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野獣とサイクロプス②

 長い長い話が、終わったようだった。


「――俺の両親は十年前に戦争で死んだ」


 どこから話し出そうか迷ってから、ベリックは口を開いた。


「戦争で両親がおっ死んで、なんでか俺だけが生き残っちまった。身寄りもないし、生きてく知恵も力もない孤児のガキに世間ってのは冷てぇところさ。当て所なく世間を彷徨ってよ、スリだのカッパライだの、人様には自慢できない事をやって食いつないで……そんな生活を半年も続けた頃、俺は親方に拾われた。俺を拾って間もなく、親方は少しの蓄えであの工房を建てた。逃げ出すよりいい生活が出来そうだってんで、俺は仕方なく鍛冶屋になることにした」


 それにしても嫌な毎日だったね……とベリックは苦笑しながら呟いた。


「本当に、死ぬほどぶん殴られたよ。拳骨食らうのなんて毎日だったし、上手く出来なくて手鎚投げつけられたこともある。親方は仕事に絶対に妥協しなかったからな。貧民街で生活するよりよっぽど窮屈で、厳しくて、辛くてな。なんでこんなとこに来ちまったんだろうって、あの時親父やおふくろと一緒に焼け死んでればこんなことにはならなかったのにって……最初は随分泣いたっけな」


 へへへ、とベリックは乾いた声で笑ってから、「でもな」と、少しだけ明るい声音で続けた。


「親方は俺に大切なものをくれた。殴って、怒鳴りつけて、厳しくしつけて、そうじゃねぇと教えられないもんを俺に残してくれたんだって気がついたのは……随分後になってからだったよ」


 ベリックは右の拳で、左腕をつついた。


「鍛冶屋の技さ。コイツさえあれば食いっぱぐれることはねぇ。身寄りのないガキでも、たったひとりでも生きていける武器だよ。何にも出来なかったつまらない孤児のガキに、鉄を叩いて、思い通りに形を作って、人様の喜ぶ顔が見れるってことを教えてくれたのは……親方の拳骨のお陰だったんだ」


 そこでベリックは言葉を区切った。何かを思い出すように、すう、と息を深く吸い込み、一息に言った。


「いいか、ベリック。鉄には千年の命があるんだぜ。たとえ鍛えられた時間が半日でも、上手に使って、丁寧に砥いで、油を塗って錆びねぇようにすりゃあ、千年経っても十分使える。人間もそうだ。自分が死んで骨になっても、時代が変わっても歴史が変わっても……誰かが継いでくれりゃあ――誰かの意志は何千年だってこの世に残るんだ」


 今でも一言一句忘れずに諳んじていることに、悔しさと嬉しさの両方を感じる。へへっ、と、半分自嘲の空笑いで誤魔化した。


「……なんだそれ、って思うだろ? 親方の座右の銘だよ。酔っ払うとな、俺の頭を鷲掴みにして同じことを死ぬほど繰り返しやがるんだ。そのせいですっかり覚えちまったよ」


 へへへ、とベリックは再びいたずらっぽく笑った。いつの間にかその声は、思い出すのも嫌なつらい過去ではなく、楽しかった思い出を思い出す声になっていた。


「俺にはお前ら騎士様の気持ちはわからねぇよ。お前の親父さんの気持ちも、国の未来を心配する気持ちだの、騎士の誇りだの、あの人からはそんなもんはなにひとつ教わらなかったからな。けどよ……」


 丸めていた背中を真っ直ぐに伸ばし、ベリックは満天の星が輝く空を見上げながら言った。


「自分が死んでもこの世に残るもんがもし本当にあるなら。一生に一遍でいい、そんなものをこの世に残すことが出来たら、確かに――確かに俺だって、お前の親父さんみたいに、にっこり笑うと思うぜ」


 その途端、どさっ、と、背中に温かいものがもたれかかって来た。


 ん? とベリックが肩越しに後ろを振り返ると、アシュリーが静かな寝息を立てて眠りこけていた。


 思えば無理からぬ事だった。夜も開けきらぬうちから工房を飛び出し、人を助け、その末に辻斬り魔と大立ち回りをしたのだ。緊張の糸が切れた途端、我知らず眠りに落ちたとして、誰にも咎められるものではない。どうやら自分が長い長い独り言を言っていたらしいと気づいて、ベリックの顔に音を立てて血が昇った。うわマジかよ、誰ぞに聞かれてなかったか……!? と辺りをキョロキョロと見渡してから、ふと――ベリックは月明かりに照らされたアシュリーの寝顔を見た。


 よくもまぁ、こんな間抜けな寝顔が浮かべられるもんだ、と思わずにはいられない寝顔だった。口の端から涎を垂らし、まつげを震わせることすらない熟睡の顔だった。肉体に蓄積させた疲れ以上に、何か背負っていた重荷を降ろした安堵を思わせるような――どこか救われたような寝顔だった。


 なんでだ、とベリックはその寝顔に無言で語りかける。この小さな身体にあんな修羅のような記憶を抱いたまま、どうしてこんな風に穏やかにお前は寝ていられるんだ。どうしてそう、お天道様に向かって真っ直ぐにいられるんだ。親父さんのことを誰かに理解してほしいと思わなかったのか。その思いを言わずにいた事を誰かに褒めてほしいと願わなかったのか。誰かや何かに頼り縋って生きる道があるとは考えなかったのか――。



 貰っているのは、確かに自分の方かも知れない。ふと、エレノアに言われたことが思い出されたベリックは、大きくため息をついた。



「んだよ、最後まで聞けや、バカ野郎――」


 安堵と、憐憫と、それと何故かちょっと嫉妬に近い感情を抱きながら、ベリックは自分のシャツを一枚脱いでアシュリーに巻きつけ、小さな体を背負って歩き出した。

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