表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/54

死闘②

 怪人は無言で首を傾げた。不意の一撃を躱されたことに驚いたらしい。その余裕のある所作に、アシュリーの中の何かが危険信号を発する。


「貴様が“辻斬り魔”だな?」


 アシュリーが問うても、怪人は特段の反応を見せなかった。だったらどうする? と全身で語る傲岸な態度に、忘れていたアシュリーの怒りが再燃した。


「何故あの老人を襲った? 無害な老人だぞ。何故貴様の手に掛ける必要があるのだ! 答えろ!」


 アシュリーが言うと、怪人はぎらつく目を奇妙に細めた。


 嗤っている――? それを理解した途端、アシュリーの脳内に残っていたほんの少しの迷いも消し飛んだ。


「おのれ……! 貴様の腐ったその頭蓋、このアシュリー・フェリシティア・ポポロフが割り開いてくれようッ!」


 気合とともに、アシュリーは地面を蹴った。


 本気の突進である。体勢を低く保ったまま怪人の間合いに飛び込み、足元から擦り上げたバールの先で怪人の横面を狙う。


 ガン! と音がし、アシュリーの腕が止まった。見ると、素早く動いた怪人が横面を打ったはずのバールを、豪剣の棟で受け止めていた。その巨体からは想像もつかない程の早業である。


 こいつ、疾い――! アシュリーが目を見開いた途端、怪人が剣を頭上に振り上げる。血に塗れた刀身が闇夜に半月模様を描くのを見て、アシュリーは咄嗟にバールで受けた。


 金属と金属が激突する音が響き、衝撃にアシュリーの足が地面に沈んだ。



 重い。



 まるで巨人の一撃であった。


 ミシミシ……と全身の骨が軋むのを痛む間もなく、ずい、と怪人が間合いに踏み込み、アシュリーは堪らず後退する。まるで大斧のそれのような一撃を防御の真正面から喰らい、バールが異様な音を立てて削られた。


 こいつ――! まるで牡牛のような怪人の猛攻を必死に受けながら、アシュリーは一気に十数メートルも後退する。後ろに退きながらでなければとても受け切れない衝撃の連続に、全身が悲鳴を上げ、防戦一方の腕からは感覚が消えてゆく。それでも歯を喰いしばって耐えたアシュリーは、怪人の猛攻の一瞬の隙を突いて踏み込んだ。


 正面から押せないなら、側面から。神速の身のこなしと生まれ持った瞬発力で怪人の左手側に潜り込んだアシュリーに、怪人の動作が一瞬だけ遅れた。ここだ! 狙い定めた怪人の首めがけてバールを振り抜こうとした、その瞬間だった。


 ブシュウ! という何かが噴き出す音とともに、アシュリーの視界を赤黒い霧が覆った。


「ぐっ……!」


 思わず顔を背けて攻撃を中止したアシュリーは、塞がれて見えない視界の中、咄嗟に地面を蹴って横に飛んだ。


 受け身など、取れるはずがなかった。ほとんどモノ同然に地面を転がり、立ち上がらないままに服の袖で顔を拭ってから、服の袖を見たアシュリーは慄然とした。


 血である。それも自分のものではない、吐き気を催すほどに生臭い血の染みがべっとりと服の袖に付着していた。


 こんなものが噴きかけられていたのか――。どう考えても、剣から鮮血が噴き出し、自分の目を潰したとしか思えなかった。となると、どう考えてもあれはただの剣ではない。魔法の英知を以て鍛えられた剣に違いない。



 魔剣――。その響きに、アシュリーの背筋が凍った。



 息が上がっていた。流れ落ちてくる汗を頭を振って散らすと、怪人は、こんなものか、と言いたげにくぐもった笑い声を漏らした。


 なんなのだ、こいつは。アシュリーは何度目かの疑問を呈す。魔剣そのものの能力もさるとながら、この巨体からは想像もつかない程の剣撃の速さといい、まるでアシュリーの太刀筋の癖を知り抜いたような挙動といい、まるで心の底を見透かされているような不気味さが拭えない。そして何よりも不思議なのは一撃一撃の異様な重さである。単に豪剣と呼ばれる類の剣圧とは違い、まるで剣そのものが常軌を逸して重いかのような、経験したことがない種類のものだった。


 怪人が、ゆらりと蠢いた。次の一撃で終わりにする、そんな不気味な気迫とともに、怪人が剣を八相に構える。


 アシュリーはじりじりと、森の縁にまで後退する。


 如何にこのバールが頑丈とは言え、あの豪剣を喰らい続けて無事であるはずがない。実際、バールには怪人の剣撃が何度も喰い込み、深い傷を作っている。あと数発も喰らえばへし折れるだろうことは明らかだった。


 何か、何か方法はないか――! 必死に考えを巡らしながら後退したアシュリーは、ふと背後に聳える巨木の存在に気がついた。


 それは樫の巨木であった。幹周りが一抱えほどもある森の王者は、闇夜を覆い隠すかのように枝葉を広げている。樫は数ある木材の中でもひときわ固く、粘りがあり、斧やハンマーなどの柄に好まれる木材なのだと……いつかベリックから聞いていた。


 粘り。その単語が浮かんだ途端、アシュリーの脳裏を閃光のように駆け抜けたものがあった。


「そうだ――!」


 これに賭けるしかない。出来るか? と自分に問うのもそこそこに、アシュリーはバールを下段に構え直し、上半身を起こして、立ちはだかる魁夷を正面から見据えた。

剣の達人ならば、がらりと空いたこの隙を見逃すはずはない。剣に通じているならなおのことであるはずだ。


 怪人は次の瞬間、剣の鋒をこちらに向け、砲弾のような勢いで突進してきた。


 よし、とアシュリーは心の中で頷いた。そうだ、剣術を知っている者ならば誰でもそうする。一度相手が構えを下に下げたら、狙うのは一撃必殺の急所――心臓がある胸しかない。



 ごう……と、暴風のような音が耳をつんざいた。



 全ての光景がゆっくり展開する。



 怪人の剣の鋒がその胸を貫こうとしたその瞬間――アシュリーは大きく左に身体を傾け、既のところで怪人の刺突を躱した。


 ドガッ! という鈍い音ともに、怪人の剣が樫の木を貫いた。グッ!? と呻いた怪人は慌てて剣を引き抜こうとするが、常軌を逸する剣撃の重さ故にその刃は深々と飲み込まれ、容易には抜けないらしかった。


 ここだ! アシュリーは腹の底から声を張り上げた。側面から乱入してきたアシュリーに怪人が目を見開いた次の瞬間、その魔剣の峰に渾身の一撃を振り下ろした。




「やああああああああああああああああッ!!!」




 バキン! という音ともに、バールは中程から引きちぎれ、その先端が宙を舞う。

 二、三歩よろけるように後退してから、怪人は中程からそっくり叩き折れた豪剣を見て、血走った目を見開いた。


 よし、上手く行った。アシュリーはもはや手元部分しか残っていないバールを構えながら、腹の底から声を振り絞った。


「慢心したな、怪人よ! どんな硬い剣と云えども、このような状況で力を加えればいとも簡単に折れるのだぞ……!」


 そう、それはベリックがアシュリーのミスリル剣をへし折ったのと同じ原理だった。硬い金属は、それ故にしなやかさ、つまり靭性が低い。ましてや刃先が固定され、完全に衝撃をいなす力を失くしたところに通常有り得ない衝撃を与えてやれば、如何なる硬い金属といえども――否、硬い金属であるが故に、衝撃を吸収しきれずに破断するのだ。


 ベリック、お前のお陰だ――アシュリーが心の中で感謝した途端、怪人の放つ殺気が唐突に薄れ、アシュリーは眉をひそめた。


 怪人は柄だけになった豪剣と、ちぎれ飛んだバールを交互に見つめた。


 しばらくすると、ククク、と怪人は異様な声で嗤った。




「お見事。アシュリー・ステンダール」




 アシュリーは怪人を見た。今、この怪人はなんと言ったのだ? ステンダール? アシュリーは「私はステンダールではない」と不機嫌な声で応じた。


「我が名はアシュリー・フェリシティア・ポポロフだ。間違えるな」

「まさかこの剣が折られるとは思わなかったぞ……やはりゲイル・ステンダールの娘だけある」


 瞬間、アシュリーは持っていたバールの柄を怪人に向かって投げつけた。布が巻き付いた怪人の右耳を小さくかすり、バールの柄は立木の幹に垂直に突き立った。


 びぃん、と、大木に突き立ったバールの柄が異様な音を立てる。


 アシュリーは腹の底から絞り出した声で恫喝した。


「二度とその腐った口で我が父の名を呼ぶな。次に呼んだら、貴様を八つ裂きにするぞ」


 本気の声と気迫でアシュリーが答えると、怪人は「誇り高き父、か。確かにそうだ」と嘲るように嗤った。


 なんだコイツ、一体何が言いたいのだ? とアシュリーが片眉を上げた途端、怪人は予想もしていない言葉を吐いた。


「貴様の父は正しかった」

「――な」

「覚えておくがいい。貴様の父上がやろうとしていたことを、私がこれから代わりに行う。私とゲイルは同じ野獣の血が流れる同志なのだ。それを忘れるな」


 それは一体――! そう訊き返そうとした途端、男が握った剣の柄から赤い煙が爆発するように吹き出した。


 咄嗟に、アシュリーは腕で鼻と口を覆った。噎せ返るような血の匂いが辺りに充満し、思わず胃がひっくり返りそうになる。血煙の向こうに漆黒の巨体が消えてゆくのを見たが、視界も呼吸も奪われ、アシュリーには為す術がなかった。


 たまらず、地面に顔を押しつけて激しく咳込む。たっぷり五分も経ってから顔を上げると、折られた剣の柄だけがその場に残されていた。


 逃げられた、か――。アシュリーが悔しさに歯噛みすると、うう、という呻き声が聞こえ、アシュリーははっと声がした方を見た。


「お、お嬢さん、今の男は一体……」


 そうだ、老爺が……! アシュリーは倒れている老爺に駆け寄った。自分の身体から立ち昇る血の匂いにむせながら、アシュリーはこの老爺をどうすれば助けることが出来るだろうと考えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 勝てなかったですか… しかも強敵です、不穏な事を言ってましたし、この先が怖いです 更新ありがとうございます!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ