異世界で奴隷ゴーレムを
アベニウスが顔を上げ、空を仰ぐ。なんだろう、この妙な音は……と思った途端、広場の向こうから兵士の悲鳴が聞こえて、アシュリーも目を開いた。
「なんだ! 何の騒ぎだ!?」
アベニウスが問い質しても、兵士たちのざわめきは治まらない。まるで怪物に追い立てられたかのように、兵士たちはこけつまろびつ地上に這い出てくる。何かが、圧倒的な何かが近づいている……アシュリーがそう直感した瞬間、「それ」は大地を裂いて現れた。
メキメキ……と、王の広場に亀裂が広がり、ぬう、と何かが顔を出す。手だ。ひび割れた泥の塊のような右腕が地上に伸び上がり、それを見た兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始める。
「なんだアレは……!」
アベニウスが顔色を変え、処刑台を駆け下りて広場の中心へと走ってゆく。魔物? いや違う。あんな怪物が王都に近寄ってこれるはずがない。一体アレは……!?
「おねさん!」
鋭いが、聞き覚えのある声が土煙の向こうから聞こえ、アシュリーははっと顔を上げた。
クレア!? ぎょっと顔を上げ、土煙の向こうにその姿を確かめようとするのと同時に、「それ」は轟音を上げながら全身を地上へとずり上げ始めた。
奇妙な泥の巨人であった。岩石に覆われた胴体、異様に長い腕。半ば胴体に埋もれたような頭には目と思われる二つの暗い輝きがあり、その肩に――あろうことかあのエプロンドレスを着たクレアが腰掛けていた。
「ご、ゴーレムだぁ!!!!」
誰かの素っ頓狂な声が聞こえた。ゴーレム、それは岩と泥で形作られた人造の巨人。たまに霊的瘴気の濃い地下世界で巡り合うことがあるとは聞くが、そんな迷宮や洞窟の類が王都の地下にあるなどとは聞いたことがない。コイツは一体どこから出てきた? 何故そんな巨人の上にクレアが乗っているんだ……!?
突如現れた岩の巨人に、広場はパニックになっていた。処刑台の周りを囲んでいた兵士たちは巨人に立ち向かうどころか我先にと退避し、処刑の瞬間を見守っていた貴族たちは悲鳴を上げて観覧席を逃げ惑う。
「ゴーくん! おねさんを助けて!」
クレアの声でそんな言葉が聞こえると、岩の巨人はゆっくりと回れ右をし、軛の上で身動きが取れないアシュリーを巨大な指で摘みあげた。その図体には見合わない、驚く程の器用さでアシュリーの首根っこを摘み上げたゴーレムは、そのままクレアがいる右肩にアシュリーを落とした。
一メートルほどの高さから尻から着地する羽目になったアシュリーは、尻の痛みを呻く暇もなく、両手で猿轡を外してクレアに詰め寄った。
「く、クレア! お前、どうしてゴーレムなんかに……!」
「大丈夫だよ。ゴーくんは私の友達だから!」
「と、友達って……!」
そう呟いた途端、ゴーレムが身じろぎし、アシュリーは巨人の肩の上で再び尻餅をついた。くそ、この両手に巻き付いた鎖のせいで思うようにゴーレムにしがみつけない。揺れ動くゴーレムの肩の上でバランスをとるのに四苦八苦しているアシュリーを見たクレアは、岩肌の上を器用に這い進んできた。
「おねさん、手を出して!」
「は?」
「いいから早く!」
いつものクレアとは違う、鋭い声に命令され、アシュリーはまごつきながらも両手を出した。一体どうするんだと眉根に皺を寄せるアシュリーの目の前で、クレアは両手首を繋ぐ鎖を小さな掌で握り、瞬時瞑目した。
「砕けて!」
鋭く叫んだクレアの言葉とともに、アシュリーの手首に巻き付いた鎖がまるで氷細工のように砕けた。ぎょっと目を見張ったアシュリーは、クレアのそばかすだらけの顔をまじまじと見つめた。
「クレア、お前……!」
「へへん、こんな鎖よりもゴーくんの身体の方が百億万倍硬いんだぜ」
事も無げに言ったクレアに、アシュリーも思い出す言葉があった。確かこの娘と初めて出会った時、この娘は自分の顔を見て『ゴーくんに乗ってきた』と言ったのではなかったか。ゴーくん、つまりゴーレム。まさかこの岩の巨人は……この少女が呼び出した魔物だというのか。
自慢気に鼻の下をこするクレアの顔を、アシュリーは信じられない思いで見つめた。これがエルフ。生まれながらにして魔法的な才能に恵まれた伝説の種族。まだ4~5歳の子供にしか見えないが、エルフとは人間世界の常識など全く通用しない種族であるらしい。
「おねさん大丈夫? いたいことされなかった?」
「あ、あぁ。私は大丈夫だ。それよりお前、どうして私を……」
そう尋ねると、クレアは「うん!」と全身で大きく頷きながら言った。
「穴ぼこの中にいたときにね、おかさんがね、私にお願いしたの! おねさんがここで捕まってるから、ゴーくんと一緒に助けなさいって。今日だけは思いっきりゴーくんを大暴れさせていいからって!」
「お、おかさん……って、エレノアさんがか?」
どうしてあの人が……重ねて問おうとしたその時だった。カンカン! という音と共に、何かがアシュリーの頬をかすめ、アシュリーは顔を上げた。見ると、いつの間にか城壁の上に登った兵士たちが、こちらに弓を射かけ始めている。
「あいつら嫌い! ゴーくん! 死なないぐらいに叩いちゃって!」
クレアがそう命令した途端、岩の巨人がゆっくりと動いた。拳が握られ、巨石そのものになった拳がゆっくりと後に振りかぶられるのを見た兵士たちは、ゴーレムが何をしようとしているのか理解したらしく、血相変えて退避を始めた。
ズシン! という物凄い轟音とともに、城壁にゴーレムの拳がめり込んだ。そのまま巨人が拳を引き抜くと、石積みの城壁はガラガラと音を立てて崩れ落ち、数秒で瓦礫の山と化した。
「こ、こらクレア! あんまりやりすぎるでない! 女王まで死ぬぞ!」
「だいじょーぶ! ゴーくんはやさしいんだから!」
「や、やさしいって……!」
こんな無茶苦茶な攻撃をしておいて優しいもヘチマもないではないか。振り飛ばされずにしがみつくのがやっとのアシュリーにはクレアを諌める余裕すらない。その間にもゴーレムはその巨体を示威するかのように暴れ回る。
もはや王の広場は処刑どころの騒ぎではなくなっていた。衛兵は巨人の大暴れから逃げ出すのが精一杯、観覧席の王侯貴族は飛び散る瓦礫から己が身を守るのに必死で、これ以上ない混沌が生まれつつあった。
「あ、みつけた! あのヒゲだ!」
ゴーレムの足元を見たクレアの目がつり上がった。下を見ると、アベニウス団長が呆然と岩の巨人を見上げている光景がある。
「ひ、ヒゲって……アベニウス団長のことか?」
「うんうん! 私、あのヒゲ大っ嫌い! 私にひどいことしたんだよ! ひどいよね!?」
「わ、わかるが――ちょ、ちょっと待て!」
「絶対ゆるさない! ゴーくん! 遠慮はいらないからプチッとしちゃって!」
「お、おい、クレア!」
ダメだ、その人は――! とアシュリーが止めようとしたが、ゴーレムはゆっくりとした動作で右足を持ち上げる。
途端に、アベニウスの顔色が変わった。ゴーレムが何をしようとしているか理解したらしいアベニウスが剣の柄に手を伸ばした瞬間、巨人の右足がその姿を覆い隠した。
「まずい!」
アシュリーはクレアを抱きかかえると、ゴーレムの肩を蹴って地面へと飛び降りた。なんとか最低限の受け身を取り、地面を転がったアシュリーがゴーレムを仰ぎ見た瞬間、ゴーレムの下半身が爆発した。
ゴーレムを構成していた岩が弾け、泥が引き裂かれ、まるで内部から爆発したかのように四散する。慌てて岩陰に身を寄せて殺到する岩の礫をやり過ごしたアシュリーは、頃合いを見計らって岩陰から這い出た。
土塊の山の中に立ち尽くすアベニウスの右手に、あの黒い剣が握られていた。反射的にそれを抜いてしまったのだろうことは、アベニウスの強張った顔が雄弁に物語っていた。
ほんの一瞬だけ、広場の喧騒が止んだ気がした。
「ま、魔剣だ……!」
沈黙を破った誰かの裏声に、アベニウスの顔から血の気が引いたのが見えた。広場にいた兵士たちは怯えたようにどよめきの声を上げ、騎士たち、そして貴賓席の上で凍りついている貴族たちまでもが、アベニウスに怪物を見る目を向け、広場は水を打ったように静かになった。
「これは一体どういうことか! エリアス・アベニウス騎士団長!」
男の声が響き渡り、その場にいた全員の視線が貴賓席に集中する。その視線を真正面に受け止めた優男――サボス・ウィルフォード執政官は、冷たい目で広場の上のアベニウスを見下ろした。
「その剣は名物“魔眼”とお見受けする! その魔剣は先王陛下のご命令により、十年の間この王城の地下深くに封じられていた魔剣であるはずだ! エーデン騎士団の長たるあなたが何故その魔剣を帯びているのか! お答えいただきたい、アベニウス団長!」
いよいよラストバトルの開幕です。
さぁ、読み給えよ。