魔眼 ~サイクロプス~
「触れたものを全て破砕する――それこれが魔剣、“サイクロプス”の能力だ」
不意に、アベニウスの低い声が耳朶を打ち、ベリックは顔を上げた。
「先の大戦では、軍事力で他を圧するはずの我が国が劣勢だった。それはまさしく魔剣のせい――各地に数多出現した魔剣が、並の兵士には太刀打ちできぬ力を持つものだからだ。業を煮やした先王は、あの戦乱の最中、対魔剣用の魔剣――つまり魔剣殺しの魔剣の製作を命じた」
ベリックでさえ詳しく知らない“魔眼”の正体だった。アベニウスは続ける。
「通常、魔法と呼べるものは強力なものであればあるほど、物質に定着させることは難しくなる。特に触れたものを全て破砕する魔法などは特に。……事実、それは五年の長きに渡った試行錯誤の中で、たったの一度しか成功しなかった。この魔剣を作り出すことができたキュクロはまさしく天才的な男だったよ。つくづく、城を去るには惜しい男だった――」
実に楽しそうな声で言い、アベニウスは異様にぎらつく目で“魔眼”を眺め回した。
「あの“吸血鬼”の方はやはり使いにくさが目立ったからな。血を吸えば吸うほど、その斬撃が重くなるというアイディアは面白いが……そのためにはああやってコソコソ隠れて人を斬らねばならぬ面倒があった。それに較べてこれにはそのような面倒はなさそうだ。全く大した怪物だよ、この剣は。まさに私に相応しい――」
その言葉に、ベリックは心臓が握り潰されるような衝撃を味わった。
「て、てめぇはそれだけの理由で……!」
こいつは、こいつは一体。背筋に怖気が走り、ベリックは戦慄く唇を開いた。
「それだけの理由で人殺しかよ……! その剣で何をするつもりだ! その剣が何なのかわかってんのか?!」
ベリックは叫んだ。
「その剣は剣なんかじゃねぇ、兵器なんだぞ! 人間なんかが扱えるわけがねぇ怪物だ! だから親方はそれを隠したんだ! そんなもん振り回して何をするつもりでいやがる!」
「剣ですることは決まっている。戦をするのだよ」
決然とした声に、今度はベリックの方が言葉を失った。アベニウスは微笑を消した能面のような顔で淡々と続けた。
「あの戦はあそこで終わるわけには行かなかった。あの戦いで死んでいった友たちのためにもな。これさえあれば十分にあの戦いの続きができる。隣国を蹂躙し、この大陸を併呑するまで――今こそ私は十年前の戦の続きをする、それが目的だ」
底知れぬ怨念が滲む声だった。アベニウスはゆらりとこちらに向き直り、愛おしいものを見るように“魔眼”を見た。
「この剣ならばそれができよう。私が欲しかったのはこの剣が秘める軍事力なのだよ。これさえあれば我が王国の宿願であったハーフィンガルドの統一など容易かろう。そして私が王になり、この剣が手元にあれば、私がこの剣を振るえばそれが出来る……」
「……それだけはさせません」
いつの間にか立ち上がっっていたアシュリーが絞り出すように言い、ベリックはアシュリーの顔を見た。引きとめようとするベリックの手を振り払って立ち上がったアシュリーは、野獣の眼光でアベニウスを睨んだ。
「エリアス・アベニスウス騎士団長、今ならまだ間に合います。どうかその剣を置き、ご再考を。でなければ、私はエーデン王家の騎士として、あなたを止める義務が……」
その言葉に、アベニウスは駄々っ子をあやすような表情で肩を竦めた。
「よく立ち上がれるものだな」
「何……?」
「よくぞ丸腰で我が手下の襲撃を生き延びたものだ。流石に並の騎士では完全に君を止めることは出来ないとはわかっていたがね。掛け値なしに大した娘だよ、君は」
アシュリーが脂汗の浮いた顔を歪める。ベリックが眉間に皺を寄せた途端、ぴちゃ……という小さな水音を耳が拾い、ベリックはアシュリーの足元を見たベリックは、アシュリーの足元に出来た血だまりを見て血の気が引いた。
「あ、アシュリー……!」
「案ずるな……そう簡単に死ぬには至らんさ」
アシュリーが立ち上がり、止めようと肩にかけた手が鋭く振り払われる。追いすがろうと伸ばした手は、再びぶり返した鳩尾の鈍痛に阻止された。
「そんな目で私を見るな、フェリシティア隊長。この姿を君に見せるのはいくらなんでも酷だと思ったのだよ。出来れば何も知らぬままに君の口を封じてやりたかったが……」
アベニウスは小さないたずらを白状するかのような苦笑顔を浮かべた。
「君は随分私のことを信頼していてくれたようだからな。私はそんなに君のお父上に似ていたかね? 君には悪いが、私はあんな猿芝居で王家を救った気になれるほど、不器用で単純な男ではないつもりだがな……」
「黙れッ!!!」
アシュリーの絶叫がアベニウスの言葉を遮った。
「お前のような腐った人間が……気易く父の名前を呼ぶなぁっ!」
後先考えずに殴りかかったアシュリーの腹を、アベニウスの右足が真正面で捉える。アシュリーの身体はまるで石ころのように工房のドアをぶち破り、工房の外へと吹き飛んだ。
「アシュリー……馬鹿野郎……!」
また周りが見えなくなってやがる……。あまりにも隙だらけの突進に失望したかのように、アベニウスの巨体がゆらりと動き、吹き飛んだアシュリーの姿を追って工房を出てゆく。
とどめを刺す気だ。身体が千切れてしまいそうな激痛をこらえ、よろよろと工房の外へ這い出したベリックは、そこで信じられない物を見た。
アシュリーは死んではいなかった。それどころか、工房の入り口にある大岩にしがみつくようにして両腕を回し、獣のような唸り声をあげていた。
何やってんだ、どこかに頭ぶつけてアホになっちまったのか? ベリックがそう思った途端、一抱えほどもある大岩がふわりと持ち上がり、ベリックはぎょっと目を見開いた。
「――これは驚いた。相変わらずの怪力だな」
感心したように呟いたアベニウスに、大岩を抱えたアシュリーが獣の咆哮を上げた。
「剣など……無くても……! 騎士にはすべきことがありますッ!!」
大岩はまるで砲弾のように投擲された。やべぇ! とベリックが脇に避けた瞬間、僅かに首を傾げたアベニウスが動いた。
「無駄だ!」
その一喝とともに、“魔眼”の一閃が大岩を真っ向に捉えた。途端に大岩は内部から引き裂かれるようにして弾け、砕け散った破片はその向こう――アシュリーに向かって殺到した。
目を見開いたアシュリーを、石礫が襲った。殺到する石礫のその殆どを受け止める羽目になったアシュリーは、今度こそ小高い丘の下まで吹き飛ばされた。
「この“魔眼”は誰にも止めることはできん。たとえ幽鬼であろうと、冥王であろうとな」
アベニウスの冷たい声が、絶望を擦り込むように響いた。
これが“魔眼”。キュクロの最高傑作と讃えられた兵器の力。
それでもなお、立ち上がろうとしていたらしいアシュリーの身体から、すとんと力が抜けたように見えた。そのまま前のめりに倒れ、動かなくなったアシュリーに、ベリックはほとんど無意識のうちに這い寄ろうとした。
その瞬間、盆の窪に強烈な衝撃が走り、横に倒れたらしい身体が地面に叩きつけられる。
まだ暖かい土の感触を頬に感じながら、まるでそそり立つ壁のように見えるアベニウスの顔を、ベリックは自分の意志にかかわらず見上げることになった。
「君たちがかき回してくれたせいで、少し派手なセレモニーを行わなければいけなくなった。これ以上私の手を煩わせるのはよしてくれよ」
ぐらぐらと大地が揺れる。ダメだ、気を失うな……という自分の声までもがすーっと遠くに引いてゆくのを感じながら、ベリックの目はあるものを捉えていた。
汗か、それとも天から滴った雨粒か。
たった一滴の透明な雫が“魔眼”の表面に触れた瞬間だった。
雫はまるで魔法のように瞬時に凍りつき、きらきら光る粒となって空中に霧散していった。
これは……魔法によるものか。“魔眼”とは一体……?
なぜかその光景にひどく執着した途端、世界が視界の端から暗くなり始めた。
「城までご同行願おうか、鍛冶屋のベリック」
その低い声が、その日ベリックの最後の記憶になった。