表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/54

野獣とサイクロプス

「十の時だ。実の父に魔法で灼かれた」


 ベリックが息を呑んだ。


 アシュリーが何も言わずにいると、ベリックはやがて顔を背けた。あまりに見るのに忍びないものだったのかもしれないし、言うことに窮したのかも知れない。


「私の父のことを――ゲイル・ステンダールという男のことを知っているか?」


 ベリックは無言だった。それをイエスと受け取ったアシュリーは話を続けた。


「十年前――先王が身罷られ、その一人娘、アストリッド・エーデンが王位についた。しかし、アストリッドは間もなく熱病で両目の視力を失った。ただでさえ戦乱の直後で混乱している時だ。まだ幼く、視力さえ失った病弱な彼女に、混乱する国をまとめる力がないのは誰の目にも明らかだった。事実、国内は乱れた。つまらない物盗りや諍いにも、王宮は何の指導力や調停力も発揮できなかった」


 小川の音にかき消されてしまいそうな声だと、自分でも思う。でも、ちゃんとベリックは聞いていてくれる。アシュリーには何故かその確信があった。


「女王……アストリッド・エーデンに王の資格なし。そういう声が公然とまかり通るようになり、戦後の混乱もあって日増しに大きくなっていた。そして終戦から三年後……七年前、城内でエーデン王家転覆を狙った反乱が起きた」


 ベリックの動揺が、一部だけ触れた背中の感触から伝わった。そう、全てがいっぺんに色合いを変えた“あの日”、父はとんでもないことをアシュリーに言ったのだ。


「その首魁だったのが私の父、エーデン騎士団の前団長であるゲイル・ステンダールだった。父には力も、経験も、指導力もあった。戦勝の立役者という名声もあった。父を慕う騎士団の一部と貴族一派が父を担ぎ上げて王宮を占拠し、武力での王位簒奪を狙った」


 そう、父は指導者として、人の上に立つものとして生まれてきたような男だった。強靭で、厳格で、冷静だった。アストリッドとは真逆で、それはまさしく王として生まれ、王として生きてきた人だった。


「かつての同志や部下を斬り伏せ斬り伏せ、単身玉座の間の前まで切り進んできた父の姿は……血塗れで、髪を振り乱して、今までに見たことがないほどに恐ろしかった。私はアストリッドが寝込んでいる部屋の前に立ちはだかった。震える私に向かって父は語りかけた。話の半分も理解できなかったが、父は包み隠さず、自分がこれからどうするつもりで、この国をどうするつもりなのか、私に言って聞かせた」


 アシュリーはそこで言葉を区切った。


「私は生まれて初めて父に反発したよ。何故アストリッドを支えることを諦めるのか。私とアストリッドは姉妹のように育った。今一番苦しんでいるのはアストリッドのはずだ。健気なあの子を殺し、自分が王に成り代わるなんて、そんなことは騎士のすることではない、拙い言葉で私は確かそう言った」


 アシュリーは深く息を吸った。


「父は――何も言わなかった。ただ、そうか、と言った。その後に、私を止めたいか? と訊いてきた」


 父と私の意志は決して交わらなかった。いくら鍛えても、いくら熱しても、決して混じり合わない鉄のように。


 だからお互いに拒否して、納得して、剣を向け合ったのだ。


「な――んだよ、それ……」

「私は頷いた。どちらかが勝って、どちらかが生き残る。如何に実の娘と云えども、譲れぬ道がある騎士同士ならばそうすると知っていた。――十歳の私は、実の父相手に決闘を始めたんだよ。馬鹿げているがな」


 狂ってる。無言のベリックはきっとそう思っていることだろう。その通りだ、とアシュリーも思う。やっと剣を両手で支え持てるようになっただけの幼子に、騎士団長ともあろう男が本気の立ち会いをする。そんなことは真実、狂気の沙汰だった。あの時の父と私は、いや、王国中の誰もが何かを見失っていたのかもしれない。


「父は容赦などしてくれなかった。死にもの狂いで攻撃を躱したおかげで一撃でやられることはなかったが、全身を切り刻まれた。痛かった。苦しかった。けれど、私は立ち上がった。私は……野獣と化してしまった父を見るのが辛かった。だから立ち上がった。そんな私を……父は魔法で灼いた。全身を死ぬほど灼かれた。この傷はその時の傷だ。それでも何故だか私はまだ生きていた。私は剣を持って、そして私は、最後にその手で……」



 私は、私は立ち上がって剣を取り、



 父を、その手で――。



 アシュリーはその先を言い淀んだ。



 言うと決めたはずなのに。その先に起こった事実は、どうしても言葉にならなかった。



 二、三度喉を震わせてから、諦めてアシュリーは続けた。



「何故だろう。圧倒的に弱かった私が生き残り、圧倒的に強かった父の方が死んだ。反乱は鎮圧されたが、私は罪には問われなかった。逆に私は反乱の首謀者を討った英雄として認められた。ウィルフォード執政官、父の代わりに騎士団長となったアベニウス騎士団長の嘆願にも助けられ、結局大逆人の娘である私は英雄になった。私は母方の一族の人間となり、やがて騎士団に入ることを赦された」


 長い昔話が終わり、アシュリーは口を閉じた。


「……お前は何も悪くねぇよ」


 ベリックが震える声で言う。


「俺は、正直お前の言葉の半分も理解できねぇ。王家の話や、戦後の平和がどうのこうのもわからねぇ。けれど、俺にはお前の親父がやったことは吐き気のすることとしか思えねぇよ」


 戸惑う中にも確かな侮蔑を込めながら、ベリックは声を荒げた。


「それが騎士の誇りってもんなのかよ……!? この国を守るためだけに何人もが死んだ戦争だろ!? お前の親父はそんなこともわからなくなっちまってたのかよ! お前だって親父に殺されかけたんだ! お前のやったことは正しいよ。お前の親父なんかぶっ殺されて当然だ。実の親だって、騎士団長だって、そんなもんは関係が……!」







「違あああああああああああああああああああああうのだッッ!!!」






 腹の底からの怒声と共にアシュリーは立ち上がった。ギャア! と悲鳴を上げて腰を浮かせたベリックに向き直り、アシュリーは全裸のまま、ガッとベリックの両肩を掴んで揺さぶった。


「お前まで何を言うのだ!? わかるだろうお前なら!! 私の言わんとしてることが!!」

「わわわわわかんねぇよ馬鹿野郎! ふざけんな! と、とにかくあっち向け! 丸見えのモロ見えだぞ!!」

「知るか! 見られたって減るもんじゃないのだ! それより私には言いたいことがある! 聞け、聞くのだ!! 聞けと言うとろうが!!」

「い、言えよ早く! なななななな何が言いてぇんだよ!?」


 アシュリーは丸出しのまま大きく胸をそらし、周囲の空気を腹一杯に吸って言った。




「私が言いたいのはな、あんな殺人鬼がだぞ、自分と我が父とが同じだと言ったことが許せんということなのだッ!!」




 一瞬、沈黙が二人の間に流れた。


「……はい?」


 ベリックは赤黒い顔で珍妙な表情をした。


「な――何? なんだって?」

「ん? なんだその顔は。もっと違う反応を期待していたのだが……おっと、そうだそうだ、大変なことを言い忘れていた」


 アシュリーはベリックに再び背を向け、胡座をかいてドスンと座り込んだ。


「そうだ、これを言うのを忘れていた。実はな、父は不治の病に冒されていたのだ」


 ベリックが「病?」と鸚鵡返しに問うてきた。


「そうだ、病だ。無論こんなことは父はおくびにも出さなかったし、私もずっと後になってから知った。どうやら戦乱の最中に厄介な風土病を貰って帰ってきたらしい」


 自分でも意外に感じるほど、するすると言葉が出てきた。


「父の命が尽きるのはもはや時間の問題だった。その頃からだ、私に死ぬほど剣の稽古をつけるようになったのも。きっと父は焦っていたのだろう、残りの命で何ができるのか考えたのだろう」

「そ、それなのにどうしてあんなことを……」


 ベリックの声に、アシュリーは「そこだ」と応じた。


「要するにだな――父には反逆の意図など最初からなかったのだ。たぶん、きっと」


 ベリックは理解に苦しんでいるらしかった。アシュリーは続けた。


「よく考えれば考えるほど猿芝居だ。いかに反逆行為とはいえ、実態は父がほぼ単独で王城内を騒擾したというだけのこと。軍事には周到だった父があんな愚かな単騎突撃をするはずがない。父が本気で城を落とす決心をしたなら簡単に落とせたはずだ。だがそうはしなかった」



 勇猛な父だった。



 不器用な父だった。



 厳しい父だった。



 だがそれ以上に――心優しい父であったはずだ。



「血塗れの父は私の頭を撫でて、よくやった、と言ってくれた。それでこそ我が娘だ。その心を死ぬまで忘れるな。父はそう言って息を引き取った。それは、父がやろうとしたこととは正反対の言葉だった」


 だから、たぶん――とアシュリーは言った。


「私はそのときはっきりと悟った。父に反乱の意志など最初からなかったのだと。父は自らが反乱を起こし、そして討たれることで、エーデンの、この国の未来を守ったのだ。並の意志、並の精神力でできることではない。でも、父はそういう人だった。少なくとも私はそう考えている……いや、そう信じている」


 アシュリーは、すぅ、と深く息を吸った。



「だから私が、辻斬り魔を倒す」



 ベリックは無言だったが、話を聞いていてくれる、なぜだろう、そんな確信があった。


「父とあんな化け物が同じなはずはない。私は私の名誉にかけて、父の名誉にかけて、私はそれを証明しようと思う。父は獣ではなかった。むしろ誇り高き騎士のまま死んだのだと。それは私だけが知っていて、私だけが信じていればいいことだと決めていた。誰にけなされてもいい、誰に嗤われてもいい。けれど、本当はな、私は、すべての人に父の本心を知ってほしい。私の父は穢れた裏切り者ではなく、誇り高き騎士だった。その誇りだけを胸に抱きしめて死んだのだと――」


 アシュリーはそこで、ふっ、と鼻を鳴らした。


 まるで、そんなことができるはずはないと、自分自身を嘲るような所作だった。


「だが、私がそう願えば父は怒るだろう。父が守ったものはそういうものだった。言葉にすれば消えてしまう、行動に表せば腐ってしまう。頭の悪い私にだってそれぐらいはわかった。だからあれから七年間、自分からこの話をしたことはない。けれど、けれどな――」


 熾火が消えるかのように、最後は声が震えた。


 自分が死ぬその日まで、口に出すことはないと思っていたその言葉。それを吐き出してしまった途端、なんだかとても心が軽くなった。


 アシュリーは、すう、と、大きく息を吸った。


「何故かな……我が父の本当の気持ちを、本当の生き様を、お前にだけは知っていてほしかった。父の遺した思いをわかってくれる、そうでなければ守れなかったものをわかってくれる……私の父と同じ目をしている、お前なら、きっと――」



アシュリーは消え入りそうな声で言った。



「なぁ、ベリック。お前ならわかってくれるよな……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ