野獣死すべし①
久しぶりに着てみた鎧は、酷く重々しく感じた。それでも着用する順番は身体が覚えていた。具足をつけ、小手をつけ、膨らみすぎた胸の肉の全てをなんとか窮屈に鎧の中に納めて、アシュリーは後ろを振り返った。
「動きづらそうだな」
鎧を装着し終わったアシュリーを見て、ベリックが言った。口調こそいつもの軽口だったが、その声はどことなく覇気なく聞こえた。その顔を見るのが何故だかつらくて、しばらくなんと言おうか考えたアシュリーは、結局つまらないことを言った。
「ふん、鍛冶屋のエプロンよりは着慣れた装備だぞ。すぐにカンを取り戻すさ」
「そうか? 俺にはまるで余所行きの服を着てガチガチに緊張したガキに見えるけどな」
「なっ、しっ、失敬な! 誰がガキだ! 騎士を愚弄するか!」
「へっ、見た通りのことを言っただけだよ」
「貴様……! この……この……!」
一応、いつも通りの反応をしてみたものの、それ以上会話が続かなかった。無言になってしまった顔を見合わせ、お互いに何か言ってくれるのを待ってみたものの、それは気まずい沈黙をいたずらに長引かせただけになった。
埒が明かない小芝居に終止符を打つつもりで、アシュリーは一度足元に視線を落とした。
「……すまなかったな。無理言って押しかけた挙句、また勝手な事情で去っていかねばならぬ。お前には迷惑をかけたと思っている。仕事の邪魔でしかなかったな」
「何だよ気持ち悪ィな。お前のお陰で、溜まってた仕事も随分片付けられたさ。俺一人じゃ1年経っても終わらなかった仕事があらかた片付いた。感謝するのは俺の方だよ」
「それは……元はといえば私が望んだことだ」
「ははは……そうだっけな。もう忘れちまったよ」
ベリックは目線を外して鼻の頭を掻いて、再び口を閉じた。その視線がせわしなくアシュリーの顔と足元を往復する。
「まぁ、そう辛気臭い顔するなよ。別に一生の別れになるわけじゃねぇだろ? ちょっと遠いが、会いにこれない距離じゃねぇさ。それに、お前がババアになってから来ても、ジジイになった俺がきっとここにいるさ」
「そうだな」
「そうだろ?」
「ああ……多分」
「なら……な、ほら。握手でもしてよ。明るく別れようぜ。これでもよ、お前には感謝してんだよ、俺だってさ、な?」
そう言ってベリックはぎこちない所作で右手を差し出してきた。その差し出された手のひらの真ん中に奔る赤い傷跡を見つけて、アシュリーは胸が締め付けられるのを感じた。
この傷は、この間自分が癇癪を起こした時につけてしまった傷だ。
何をやっているんだ、自分は。三週間もこの工房にいたのに、自分は与えられるばかりだった。与えられたものといえばこの傷ぐらい。情けなくて悔しくて、アシュリーは歯を食いしばった。
「礼を言わなければならんのは――私の方ではないか」
「え?」
思わず滲みそうになる涙をこらえてから、アシュリーは顔を上げた。
「お、お前には感謝してる! 本当だ、う、嘘じゃないぞ!」
思わず大きくなった声に、ベリックがちょっと驚いたような顔をした。
「お、おぉ、そうか――そりゃよかったよ」
「それだけじゃない! この工房のことも、お前が教えてくれたことも、もちろんお前のことも、私はきっと忘れない! 仕事があれば頼みに来るし、休みが取れたらきっと会いもに来るさ! あ、いや、それはもちろん、お前が嫌じゃなければの話だが……」
最後は尻すぼみになった。なんで私はこんな時に気の利いた言葉が言えないのだろう。もっともっと、言いたいこと、言わなければならないことがあるはずなのに。ここぞという時に役に立たない自分の頭の悪さにまた涙が滲みそうになるが、アシュリーは下を向いてこらえるしかなかった。
「そ、そうだな。すまない。――なんでかな、取り乱した」
「謝ることはねぇよ」
そう言って、ベリックは差し出した右手をバツが悪そうに引っ込めた。
「ささ、行った行った。砦の人たちも待ってんだろ? 行ってやれよ、百騎隊長さん。お姫様も、執政官も、お前の部下もきっと待ってるぜ」
勇気づけるようにそう言ってくれたベリックは、取り繕ったようにぎこちない笑みを浮かべた。その笑顔にいくらかの平静を取り戻したアシュリーは、大きく頷いた。
「元気でな」
「貴様こそ」
「アイツを――辻斬り魔を頼むぞ」
「あぁ、任せてくれ」
それを別れの挨拶にしたアシュリーは、二度と訪れることはないかもしれない鍛冶屋を後にした。
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鍛冶屋から三分の一も歩いただろうか。アシュリーは、ふと足を止めた。
さっ、と、周囲を見渡す。両側に崖が迫り出した真ん中の狭い踏み分け道、やはりここか、と思ったのと同時に、ガサッという物音が左の崖上から聞こえた。
「もうよい。藪にそれぞれ潜み居る者、コソコソ隠れとらんで出てこい!!」
虚空に向かって一喝すると、少し間があった。それから、アシュリーの言い当てた方向の藪の中から、それぞれ数名ずつ、奇妙な影が這い出してきた。
顔に黒布を巻き付けた、異様な影たち。手に手に剣や戟、短剣や混紡などを携えたそれらは、無言でアシュリーを取り囲み始めた。
「ふん、ヒタヒタヒタヒタと我が後をつけ狙いおって。貴様らは辻斬り魔の眷属だな?」
無論、なんの証拠があったわけでもない。だがそれは確信であった。こいつらは私を狙っている。昨日からうろちょろと背後を付け狙い、アシュリーの肌を粟立たせ続けているところを見ると、全員が殺気を消して獲物に近づけるほど手練ているわけではないらしい。
十体ほどの影どもは今やすっかりとアシュリーを囲み、その胸を刺し貫かんと隙を伺っているようだった。どうにも自分を生かして返すつもりはないらしい。彼らが動くたびに耳をくすぐるシャリシャリという金属音は、おそらく彼らが着込んだ楔帷子の音――古来、暗殺の技を身に着けた者が好んで着込む、高い機動性と防御力を併せ持つ防具が立てる音に違いなかった。
「騎士として、一応問うておく。貴様らが狙っているのは、私か? それともエーデン王家か?」
返答はなく、剣を振り上げた影の一人がアシュリーに襲いかかった。
「やれやれ、モノも言わぬか――」
その言葉が言い終わるか否かのうちに、飛びかかってきた影に向かい、アシュリーは思い切り踏み込んだ。
バギン! という音が発する。アシュリーの拳が、今まさに振り下ろされんとする剣を叩き折り、その勢いのまま、影の腹のど真ん中を捉える。
湿った音と共に、遥か遠くの地面に影が墜落する。その姿を呆けたように見送った影どもは、「どうした?」というアシュリーの声に、圧倒的有利の余裕を吹き飛ばされたらしい。ざわっ、と囲みを崩して一歩退いた影たちに向かい、アシュリーはとっておきの強がりを吐いてみせた。
「このアシュリー・フェリシティア・ポポロフ……如何に丸腰といえども貴様らド三下ごときを屠るのは造作もないぞ? ……ほら、次の者、来い!」