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闇夜の辻切り魔と黒い獣

 ふわぁ、とアシュリーは大欠伸を掻いた。もう日は高く昇っているのに、頭が泥を詰められたように重い。ううう、と情けないうめき声を上げながら、アシュリーは王宮の廊下を背中を丸めて歩いていた。


「ううう、眠い……あの野暮天鍛冶屋め、鍛冶屋の分際で私を不眠にするとは……」


 アシュリーはぶつぶつと恨み言を言いながら、ずるずると両足を引きずるように廊下を歩いた。


 昨晩は柄にもなく徹夜してしまった――というより、単純に眠れなかったのだ。生来、過ぎ越しの祭りの前日などはギンギンに目が冴える性質(たち)である。まして、自分が長年追い求めた「折れない剣」を遂に手に入れたのだと思うと心が騒ぎ、とても寝付くどころではなかった。


 中身が、見たい。


 強烈な好奇心に目がくらみ、袋を開けようとするたびに、いいや駄目だ、これにはセイヤクがあるのだぞ……と身をよじって耐えるのを、昨晩からベッドの中で何度繰り返したことか。おかげですっかりと寝不足である。


 しかし、である。


 アシュリーはひとりごちた。


「遂に、手に入ったのだな。折れず曲がらず、欠けもせぬ、私だけの聖剣が……」


 アシュリーは虚空に向かって不気味に笑いかけた。聖剣、その響きがたまらなく愉快である。


「ウフフ、ウフフフフ……フハハハハ、ふはははははははっ!!!」


 寝不足の朝の妙な高揚感も手伝い、アシュリーの高笑いは徐々に大きくなってゆく。


「今に見ていろ世間の奴ら、あの陰険執政官めが! もう穀潰しだのチビだのとは言わせぬぞ! すべての人間がこの聖剣の威光にひれ伏すがよいわ! ぬわはははははは!!」



「聖剣、とは?」



 突如、背後に野太い声が響き、アシュリーは三センチばかり飛び上がった。飛び上がりつつも戦闘態勢を取り、背後の闖入者と十分な間合いを開けた。


「おのれ何奴! 私が油断している隙に背後を取ろうなどとは……!」


 いい度胸だな。そう言いかけて振り返ると、そこには大男が立っていた。


 漆黒の鎧に身を固めた偉丈夫。その灰色の瞳と、縦断する太い傷跡を目にした途端、アシュリーの身体は感電したように硬直した。


「あ、アベニウス団長……!」


 瞬間、アシュリーは身も蓋もなく慌て、「ご、ご、ご無礼つかまつった!」と頭を下げた。


「私の背後を取った痴れ者が団長とはいざ知らず、とんでもない無礼を! あ、あの、なんと言いますか……ほ、本当に申し訳ございません!」

「いや、いいのだフェリシティア隊長。突然声をかけた私も悪い。頭を上げてくれ」

「ですがしかし……! あ、あの、は、腹はまだ斬りたくありませんので、な、なんとか腕の骨一本ぐらいで……!」

「その腕は我が祖国を守るために必要な腕だ。折ったりせんよ」

「ですが……!」

「よい、よいのだ」


 アシュリーはおそるおそる顔を上げた。そこには、酸いも甘いも噛み分けた老練な騎士が、傷だらけの強面を優しく微笑えませていた。


 エリアス・アベニウス騎士団長。それはエーデン王国内で知らぬ者はいない、当代最強の戦士の名前である。騎士団の長になって以来七年の長きに渡り、この国が経験した幾多の戦乱の全てに勝利をもたらしてきたエーデンの“黒い獣”――それが彼であった。


 地位、名声、力。おおよそ人が望み得る大半の栄誉を手に入れておきながら、それに驕らず、誰に対してでも別け隔てなく優しく接する人徳者は、騎士道精神を最も善く体現した人物としても有名であった。この生意気な小娘に無条件で頭を下げさせることが出来る人物など、おそらく地上にはこの男しかいまい。


「それで、聖剣とは? 見たところ、ただの布袋のようだが……」


 アベニウスが仕切り直す言葉を発し、アシュリーが両手で抱えている包みに視線を落とした。

「あ、いえ……」と恐縮したアシュリーは、奇妙に引きつった誤魔化しの笑みを浮かべた。

「い、いや。聖剣とは大それた話。……昨日、新しい剣を手に入れましたもので、少しばかり興奮してしまいまして……」

「新しい剣? この間やってきた王宮付きの鍛冶は休暇を取ったはずだが」


 休暇ではない。アシュリーが勝手に暇を申し渡したのである。おかげで砦の兵士たちは大迷惑、忙しい勤務の合間を縫っては町に降り、市井の鍛冶屋から武具を調達しなければならない羽目になっているのだが――そんなこと、アシュリーは知る由もないことである。


「いえ、砦の鍛冶屋には頼んでおりません。街へ降りました」

「街に?」

「えぇ、場末の野鍛冶ですが。なんでも、魔法剣の類とか」

「魔法剣?」


 魔法剣、と聞いた途端、アベニウスの灰色の瞳が光った。この男には珍しく、何事なのか少し動揺した風だった。


「あの、何か?」


 アシュリーが問うと、アベニウスははっとした様子で首を振った。


「――いや、よい。それよりも隊長。執政官から聞いたぞ」

「はい?」

「何故なのか知らんが、謹慎させられたとか」


 執政官、あの言いふらし優男め。アシュリーは胸中であの細面を罵りつつ、視線を足元に落とした。


「は、はい……少しばかりやらかしましたもので」

「それはまた……どんな失敗を?」

「それはご勘弁願えませぬか。団長のお耳に入れる価値すらないような話でありますゆえ」

「訊くなというなら訊かぬが……」


 そう言って、アベニウスはふーっと長いため息をついた。




「執政官が軍事に疎いのは仕方ないが、今は何かと大変な時であることはわかっておいてもらいたいものだな。辻斬り魔もまだ捕まっておらぬこの時に」




 アベニウスのその言葉に心がざわつく。闇夜の辻斬り魔。それは現在、この城下を騒がせる不貞の輩の通称である。



 凶行は半年前の深夜、突如始まった。被害者の遺体を二目と見れない程に切り刻むのが手口で、もう被害者は十数人に上っていた。死体の傷口から、犯人の獲物は大振りの剣であり、切り口の鋭さから剣の扱いに長けた人間であるということが判明していたが、それ以外の手がかりは皆無。目撃証言までが皆無であった。


 それからと言うもの、一人、また一人と被害者の数は増え続けた。大人から子供まで見境なく、女相手に手加減もせず、斬死体を街頭に転がし続ける凶人は、まるで騎士団を嘲笑うかのように犯行を重ね続けていた。騎士団がその面子にかけて必死に追跡しているものの、現在に至るまで、犯人の逮捕はおろか、奴の凶行を防ぐことすらできていなかった。


 アシュリーは奥歯を噛み締めた。そうだ、謹慎などしている場合ではない。今の自分にはすべきことがあるのだ。騎士とは国を、民を守ってこその存在なのだと信じればこそ、他の騎士団員が寝食も忘れて犯人の追跡に血眼になっている現状を忘れるわけには行かなかった。


「――は。騎士としての使命を果たせぬことは、全く情けない限りであります」

「言うな。それは私も同じだ。そして騎士団の誰もが、君と同じ気持ちだろう」

「はい……」


 アシュリーが力なく頷くと、ふう、とアベニウスは嘆息した。


「辻斬り魔はかなりの手練れだと聞いている。いつ彼の者と相まみえるかもわからない時に時に君のような人間が騎士団にいないのは……私としては如何にも心許ない」


 アベニウスの思わぬ言葉に、アシュリーはぱっと顔を上げた。


「団長、それは……」

「謙遜する必要はない、フェリシティア隊長」


 アベニウスはきっぱりと言い、みぞおちの辺りまでしかないアシュリーの右肩を叩いた。


「君は我が騎士団でも生え抜きの精鋭の一人なのだ。それは私だけでなく、エーデン騎士団の全ての人間が知っていることだ」


 叩かれた右肩から、全身に強烈な感動が走った。目を見開いて硬直したアシュリーを見たアベニウスの目が笑った。


「君の謹慎が早く解けるよう、私からも執政官に嘆願しておくとしよう。――君は騎士団に無くてはならない人間なのだからな」

「あ、ありがとうございますっ、アベニウス騎士団長!」


 アシュリーが最敬礼すると、それだけを言いに来たのだ、というようにアベニウスは柔和に笑い、踵を返した。


 幾多の戦乱の中、一太刀も貫くことが出来なかった黒い鎧。その巨大な影が廊下の向こうに消えてゆくのを、アシュリーはいつまでも見ていた。



 あの男の下で剣を振るうことが出来てよかった。心の底からアシュリーは思う。あの男こそ騎士の中の騎士。あの男のためなら、自分は命さえ(なげう)つだろう……。



 そうだ。惚けている場合ではない。今やれることなら星の数ほどある。そう思い定めて、アシュリーは練兵場に向かう一歩を踏み出した。

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