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野獣死すべし③

「よっ、ベリック! ……ありゃりゃ、寝てたか」


 いつも通りの挨拶を中断したクレアは、床に転げ、苦痛に歪んだベリックの顔に違和感を覚えたようだった。逃げろ、と叫ぼうとしたベリックだったが、それより先に男の腕が素早く動き、グローブに包まれた巨大な手がクレアの首根っこに回されていた。


 一瞬、悲鳴を上げかけたクレアだったが、その口が男の右手で覆われる。ひっ、と声なき悲鳴を漏らしたクレアに顔を寄せ、男は面白いものを見つけたとばかりに嗤った。


「ほほう……エルフの子か。この大陸にもまだエルフが生きていたとはな」

「やめろ……! その子を離せよ糞野郎……!」

「貴様に身体に訊くより早かろう? さぁ、目の前でこの娘の首が砕けるところを見たいかね?」


 本気を示すように、男の右手が青ざめたクレアの首に捻るような動きを与えた。


 もう限界だった。ベリックは床に拳をついて立ち上がり、痙攣する身体を壁伝いに支え、必死の思いで廊下を歩いた。


 物置まで来たベリックは、壁の鎖に手をかけた。一瞬、いいのか? と自らに問いかけたベリックは、後ろを振り返った。


 男に捕まったクレアの顔は、いまだかつて経験したことのない恐怖にひきつっていた。大声で泣くことも叶わないその顔に一筋の涙が流れ、男の手の甲を伝ったのを見たベリックは、そこだけ色が違う煉瓦を思い切り拳で叩いた。


 ボコッ、という音と共に、意外なほど軽い力で煉瓦が壁の向こうへ押し込まれた。わずかに開いたに両手を突っ込み、壁を崩してゆくと、“それ”は遂に姿を現した。



 それの姿を見るのは七年ぶり……魔王の腕のような、黒光りする金属で作られた抜き身の豪剣。埃にまみれ、あちこちサビが浮いている光景を想像していたベリックの予想を裏切り、その剣はまるで時を止めたかのように、七年前のあの日と変わらずそこにあった。




 男はクレアの首を持ったまま、ニヤリと嗤った。




「七年探したぞ。それが“魔眼”か。まさか国内にあったとはな……」




 感慨深げにそう言った男は、やおらクレアを腕から解き放った。二、三歩、よろけるようにしてベリックの方へ歩みを進めたクレアのうなじを、男の手刀が打った。


 途端に、糸が切れた操り人形のように、クレアが床に崩れ落ちた。「てめぇ……!」と呻いたベリックに構わず、騎士は魔剣の柄に手を伸ばした。


 必死になって床を這いずり、気絶したクレアを抱き起こしたベリックに、感じ入ったような男の声が聞こえた。


「素晴らしい……! これぞ魔剣と呼ぶに相応しい剣だ。錆ひとつ浮いておらんではないか……!」


 まるで子供のようにはしゃぐ騎士に、ベリックは顔を歪めた。


「いい歳こいて魔剣のコレクションでもしようってのかよ、くだらねぇ――」

「貴様は本当に何も知らないのだな」


 騎士は薄笑みを浮かべてベリックを見た。


「魔剣は完成してなお血と炎とによって鍛えられると聞く。貴様にはこの刃の価値などわかるまい。この剣にはこの国……この大陸の行く末さえ捻じ曲げる力がある。一度世に出た後、何人の血を吸うと思う? それを考えればこの剣はまさしく魔剣だよ」

「知りたくもねぇよそんなもん。親方は野鍛冶だった、剣を打たないことを誇りにしていたんだ」

「誇りだと? 笑わせるな」と騎士はせせら笑った。「戦いを拒否して逃げ出したキュクロが当座の稼ぎのために作ったのがこの工房だ。その気になれば那由多の敵も相手にできる腕を持ちながらそれを捨ててつまらん鍛冶屋風情に成り下がりおって。そんな男の残したこのゴミ山に一体なんの誇りがある」


 誇り。その言葉に心の中の何かに火がつき、ベリックはクレアの肩を抱く力を強めた。




「……俺が知ってる騎士はそう言わなかったぜ」




 騎士の男が怪訝そうに片眉を上げるのを、ベリックは燃える瞳で睨んだ。




「この世には魔剣も聖剣もねぇ。あるのはただそれを使う側の人間の意志だけだ。愛情傾けてやりゃ、どんななまくらでも聖剣になるし、どんないい刃でも馬鹿が持てば血を吸う魔剣になる。鎌でも、鍬でも、人間であっても、それは変わらねぇ……。あいつはちゃんとそれを学ぼうとした。煤にまみれて汗にまみれて、それでもちゃんと鍛冶屋の誇りってもんを真剣に学ぼうとしてたんだ」


 ここでたとえ殺されても、とベリックは過熱した頭の片隅で思う。ここでたとえ殺されることになっても、この誇りだけは絶対に折らせない。親方が教えてくれたもの。それは単に鉄を打って形にすることだけではなかった。人にも、鉄にも、あるべき姿を与え、千年経っても錆びつかない形に生まれ変わらせること。親を失った自分に鍛冶屋の叡智を与えてくれた親方の意志だけは、絶対に否定させない……!


「それに較べてテメェはなんだ、いい歳こいて魔剣だの聖剣だのとうるせぇ奴め。テメェはなんにもわかってねぇ。親方はテメェみたいなクソガキから刃物を取り上げたんだよ。……ちょっと見かけのいい刃物を手に入れた途端に強くなった気がするような馬鹿には、ハナから剣なんか持つ資格はねぇんだからな……!」


「よくぞ言ったな、ベリック。それこそ真の騎士道だ」


 その声に、その場にいた全員がはっと声のした方を見た。


「アシュリー……」


 ベリックは呆然とその名前を呼んだが、慣れ親しんだ見習い鍛冶屋のものではない、ぴりぴりとひりつくような殺気を放つアシュリーの手には、先程ベリックが打ち倒した騎士から剥ぎとったらしい剣が抜身でぶら下げられていた。


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