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聖剣と野鍛冶

「夜が明けましたね」


 ふいごを押す手を止めて、クラセヴィッツが言う。無論のこと、そんなことで手を休めることは出来なかった。ああ、と素っ気なく応じて、ベリックはハンマーを振るう手を再開した。


 ギン! ギン! と、通常の鉄を打つよりも数段高い音が発し、ほんの僅かではあるが金属が引き締まり、別のものへと生まれ変わってゆく感触が伝わる。


 いまだかつて、ここまでご機嫌取りが難しい金属には出会ったことがなかった。硬さが鉄とは段違いで、全力で叩いても想定の半分も延びてくれない上、鍛造に適する温度は想像を絶して高く、いくら石炭を継ぎ足し、ふいごで風を送っても全く足りない。だがその反面、火床から出して成形に入るとどういうわけかえわずか数秒で温度が下がり、赤黒く変色して鍛造に適さない温度まで下がってしまう特性も手伝い、こまめに加熱しては僅かに成形するという作業を繰り返さねばならなかった。本来ならば既に焼入れに入っていなければならない時間なのに、そのせいですっかりと夜を徹する作業となってしまった。


 ギリ……と食い縛った奥歯が嫌な音を立てる。喘ぐように肺に空気を取り込みながら、全身で手槌を振り下ろし続けるべリックに、クラセヴィッツが「それにしても……」と不安そうな声で訊いてきた。


「こんなもので対抗できるのでしょうか……その、魔剣に」

「……やってみなきゃわかんねぇよ、そんなもんは」


 拭うこともしない汗が額から飛び散り、赤めた金属の上で弾けた。


「俺が出来ることはコイツを完成させてアイツのところに届けることだけだ。それからはアイツの腕がすべてを決める。今は勝ち負けを考える時じゃねぇ」

「しかし、アベニウス団長の実力は本物です。いくら隊長と言えど……」

「大丈夫さ、多分な」


 クラセヴィッツが怪訝な顔を上げた。「手を止めるな!」と鋭く檄を飛ばすと、慌てたような顔でふいごを押す手を再開し始めた。


「一体いつまで加熱するんですか? もうこれ以上の時間は……」

「工房なんか焼けちまっても構わねぇ! もっと赤めなきゃダメだ! つべこべ言わずやってくれ!」


 自分で聞いても鬼気迫る声に、クラセヴィッツは迷いを捨てた顔でふいごを押し始める。炎が空気を喰らう恐ろしげな音がしてしばらく、火床から吹き上がる炎は輝くような黄色い光を放ち始めた。


 金属の塊を再び火床の中に入れ、鍛造成形に必要な温度まで赤める。火床の中の石炭が猛烈な勢いで酸素を喰らい、青白く燃えていた炎が金色に輝き出す。火を見続けている両目は熱波に炙られ続け、見開いているのもつらいほどだが、今は自分の身体のワガママを聞いている暇などない。


 叩き伸ばした鋼を火床から出し、鏨蚤を欠片の中心に打ち込んだ。二つに折れた欠片を折り返し、上から鎚で叩き締める。これは金属が持つ分子同士を圧着することにより、分子構造にムラが出来ないように練ってゆく作業である。普段ならやらない行程、よほど凝った製法ということになるだろうが、今自分が打とうとしているのは包丁や鎌ではなく聖剣なのである。塞げる穴は塞いでおきたいと願わずにはいられなかった。


 工程はいよいよ最後の成形に入った。鋼を手槌で叩き、自分が思う通りの形に叩きしめてゆく。金属を何度も叩くことで不純物を叩き出し、鋼の中にバラバラに偏っている金属分子を砕いて均一にしてゆく作業だ。


「……アンタだってアイツの剣を喰らったことあるんだろ?」


 クラセヴィッツはふいごを動かす手を止めずに「え、えぇ」と同意した。


「なら、アンタはアイツの剣が何故折れると思う?」

「それは……隊長があまりにも怪力だからでしょう? 私だって何度もやられた。この間なんか城壁の外までふっとばされて……」

「違う。俺もアイツの一撃を喰らったことがある。あれはどう考えても剣の峰を叩きつけてるんだよ」


 はぁ――? と、クラセイヴィッツが眉間に皺を寄せた。


「おかしいと思ってたぜ。普通剣ってのは刃の方が峰より硬い。だから叩きつければ折れるより欠ける方が早い。でもアイツの場合は剣がそっくり折れちまう。欠けずにだ。こいつは妙だと思わねぇか」

「そ、そう言われれば……でもどうして」

「この間、アイツの話を聞いてようやくわかったんだ。――アイツは昔、親父さんを斬り殺したことがあるって」


 クラセヴィッツが息を呑むのがわかった。


「隊長はそんなことまであなたに……!?」

「あぁ。聞いたよ。まさかアイツがあのステンダール団長の子だったなんて……知らなかった」


 ベリックは言葉少なに肯定した。あの時、膝を抱えて震えていたアシュリーの姿が、今頃処刑台の上にいるだろうアシュリーの姿に重なる。


「ここからは俺の仮説だがな。アイツは人に向かって剣を振り下ろすとき、妙な癖がついてるんじゃねぇか? 本人は気がついてねぇが、人に刃を向けるのはそのときのことを思い出しちまってどうしても身体が受けつけない……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それに気づかないままアイツは何年も剣を振り続けてる。妙に馬鹿力なのも殺傷力を補うためについたクセだって考えれば……多分、それが正解なんじゃねぇか」

「そ、それじゃあ、我々が剣を打ったところで隊長は……!」


 クラセヴィッツの顔が青くなる。ベリックは額に滲み出た汗を革手袋で乱雑に拭いつつクラセヴィッツを見た。


「馬鹿。俺は剣なんぞ打たねぇよ」

「は、はぁ――!?」


 成形を終えて、ベリックは鋼の塊を火床に押し込んだ。


「野鍛冶だよ、俺は。野鍛冶は武具や刀みたいな武器じゃなく、働き者のためのいい道具を作る。俺は俺の誇りに誓って剣は打たねぇ」

「何を馬鹿なことを言ってるんですか!? 隊長はあなたを待ってるんだ! あなたが剣を打たないなら、もうこの国は……!」



「勘違いすんなよ。もっといいもの作ってやる、って言ってんだ」



 にやり、と笑いながら言うと、クラセヴィッツが異様な表情を浮かべた。


「聖剣を超える……と仰るのか」

「さぁて、どうなるかな。見てのお楽しみだよ」


 そう言いつつ、ベリックは最も重要な行程に移った。


 鋼を火床から出し、鋼の色を見る。鍛造よりもやや低く、赤黒い夕日の色になっている。自分の経験と勘の蓄積全てに照らし合わせつつ、これで十分かどうか見極める。あとは自分の目が蓄積してきた経験を信じるほかない。


 鍛冶屋が最も神経を使う瞬間――それは焼きを入れる瞬間であると、おそらくほとんどの鍛冶屋が言うだろう。熱く熱した鋼を水に漬け、急速に冷却することで鋼を硬化させるこの行程は、文字通り鋼に命を吹き込み、道具の一生を左右する重要な工程だった。あまり急速に冷却が進むと鋼は歪み、最悪の場合全体が縮んで割れてしまう。かと言って逆に急冷のタイミングが遅れると、鋼は全く実用に耐えないヤワなものになってしまう。



 時間的にも、失敗が許されない工程だった。



 ふと――水桶に映った自分の顔を見ながら、ベリックは不思議に思った。一体この世の誰が、こんな工程を思いついたのだろう。真っ赤に灼けた鉄を水に浸け、それでより鉄が強くなるなどということを。自分だったら絶対に思いつかない工程なのに、一体誰が。ベリックは今更ながらに鍛冶の叡智の不思議を感じ、しばらく手を止めた。


 親方が言っていた。まだこの世が始まったばかりの時、人々は石と木だけで道具を作っていたのだと。やがて人間は青銅器を始めとする金属を発見したが、青銅は柔らかすぎる。きっとそれほど実用に耐えるものではなかったに違いない。人間という種族がいつ鉄と呼ばれる金属に出会ったかはわからないが、とにかく、有史以来、人間の側にはずっと鉄があったはずなのだ、と。


 獣と違い、人間はあまりにも弱い。爪も、牙も、寒さから身を守る毛皮もない。そんな脆弱な生き物がなぜ今この地上に満ち、繁栄を謳歌しているのだろうか。


 それはきっと――鉄を見つけたからだ。人間がはるか昔、さらなる地の果てを目指して旅立った時、神から与えられた唯一の牙を携えていた――それがきっと鉄だったのだろう。


 滔々と水を湛えた桶に、汗と煤に塗れ、まるで子供のように目を輝かせながら鎚を振るっていたアシュリーの姿が浮かんだ。


 なぁ、お前は今何をしているだろう。あの魔剣を相手に勇敢に立ち回っているだろうか。それともあの魔剣の勢いに圧され、これが届くのを今か今かと待ち望んでいるだろうか。どっちにせよ、俺が出来ることはこれ以外にないんだ、お前の獲物を鍛えること以外には。


 ただ、俺にもわかることがある。鉄は打たれれば打たれるほどに強くなる。人も、鉄も、それは変わらねぇ。なら、お前の武器は聖剣でも魔剣でも有り得ない。なら――きっとお前には応えてくれるものがある。打たれ、叩かれ、何度地に這いつくばっても立ち上がってきた誇りが――きっと聖剣や魔剣よりも遥かに強い力を与えてくれるだろうさ。


 暗い水桶に、汗みどろの顔が朧に映った。おや――この顔は自分の顔じゃない。これは親方の顔だ。厳しくて、怖くて、そのくせ人一倍優しかった男の顔。冥王になどは似ても似つかない、ものぐさで、豪快で、しかし人一倍の慈愛に満ちたな男の顔が、自分の汗みどろの顔を見返して静かに笑っていた。



「見ていてくれよ……!」



 祈るようにつぶやき、ベリックは熱く灼けた鋼の塊を一息に水に突き入れた。



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