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死闘③

 数百人の兵たちが持つ篝火に照らされる森の中で、アシュリーは切り株に腰掛けて項垂れていた。老爺はかけつけた騎士団の手によって介抱されているが、どうやら命に別状はないらしい。まず一安心、というところだが、生憎それを喜ぶ気にはなれなかった。


 バールを振るい続け、あの剣撃を受け止め続けた手にはまだ感覚が戻り切っていない。ビリビリと震え続ける右手を見たアシュリーは、「隊長……ご無事でしたか!」という声に顔を上げた。


「アベニウス団長、クラセヴィッツ副官……」


 黒い鎧でのしのしと歩いてきたのはアベニウス団長、青い顔でこちらに駆け寄ってきたのはクラセヴィッツ副官であった。慌てて立ち上がろうとするアシュリーを、アベニウスが手で制した。


「フェリシティア隊長、すまぬ」


 開口一番、アベニウスは頭を垂れ、謝罪の言葉を発した。


「あ、アベニウス騎士団長!? 私などに頭を下げるのはおやめください!」

「駆けつけるのが遅くなってしまった。今、辺りを捜索させてはいるが、手がかりらしい手がかりが掴めぬ。辻斬り魔を取り逃がしてしまったらしい。君の奮戦を後手に回った私がふいにしてしまったのだ。許せ」

「いえ……真に詫びるべきは私です! やつを仕留め損なったのは私の力不足ゆえのこと! なんとお詫び申し上げるべきか……!」

「君は詫びる必要などない」


 大きくなったアベニウスの声に、アシュリーは反射的に口を閉じた。


「しかし、状況はより深刻になった。君ほどの手練れでも相手にできない人間が犯人となれば、いよいよ事態はまずくなる」


 返す言葉もなく項垂れたアシュリーに、アベニウスは一瞬何かを逡巡するような表情になってから、決然とした声で言った。


「かくなる上は、我々ももうなりふり構ってはおれん。国内に戒厳令を出そう」


 ぎょっとアシュリーが顔を上げても、アベニウスは表情を変えなかった。冗談ですよね? と続くはずだった言葉をその表情に吸い取られてしまった。


「フェリシティア隊長。君の実力を知っているからこその決断なのだ。君を実力で圧倒した辻斬り魔はもはや単なる犯罪者ではなく、形を為したこの国の災いだ。獲物さえ奪われた犯人は何をしでかすかわからんのだよ」


 きっぱりと言ったアベニウスの顔は、今までに見たこともないほどに緊迫していた。よもやこの男がこれだけのことを覚悟した上での発言なら、自分ごときが異議を唱えられる道理はなかった。「はい」とだけ言って再び顔を俯けたアシュリーに、アベニウスは気遣わしげな顔をした。


「まずはゆっくり休むがよい。後のことは任せてくれ」


 そう言うと、アベニウスは踵を返して凶行の現場へと戻っていった。


 しばらく、その姿を眺めていると、今度はクラセヴィッツが口を開いた。


「探しましたよ隊長、一体何があったんです?」

「何が……って、今の話を聞いていたのだろう?」

「もちろん。でも、私が聞きたいのはそういうことじゃない」


 見え透いたごまかしを咎めるような目で、クラセヴィッツはアシュリーを見下ろした。


「驚きましたよ。今、鍛冶屋で修行していらっしゃるとか。それについて私は何もいう気はありません。しかし、闇夜の辻斬り魔に出くわして、それどころかその獲物をへし折ったと聞けば話は別です。何がどうしてこうなったのか、私はあなたの副官として聞きたい」


 クラセヴィッツは焦燥と怒りの両方を滲ませてアシュリーを詰問する。何故なのか、何がどうして、今どのような状況に置かれているのか自分にもさっぱりわからないのだが、そう言っても納得しないだろうことは彼の顔を見れば明らかだった。


 アシュリーは副官の顔から視線を外し、いまだに震えの治まらない手のひらを見た。


「恐ろしく強い男だ。単なる人殺しなどではない。奴は悪魔だ。獲物の正体も通常の剣ではない――恐ろしい魔剣だった」

「はい」

「その先も聞くか?」

「もちろん」



「奴は、我が父――ゲイルと同じことをする、と……そう言いおった」



 クラセヴィッツが息を呑む気配が伝わった。


「隊長、それは……!」

「言うな。言ってどうなるものでもない。それに今は女王陛下のお身体が心配だ。このことは誰にも言うな」

「で、ですがしかし!」

「すまない副官。あまり問答する気はない。貴官を信頼しているから言うことなのだ。私の副官として、信頼できる私の友として、どうかこのことは黙っていてくれまいか」


 続くだろう反論を封じるように言うと、クラセヴィッツは何かを言いかけたまま、少し驚いたような表情をした。


「隊長……なんと言いますか、変わりましたね」

「ん――そう、かな?」

「えぇ、変わりましたとも。――なんというか、臆病になりました。けれど、私はそのような隊長の方が好きです」


 無言でその顔を見返すと、クラセヴィッツは何かが吹っ切れたような顔をして「仕事に戻ります」と踵を返した。


 ふん、変わった、か。アシュリーは自嘲気味に笑った。あの男、しばらく見ないうちに言うようになったではないか。それともか、腑抜けている自分を見て何かを諦めたのか……。


「おい、アシュリー」


 不意に名前を呼ばれて、アシュリーは呼ばれた方を見た。


「ベリック……」

「なんだ、酷いツラだな。血塗れかよ。煤塗れの顔の方がよっぽど見れるぜ」


 憎まれ口を叩きつつ、ベリックはアシュリーに許可を求めることもなく、どかっと切り株に腰掛けて背を向けた。それから現場検証に追われる兵士たちの姿を見てから、ぽつりと言った。


「大変だったらしいな」

「あぁ、バールもへし折れてしまった。すまないな」

「馬鹿言うなよ、命とバールのどっちが大切なんだ」

「それでもすまない」

「よせよ。実は今、俺ァ安心してんだぜ。お前が膾切りにされたんじゃねぇかって……正直ここに来るまでは怖かったよ」


 うぇ? とアシュリーが後ろを振り返ろうとすると、ベリックが後頭部をごつっとぶつけてきた。


「な――なんだ?」

「うるせぇ、そんな辛気臭ぇ顔を向けんな。馬鹿が伝染る」


 ベリックは再び無言になった。


「私は城に帰ろうと思う」


 アシュリーはぽつりと言った。


「もはや一刻の猶予もない。奴は我々が……いや、私が止めなければならない。この非常時であれば執政官もダメとは言うまい。急ですまぬが、明日の朝には出立しようと思う」

「ああ……仕方ないな。大体は聞いたから」


 その言葉を予想していたように、ベリックは言った。


「出発は明日、ということは今日一日は何もねぇわけか?」

「え? そ、そうだな。そうなる、かも」


 そう言った途端、ベリックがざっと立ち上がった。背中を押されたアシュリーが前につんのめった途端、ベリックは「帰るぞ」とアシュリーの手を握った。


 恐ろしく強い手の力だった。されるがまま引きずられるように腰を浮かしてから、アシュリーは「ちょ、ちょっと……!」と抵抗した。


「あァ? なんだよ」

「か、帰るって……工房にか」

「当たり前だろ。謹慎中のくせして。そこ以外に帰る所ねぇだろ?」

「ま、まだ現場の検証も終わってないのにか……!」

「そんなもん誰かがやるだろ。急げよ、こちとらメシも食ってねぇんだぞ」


 事務的な口調で言って、ベリックは歩き出そうとした。その瞬間、アシュリーの膝が笑い、すとんと地面に尻餅をつく羽目になった。


「てめぇ……」

「い、いや違うのだ! こ、腰が……抜けている」


 思わずそう言ってしまうと、ベリックは片眉を持ち上げた。アシュリーは両手でベリックの手に縋って立ち上がろうとするが、どうしたわけか全く足に力が入らなかった。


 仕方ねぇなぁ、と言って、ベリックはしゃがみ込み、広い背中をアシュリーに見せた。乗れ、ということなのだろうか。しばらく迷ってから、アシュリーはつまらないことを言った。


「……血だらけだぞ?」

「だから?」

「いいのか?」

「早くしろっての」


 おっかなびっくり、アシュリーはベリックの背に身体を預けた。それから全ての体重を預けると、ベリックはしっかりとした足取りで立ち上がった。


「あんまりひっつくなよ。腰が引けちまうからな」

「どういう意味だ?」

「だから――いちいち訊くな」


 そう言って、ベリックはのしのしと家路を帰る一歩を踏み出した。


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