魔銀(ミスリル)
「鍛冶屋ならわかるであろう? 魔銀の剣だ」
絶望感を擦り込むために、アシュリーは一言一言、噛んで含めるように続ける。
「剣の錆になる前に教えてやろう。この剣はかの王宮お抱えの鍛冶師が半年かけて打ち上げた大業物だ。ミスリルといえば金属の王――それ故に高価で、常識外に硬いおかげで加工が難しい。その希少なミスリルを国中からかき集め、膨大な手間暇をかけて打ち出した一振りがこれだ」
「――ミスリルだぁ?」
男は驚いた声を出した。
「呆れたな。ミスリルといや同じ重さの金より価値がある超高級品だ。せいぜい指輪にするのが精一杯の金属でそんなもん拵えさせるとは――そりゃあ軍事費の三割も食い潰すわけだ。あんた、予想以上の穀潰しだな」
それだけではない。『ミスリルで剣なんか絶対に無理だ』と哀願する剣鍛冶に半ば脅迫する勢いで依頼し、材料集めに一年、制作にはなお三ヶ月を要した。この剣を打った鍛冶屋は引き渡しと同時に倒れ、一月の間寝込んでまだ足腰が立たない始末なのだが、そんなことアシュリーは知る由もないことであった。
「ほざけ。無論、私が求めるレベルかどうかはこれから決めるのだがな……。帯鉄の盾ぐらい、紙のように切り裂くには十分であろう。貴様がこの剣の最初の一撃を目撃する人間となる。喜べ、野暮天鍛冶屋めが!」
ふぅわははははは! などとアシュリーが高笑いする前に、男は「おー怖い怖い」と肩をすくめ、思わぬことを言った。
「じゃあハンデはナシってことでいいな」
「ぬ――?!」
男は金敷の上にハンマーを置き、代わりに一本のスレッジハンマーを取り上げた。大きさこそ人の背丈に少し足りない程の大きさだが、無論のこと武器でも防具でもない。凝ったレリーフなどの意匠もない、古ぼけたただの道具である。
一瞬、虚を突かれたアシュリーの心に、コケにされた怒りがむらむらと沸き起こった。
「貴様……! なんのつもりだ、それは!?」
「何って……鎚、ハンマーだよ」
鍛冶屋の男はどういう意味なのか薄ら笑いを浮かべ、頭ふたつ分は小さいアシュリーを見下ろした。
「アンタの言う鉄屑を毎日毎日これで叩いて鍛えてんだ。……生憎、これ以上の武器らしい武器はここにはないんでね」
「百騎隊長をここまで愚弄したのは、貴様が初めてだぞ……!!」
今ならまだ腕の一本ぐらいで済ましてやる。アシュリーがそんな最後通牒の言葉を吐く前に、男は右腕を前に突き出し、構えを取ることもなく手招きした。
「愚弄になるかどうかは打ち込んできてから決めな。……おら、来いや」
その一言に、アシュリーの頭に音を立てて血が昇った。許容量を超えた怒りが目の前を真っ赤に染め、アシュリーは腹の底から恫喝の声を張り上げた。
「おのれェ……! 死んで後悔するなよ! っりゃあああああああああ!」
怒声とともにアシュリーは床を蹴った。
ドン! と土間の床が凹み、アシュリーの身体は砲弾のように飛び出した。
床を蹴った右足にすべての運動エネルギーを集中させ、一瞬で敵の懐に飛び込む必殺の突進である。同時に、足元から擦り上げたミスリル剣の鋒を、男の首筋に向かって振り抜く。避けられた者の一人としていない、正真正銘の必殺剣である。
男は、避ける素振りすらしなかった。僅かにハンマーを持ち上げただけのように、アシュリーには見えた。
「おおおおおおおおおおっ! ……しゃぁぁぁぁっ!!」
ガキン! という金属と金属が激突する金属音が甲高く響き、一瞬にも満たない時間の移り変わりの中で、剣を握る手に確かな手応えが伝わった。
床を踏ん張り、アシュリーは余計な衝力を吸収する。
残心を残すこともなく間合いを切ると、背後で棒立ちしている男に語り掛ける。
「動かんほうがいいぞ。少しでも動けは、貴様の首は転げ落ちる」
男は無言だった。それはそうだろう。骨も皮も筋も両断したのだ。男の頭は、もはや胴体の上に乗った置物でしかないはずである。
「さぁ、懺悔の言葉があるなら最期に聞いてやろう。このアシュリー・フェリシティア・ポポロフを愚弄した己の不始末を悔いる言葉をな。――おっと、喉笛を切り裂いたのだったな。それでは返答のしようが――」
「なんだって?」
「え――」
そんな、まさか。
アシュリーが後ろを振り返ったのと、それは同時だった。
ガラン! という下品な金属音が足元に発し、アシュリーはぎょっと目を剥いた。
「うぇ――!?」
思わずアシュリーは情けない悲鳴を漏らした。地上で最も硬い金属で出来ているはずのミスリルの刃が、ハバキ元からそっくりと消失しているではないか。
馬鹿な! アシュリーは盛大に混乱した。なんだ、これは? 刃はどこへ――!? 慌てて足元を見て、今度こそアシュリーは固まった。
先程まで無傷だったミスリルの剣。石を砕くも鉄を貫くのも容易いはずの刃が――真っ二つに折れ、足元に転がっていた。
にわかには信じられない光景だった。まさか、なんで。こんなことは有り得ない――!
「ほら、言わんこっちゃない」
混乱する頭に、男の声が背後から降り注いだ。
ハンマーを下ろし、こちらを見下ろす鍛冶屋は完璧に無傷である。血の一筋どころか、かすり傷ひとつついていなかったことが、アシュリーをさらに混乱させた。
「お、おま、んな、なななな……!?」
「全力で打ってきやがって、馬鹿たれが。刃毀れぐらいで勘弁してやろうかと思ってたが……」
「おっ、お前ぇぇぇぇ!? い、一体私の剣に何をした!?」
素っ頓狂な声を上げて詰め寄るアシュリーに、「何もしてねぇよ」と男は素っ気なく答えた。
「ただ全力で撃ち込んできたから、受けただけだ。この鎚で」
「嘘だ……嘘をつくなっ! わ、私のあの突進をどうやって受けたというのだ! み、ミスリルだぞッ!? トロールの皮膚だって、ドラゴンの頭蓋だって叩き割る、みっ、ミスリル銀を、どうして……!」
「わっかんねぇかなぁ。ま、わかんねぇだろうな」
ヘラッと男は嘲笑った。訊けば恥の上塗りになるだけとわかっていながら、アシュリーは尚も目を白黒させて食い下がる。
「きっ、貴様……まさか、そうだ、わかった! まっ、魔法だな! おのれ卑劣な! この鍛冶場にあらかじめ仕込んだ魔法で私の剣の硬度を変化させて……!」
「ミスリル銀ってのは魔を祓う金属だろ? そんな神聖な金属にも効く魔法ってあるのか? え、騎士様よぉ?」
そうだ。鍛冶屋の言う通りである。魔法には詳しくないアシュリーにもそれくらいわかる。ミスリルは魔を祓う金属であり、魔法的な影響を一切受け付けないからこそ、ミスリルは至上の金属、金属の王様として崇敬を集めているのである。
「んぐ……! じゃ、じゃあ仕込みだろそのハンマーは! おそらくアダマンタイトかオリハルコンで……おのれ! あっ、検めさせろ、そのハンマーを……!」
「かぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
鍛冶屋が一喝し、アシュリーはびくっと身をすくませた。
太い眉を釣り上げ、心底の侮蔑の色を目に浮かべ、鍛冶屋はハンマーの頭でゴツッと床を叩いた。
「いい加減キーキーうるせぇ奴だな! まだわかんねぇのか?! アンタがあんなんじゃ、剣なんか誰が何本打ったって同じだって言ってんだよ!」
「は……はぁ!? どういう意味だ!?」
予想外の怒声にアシュリーは抗弁するが、鍛冶屋は「そんなもん、テメェで考えろ!」と更に大声を張り上げる。
「どういう意味もへったくれもねぇ! 今更人に教えられることじゃねぇ! 常識だこんなもんは!」
「う……!」
「とにかく、騎士ごっこも大概にしやがれ! こっちは忙しいんだから帰った帰った! マジで塩撒くぞ!」
「うぐぅ……!」
「かーえーれ! 帰れったら帰れ! でなきゃ塩だ、粗塩! その生意気な金髪を塩漬けの塩まみれにすんぞ!」
「う……ううううう!!」
ギリギリギリギリ……という歯ぎしりの音と、犬のような唸り声を上げて、アシュリーは顔をくしゃくしゃにする。
「あァ? なんだその顔……」
鍛冶屋が片眉を釣り上げた、そのとき。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああん!」
アシュリーの癇癪が爆発し、両目から大粒の涙が吹き出した。
うわっ、と後ずさった鍛冶屋の足に這い寄り、アシュリーはまるで猿のようにしがみついた。そのまま鍛冶屋の浅黒い顔を、唾と鼻水を飛ばしながら罵倒した。
「わああああああああん! なんてっ、なんてひどいやづなんだぁ……! この鬼めぇ……! 野暮天鬼鍛冶屋めぇぇぇぇぇ!!」
「おっ、おい……! なんだお前離れろコラ! とっとと帰れよ!」
「帰れるわけがないだろぉ! おニューの剣を真っ二つにされて! どのツラ提げて王都に帰れというのだ! あの剣までダメにしたのかって兵士たちに指差されて笑われて……恥ずかしすぎて帰れん! うわぁぁぁん!」
そうだ、手ぶらで帰れるわけがない。笑い者になるだけならまだマシ、本当に百騎隊長を降ろされる可能性だって十分にある。それどころか、ミスリルをへし折った罪で城を追い出される可能性すらあるのだ。
「うわオイ! あっ、足に鼻水つけるな! 放せよアンタの体面なんか知るかよ!」
離せ離せと躍起になる鍛冶屋のズボンに、涙と鼻水となにやらわけのわからない粘液をなすりつけながら、アシュリーはしがみつく力をいささかも緩めない。
「ミスリルだぞぉ! 最後の約束で特別に打ってもらった剣なんだぁ゛! めっちゃ高いんだぞぉ゛!」
「うぐ……! な、泣くなよ、情けねぇ、っていうか汚い……!」
「お゛ま゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛せめで剣を打たんのならこの剣の責任ぐらい取れぇ゛ぇ゛ぇ゛!」
ガジガジとズボンを齧り、布地をむしりながらアシュリーは食い下がる。
「うわ本当にウゼェ……! っていうかズボン噛むな! ほつれるだろうが!」
知ったことではない。百騎隊長といえど泣く時は泣くしクソも小便もする。そしてどうしても捏ねたいときはダダも捏ねるのである。それをしないことによって失う利益が圧倒的ならなおさらのことだった。
しばらくワンワンと泣き喚くと、観念したように鍛冶屋はアシュリーの頭を平手で叩いた。
「わ、わかったよ! わかったからもう泣くな! いい加減離れろ馬鹿たれが!」
えっ? ぐしっ、と洟をすすってから、アシュリーは腫れ上がった目で鍛冶屋の顔を見上げた。
「う……じゃ、じゃあ、打っでぐれるんだなっ……! 私の、わだじの剣を……!」
「いや、打たねぇ」
「ゔっ……!」
なら遠慮なく泣くぞ、という表情をすると「あーあーもう最後まで話聞けよ!」と鍛冶屋は喚いた。
「もう泣くなって! 話を聞け! ……もう、泣くヤツには敵わんわ」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、アシュリーはじっとりとした目線で鍛冶屋を見上げる。
「うっ……ひっぐ……じゃ、じゃあどうするというのだ……! 剣は折れてしまったんだぞぉ……! 打ち直してくれるとでも言うのか貴様ぁ……!」
「はぁ……。わかった、代わりをやる。一応俺が打ったもんだから、執政殿への言い訳ぐらいは立つだろ? それ持って帰れ」
「嘘だな? 嘘なんだろ? また帰れって言うんだろ?」
「嘘ついてどうするんだ。えっと……あ、ほらほら! アメちゃんやるから離せ!」
鍛冶屋はズボンのポケットを弄り、くたびれきった飴玉を取り出すと、アシュリーの口に包み紙ごと放り込んだ。しばらくモゴモゴと頬を膨らませたアシュリーは、器用にぺっと包み紙だけを吐き出し、再び洟をすすった。
飴玉に含まれる糖分はすみやかに効力を発揮した。口内に広がるふくよかな甘味に幾分か落ち着きを取り戻したアシュリーは、鍛冶屋の足を離して床に座り込んだ。
「ゴミは拾えよ。待てるか?」
「……ん」
「よし、じゃあおとなしくしててくれ。そこ座っていいから」
「ん」
やれやれと頭を掻いた鍛冶屋の男は、工房の奥へと引っ込んでいった。