよ賭けにならねぇじゃねぇか」
「今日の貴様らの組手の相手は私が勤めよう! 真剣での立ち会いだ! 血反吐吐くまで可愛がってやる! 誰か名乗り出る者はおらんか!」
そう言った途端、兵士たちが一斉にザッと脇に退いた。ただ一人アシュリーの目の前に残されたのは、騒ぐ兵士たちを黙らせようと躍起になっていたクラセヴィッツ副官だけだった。
「え、わ、私――?!」
「ほほぅ副官、随分な度胸ではないか。嬉しく思うぞ」
「お、お前ら! 言うだけ言って薄情な! 何で私が……!」
「副官、言い訳は見苦しいぞ。騎士に二言はないはずだ。さぁ、巻き込まれたくなくば他の者は脇に退いているがよい」
兵士たちが一斉に練兵場の脇に退避する。「お前ら後で覚えてろよ……!」と恨み言を吐きながら、副官は剣を抜いた。
「隊長……今日ばかりは全力で立ち会わせてもらいますよ。私だって本当はぶん殴られたくないんですからね」
クラセヴィッツ副官はきっかり正眼で、剣を中段に構えた。震えも、窮屈さもない。なかなか堂に入った構えであるものの、やはり圧倒的に気迫が足らない。真に剣の冴えを左右するのは相手を圧倒する気迫であるとアシュリーはいつも言ってるのだが――性格的なものなのか、この男はどうしてもそれが苦手らしいのである。
我知らず、笑みが浮かんだ。相手は少し物足らないが、剣を振るうには十分な相手だ。
「よかろう。私もこの剣の真価が知りたかったところなのでな」
アシュリーは布袋の封印を解き、柄を掴んだ。
待ちに待った、剣の封印を解く瞬間である。
「この剣こそは、さる山奥の鍛冶屋が数十年間も秘蔵していたもの。交渉に交渉を重ね、遂に手に入れたものだ」
少し脚色した――というより、内容的にはほとんど嘘っぱちである。だが、剣を披露するときはこれぐらいのハッタリを効かせるのが丁度よいのだ。
「さぁ出よ! 太陽にも劣らぬ力を持つ我が聖剣よ!」
アシュリーは高らかに宣言した。
「その永き眠りから覚めるがよい!」
アシュリーは中にあったものを一息に抜き放ち、その場にいた全員に見えるように高く掲げた。
「なんだ、ありゃあ……!」
兵士たちがどよめく声が聞こえた。数メートル離れて剣を握るクラセヴィッツでさえ、アシュリーの手に握られたものを見てひどく動揺したようだった。
「なんだよアレ、どういうことだ!?」
「わからん……! どうしてあんなものが!」
「お、おい、何かの間違いじゃねぇのか!?」
「知らねぇよ! 俺に訊くな!」
ふふん、とアシュリーは鼻を鳴らした。そうだそうだ、それでこそ聖剣にふさわしい反応である。真に価値ある剣は、一目見ただけの人間すら畏怖させるものなのである。あぁよい気分だ、これぞ百騎隊長に向けられるべき視線なのだ。もっと騒げ、もっと称えるがいい……。
だが――アシュリーの期待を裏切り、兵士たちのどよめきは、数秒後には不穏なひそひそ話に変わった。
「なぁ、誰かつっこめよ。可哀想だろ」
「ヤだよ。だって本人は気づいてないっぽいもん」
「見ろよあの顔。どうだこの野郎って顔してるし」
「騙されたんじゃねぇのか?」
「っていうか完璧に騙されてるよな」
「アシュリーちゃんって馬鹿なんじゃねぇ?」
「何言ってんだ今更だろ」
「脳みそが筋肉で出来てるって噂だぜ」
「げぇぇ、マジかよ……顔はかなり可愛いのに勿体無い」
「妹にしたい感じだよな」
ん? とアシュリーは目を開けた。練兵場の端で、兵士たちは呆れた顔でこちらを見ている。副官は――と言うと、これが冗談なのかどうなのか、判然としないような表情でぽかんとしている。
なんだろう。この剣はそんなに奇妙な形をしているのだろうか。
右手に握った剣を見上げたアシュリーは、その瞬間、雷に打たれたかのように硬直した。
「な、ななななななな……!」
黒光りする地肌。
優美な曲線を描く鉄。
怪鳥の嘴のように二股に分かれた先端。
どう見ても――剣ではなかった。
「バール……だよな、アレ」
兵士の中の誰かが言う。
バールである。
見まごう方なきバールである。
木材から折れ釘を引き抜くために使う、あのバールであった。