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野獣の子

 錆びた鉄の臭いがした。


 鼻を突くような臭いだった。腥さ、痛み、欺瞞や鬱屈……人が隠し持つ全ての闇がごちゃまぜになったような、腐敗臭に近い饐えた空気。一体どこから発せられるものなのかと辺りを見回したアシュリーの目を、太陽の光が灼いた。


 三日ぶりに見た太陽の光は眩しかった。しばらく顔をしかめて暴力的な眩しさに耐えたアシュリーは、広場の中に作られた処刑台を無感動に見つめた。


 子供の頃から遊び場だった王の広場。王城内の一角に作られた広場には衛兵や騎士団の面々が整然と列を為す光景があり……ひときわ高い場所には、毛氈の敷かれた玉座まで見える。


 アストリッドはいるのか? 頭の中にその思いだけが浮かんだが、自分の前後を挟む騎士たちの背に邪魔されてよく見えない。思わず身を乗り出そうとするのを「あまりキョロキョロするんじゃねぇ」という野太い声が阻んだ。


 すぐ隣にいる処刑人の声だった。その固太りの身体に錆びた斧を片手にした処刑人は、袋で人相を隠した顔をアシュリーの耳元に寄せて「最期に見る太陽をよく見ておけよ」と意地悪く言った。


「お前が忠誠を誓ってた奴らをよく見ておけ。そいつらが今はお前の死を望んでる。いつだって奴らは簡単に手のひらを返すよなぁ?」


 にちゃにちゃと粘着くような口調が不快だったが、死までの短い間、できうる限りの絶望を罪人に擦りこむのも処刑人の仕事らしい。眉をひそめて顔を背けたアシュリーを見て、処刑人は「そう悲しむなよ」と楽しげに囁いた。


「どうせ首と胴体が離れるまでの間のこった。お前が殺してきた人間の何分の一も苦しまねぇで死なせてやれるさ。あんたの細い首ならそれこそ草の根ひきちぎるより簡単なこったろうぜ」


 そう言われて、アシュリーは処刑人が携える大斧に目配せした。苦しむことはない……と処刑人はいったが、染み付いた血と脂がヤニとなってこびりつき、あちこち錆びて打ちかけた大斧である。どう見ても処刑人が誇るほどの切断能力はなさそうだった。


「……貴様、その斧」

「あん?」

「その斧、さぞやの名物と見た。……が、生憎貴様が思っているほどには斬れそうにないがな」


 覆面の奥で、処刑人が笑みを引っ込めたのがわかった。その顔を横目で見ながら、アシュリーは低く言った。


「覚えておけ。どんな刃にも千年の命がある。だがそれは使う側の人間に心あるうちのことだ。その調子で手入れもせんのでは貴様の獲物はあと五年と持たんぞ」


 袋の向こうで濁った白目が血走ったように見えた。が、背後から近づいた何者かによって、口に猿ぐつわ噛ませられた。


「口を閉じるんだ」


 凄まじい怨念が籠もる声だった。そのままがっくりと項垂れ、再びとぼとぼと歩き出したアシュリーに、処刑人は舌打ちをしながら歩みを進める。


 なんでこんなことを言ったのだろう……。アシュリーは自分が今吐いた言葉に嫌悪感すら覚えた。自分はもう、鍛冶屋でもないし騎士でもない。今まさに処刑されようとする罪人……いや、それ以下の存在だった。


 もはや自分は罪人ですらない。父と慕った騎士団の長に裏切られて、信じるべき道も誇りも見失った人間の抜け殻でしかない。絶望に身を巻かれ、芯まで食い込んだ錆に全身が腐食した、二度と突き立てることが叶わない(なまくら)――。そんなものが今更人間の言葉を吐いて何になる。自分はもう、残された時間を無為に潰すだけの無意味な存在でしかないのに。


 じゃらじゃらと、足首に巻かれた鎖を引きずりながら処刑台の階段を昇る。階段を昇りきると、今まで慣れ親しんだ王の広場が全て見渡せた。



「今日この場に、大罪人アシュリー・フェリシティア・ポポロフの処刑を行う!」


 一歩前に進み出た役人が朗々と宣告するのを、アシュリーは無感動に聞いていた。


「罪状は大逆! この者は不届きにも吸血の魔剣を用い、無辜の民を無差別に惨殺すること数十に及び、その悪しき野望のために恐れ多くも王の都を騒擾せしめた! それは我がエーデン王家への大逆と同罪である! この咎は必ずや法の、そして神の御意志のもとに裁かれるべき大罪である! 異議あるものはいるか!」


 こんなことをしている場合ではないのに、身体に力が入らない。それは違う、私は潔白だと大声で叫んで悪足掻きをするどころか、側を固める兵士たちを跳ね除け、この場を脱出する気力すら湧いてこない。


「願わくばここに流れるこの大罪人の血潮が、穢された御霊の贖いとなることを――!」


 その宣言とともに、膝裏を蹴られた。よろよろと跪いたところに軛を掛けられ、手足を拘束していた手鎖も外される。


 もはや抵抗する気力も失せていた。絶望も怒りも全てが霧の彼方に霞むかのように曖昧になり、これからやってくるだろう死さえも緩慢に受け入れようとしていた。


 処刑人が一歩、近づいてくる気配がした。


「退け。彼の者は私が裁く」


 不意に、そんな声がして、アシュリーは緩慢な動作で顔を上げた。


 アベニウスだった。突如割り込んできたアベニウスに、処刑人は抗弁することもなく脇へ退き、それと同時に脇を固める騎士たちが処刑台を降りてゆく気配がして、処刑台にはアシュリーと、いつの間にか処刑人の斧を手に持ったアベニウスだけ残された。


「こんなことになってすまない、フェリシティア隊長。だが、生憎と君を生かしておくことは出来ない。最期の慈悲だ、私が君を終わらせることとしよう」


 アベニウスは薄笑みを浮かべながらそう呟いた。自分以外の誰にも聞こえていない声で、アベニウスはせせら笑うように言う。


「安心するがいい。あの鍛冶屋もすぐに君の後を追うことになるだろう。そうすれば父の側で聖剣でも何でも鍛えるがよい。あんなバールではなく、本物の聖剣とやらをな」


 鍛冶屋。その言葉に、アシュリーの枯れた心にほんの少しだけ何かが戻った。


 ベリック……鍛冶屋のベリック。私が知らなかった何かを教えてくれた男。私のためにきっと奴もどこかで自由を奪われているに違いない。


 人に与えるばかりで、人から求めることを知らない男。カネのためでも、名誉のためでもなく、ただただ鉄と向き合い、その鉄が人々の役に立つ道具へと変わっていくことを喜んでいた朴訥なる鍛冶師――。


 はっ、と、アシュリーは顔を上げた。軛の向こうに見える『王の広場』の貴賓席には、見えない目で処刑の行く末を見守っている女王、アストリッド・エーデンの姿がある。その隣に立っている執政官、サボス・ウィルフォードの姿をも同時に視界に入れたアシュリーは、そのまま、円形の広場に集まった全ての人間を目だけで眺め渡した。王侯貴族、役人、騎士団……その処刑を固唾を飲んで見守る人間の数は、この広場だけで、ざっと千人はいるだろう


 私が死ねば、彼らはどうなる?


 真実は闇に葬られ、支配と戦乱に明け暮れる暗黒の時代が始まるのか。


 女王は――アストリッドは、王国は。


 アベニウス騎士団長を止めるものは。


 父が残した思いは。


 ベリックは――どうなる?


 死ねない。

 

 まだ死ねない。


 アシュリーは目を見開いた。


 アシュリーは軛に通されたままの首を滅茶苦茶に動かした。軛に挟まれたままの両手を動かし、あらん限りに力を入れてみる。それと同時に、軛がみしみしと音を立て、歪む気配が伝わったが、それだけだった。自分の力まで計算に入れられて作られているらしい軛は鋼鉄で補強されており、たわみこそするものの破壊することが出来ない。


「おやおや……この期に及んで無様を晒すか。君は魂まで野獣になったのかね?」


 アベニウスの失笑声に、アシュリーは燃える瞳で睨みつけた。貴様なんかに野獣呼ばわりされる筋合いはない。猿ぐつわを噛み締め、殺気と怒りに塗れた視線でくぐもった吠え声をあげると、アベニウスの表情が少しだけ引きつった。


「ふん、その殺気だけは本当にゲイルに瓜二つ、いや、それ以上だな。――全く、野獣の子は野獣、か。忌々しいものだ――」


 そう吐き捨てて、アベニウスは処刑斧を手にとった。そして絶望を刷り込むかのように、ゆっくりと脳天まで振り上げる。


 アシュリーは悔しさに震えた。ちくしょう、私は、私という人間は、結局この男に一矢報いることが出来ないのか。一度は守ると誓ったアストリッドも、サボスも、この国も、全てを掌の上から取りこぼして死んでゆくというのか。父の遺志も継げない人間として犬死にするのか。


 誰でもいい、頼む、私をここから開放してくれ。


 一瞬でいいのだ、私にこの国を救うチャンスをくれ――! 


 祈るような思いとともに、アシュリーは目を閉じた。






 ズズン、という、地鳴りのような大地の嘶きを感じたのは、その時だった。


最終章です

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