フォーク
「……あなたには感謝しなければなりませんね」
不意にそう言ったサボスの言葉に、ベリックは手槌を振るう手を止めずに訊いた。
「なんだよ、藪から棒に気持ち悪ィな。また何か企んでやがるのか?」
「いいえ、企んでませんよ。私個人として、そして王国を代表する執政官として、あなたに感謝を伝えたまでのことです」
「毎度毎度、ここまでピクニックしに来た理由がそれだけってことはねえだろ?」
「無論。こんな山奥までそんなつまらないことを伝えに来たわけではない」
サボスは幾分かクマの薄くなった顔で言った。
「“魔眼”は破壊されました。あの忌まわしき魔剣を作ったエルフの技術を以って、再び物言わぬ鋼の塊に戻りました。まず私はそのことをあなたに伝えなければならない」
予想したことだったのに、それでも少し寂しく感じたのは、自分がやはり人間として未熟だったからなのだろう。親方の――鍛冶屋のキュクロが手塩にかけた最高傑作はこの世から消えてなくなってしまった。だが予想していたよりも衝撃は少なく、代わりに安堵に似た表現しがたい気持ちで胸が満たされ、ベリックは「……そうか」と言葉少なに答えた。
「あんたにもすっかり迷惑かけちまったな」
「仰るな。……それに、私もやっとわかった。七年前のあの日、キュクロ将軍の言ったことを」
「親方の言ったこと……?」
「――おいこらウィルフォードのぼんぼん!」
突然、サボスの口調が変わった。腹を突き出し、肩を怒らせ、顎をしゃくれさせて。
サボスの突然の豹変にベリックは目を点にした。
「なぁおいお前! 今日もまた、俺の最高傑作の話が聞きてぇだろ? 言っちゃナンだが、アレは凄いぜ。俺の会心の作ってやつよ! アレが世に出たら世界が変わっちまうぐらいに……。だけどな若造、アレはなまじ凄いだけに使いようだ。世の中が悲しいときには出しちゃいけねぇ。だからよ、もしいよいよの時が来たら、お前さんが然るべき方法で世に出してやってくれ。お前なら頭がいいからその時ぐれぇわかるだろ? な、頼むぜ!」
ひとしきり野太い声でがなり立てたサボスは、ふぅ、とため息をつき、得意げに鼻を鳴らした。
「どうです、似てるでしょう?」
「それ、親方のモノマネのつもりかよ? 似てねぇよ」
「あれま、そうでしたか。結構特徴は捉えていると思っていたのですが」
本気で残念そうな声を出したサボスに、ぷっ、とベリックは思わず吹き出した。ひとしきりヘラヘラと笑ってから、ベリックはいつ言おうと迷っていた言葉を口にする気になった。
「今更だけどよ……その、意地なんか張らねぇで、さっさとアレをアンタに渡せばよかった。そこは反省してるよ。なんていうか……すまなかったな」
ベリックはしどろもどろに反省の言葉を述べ始めた。
「俺は単なる鍛冶屋であってな、王国がどうのこうの、ハーフィンガルドの未来がどうのこうのなんて話はわからねぇよ。わからねぇけど、でも俺の意地のせいで、俺はもう少しでこの王国を滅ぼすところだったんだからな――」
「何をつまらないことを仰るんです。将軍が残した最高傑作とは、あなたのことですよ、ベリック殿」
突然の言葉に、ベリックはサボスの顔を見上げた。サボスは自嘲するかのように目を伏せた。
「私はつくづく愚かです。私はキュクロ将軍が出奔する直前の言葉が七年経ってようやくわかりました。アシュリーがあの輝く戦鎚を掲げたその瞬間に――。魔剣の名前ばかりに囚われて、キュクロ将軍の技をそっくり継いだあなたの存在を、私は全く意識の中に入れていなかった。あなたはまさしくキュクロ将軍の最高傑作に相応しい。少なくとも私はそう思います」
サボスの言葉も、ベリックには半分も入って来ない。俺が親方の最高傑作? 馬鹿な。ただただ親方の背中を追って、がむしゃらになって息継ぎだけしてきたような俺が。
思わず戸惑ってしまった目配せに、サボスは大いに笑った。嘘はない……と思う。この男の、なんの企みもない笑顔をベリックは始めて見たような気がした。褒めているんですよ? と言いたげなベリックの視線に何故か猛烈な気恥ずかしさがこみ上げ、ベリックは人差し指で鼻の下を擦り、槌を打つ手を再開した。
「そんな最高傑作殿には何かお礼をしなければなりませんね。事が事なので地位や名誉は諦めてもらう他ありませんが、この工房の新築費用ぐらいなら……」
「いいよ。それに、この工房はもう閉めることにしたんだ」
えっ? と、サボスはベリックを見つめた。ベリックは槌を置き、打っていた鉄を水桶の中に突っ込んだ。じゅう、という音ともに、湯煙がもくもくと上がった。
「この工房を閉める? ――何故?」
「さぁ、なんでだろう。もうこの工房に居続ける必要もなくなったからかもしれねぇし、親方を探してみたくなったのかもしれねぇ。……まぁとにかく、この穴倉から出て、太陽の下に出てみたくなったのさ」
ベリックは水から出したそれを万力で挟み、棒ヤスリでヤスリがけし始める。ふっ、ふっ、と息を吹きかけて鉄粉を飛ばしながら、全体をなめらかに削ってゆく。
「俺の客のことは、エレノアさん――おっと、王宮魔術師リヴリエール様か。あの人に頼んだ。なるべく近くて腕のいい鍛冶屋を紹介してもらうよ。引き継ぎに時間を取られたくねぇんでな」
「そうですか……長い旅になりますか?」
「まぁ、そうなるかもしれないし、そうならないかもな――何もかもこれから決めるよ」
そう言って、ベリックは金床の上にヤスリを置いた。
できた物を右手に持ち、二、三度撫でさすってから立ち上がる。
「これがこの工房で作る俺の最後の作品だよ」
ベリックは今できたフォークを、サボスの胸に押し付けた。サボスはちょっと目を見開き、これは? というようにベリックを見た。
「これからのエーデンはアンタにかかってるんだ。あんた、エレノアさんに心配されてたんだぞ――しんどいときに備えて、これでちゃんと食って体力つけねぇとダメだぜ、ウィルフォード執政官様」
そう言って、ベリックは再びフォークをサボスの胸に押し付けた。
荒々しい辻目の残る、いかついフォークである。だが、使っているのはアシュリーの剣に使うつもりだった舶来の特殊鋼で、欠けず、曲がらず、サビにも強い。そして、アシュリーの聖槌と同じぐらい、強く、軽く、美しく作ったつもりだった。
しばらくしげしげとフォークを見たサボスは、笑った。
「あぁ――大切にしますよ、きっと。鍛冶屋のベリック殿」
あはは、と声を出して、端正な顔がしっかりと笑みの形になる。
初めて笑った――わけもなくその事が嬉しくなり、思わずベリックもへらへらと笑った。しばらく、サボスとベリックは、まるで打ち解けた親友同士のように、笑った。
「執政官、そろそろお時間です」
そう言って工房の外から声をかけてきたのは、アシュリーの副官のクラセヴィッツだった。よう、久しぶり、と手を上げると、クラセヴィッツは紳士的な微笑みを浮かべ、ベリックに向かって軽く会釈をした。
「はいはい、只今」と間延びした声で応じたサボスのローブ姿が工房を出てゆく。
「女王陛下によろしく」ドアが閉まる瞬間、ベリックは付け足した。「またな」
サボスは答えなかった。だが、ドアが閉まる寸前、すっとサボスが手を上げたのをベリックは見た。