明日に向かって(聖剣を)打て
「なっ――何故だ! 私の剣を打つのを断るだと!?」
女は悲鳴のような声を上げた。
部屋の中は薄暗かった。低い天井に、真っ黒に燻された天井。金鋏や鎚が雑然と並べられた壁。完全に光を遮る厚手のカーテンで窓という窓を塞いだ細長い空間。
埃っぽい空気がどんよりと滞留する部屋の中は、仕事場というよりは古代の地下墓所を思わせた。
「なんでって――」
若干不機嫌そうな声で、穴倉の主は応じる。若い男である。うっすら無精髭の浮いた顎先で、男は目の前の鉄くずの山をしゃくった。
「見てわかんねぇか、これだよ」
「全くわからん!」
女はヒステリックに喚いた。
「欠けた鎌、柄の腐った鉈、磨り減った鍬――全部ガラクタではないか!」
「そうさ、ガラクタさ」
半分無視したような声とともに、男は目の前に突き出た手押し式のふいごを右手で押し込んだ。ごう……と、巨竜がいびきをかくような音とともに空気が細く押し出され、火床の炎が輝きを増す。
「このガラクタを麦の種蒔きの季節までに全部新品に仕上げなきゃならねぇ。だから剣なんぞ打ってる暇はないね」
「そんなことは訊いとらん! 私の依頼の方がどう考えても先決だろうが!」
「そんなものもこんなものもない。俺にとってはこれが仕事。そんで俺はここの工房の主。だからこの工房は俺の気の乗らない仕事はしない。わかる?」
「気が乗らない、だと……!」
女は更に苛立ちを募らせる。若い女である。ぱらりと伸ばした金髪をきりりと結い上げ、ややサイズの合っていない、豪華な誂えの鎧を着込んだ女。
見た目の通りならこの娘は騎士である。
身長こそ鍛冶屋の男より頭二つ分は小さいチビだが、造作からすればなるほど平均を遥かに上回る端正な顔立ちであったかも知れない。
そんな女が、煤けた鍛冶工房の入り口で、短躯をぴょんぴょんと跳ねさせ、ものぐさを絵に描いたような鍛冶屋の男にキーキーと抗議を重ねているのも妙な光景であった。
「おんのれ貴様、私が誰だか知らぬようだな……!」
形の良い眉を険悪な角度に釣り上げて、女は大声を張り上げた。
「エーデンを守護する精強なる騎士団! その中でも“ハーフィンガルドの野獣”との誉れ高き百騎隊長である私、アシュリー・フェリシティア・ポポロフの剣を打てるのだぞ! 貴様も鍛冶屋の端くれなら、生涯の名誉とすべき誇りある仕事であろうが!!」
どうだ参ったか。そう言いたげにボリュームある胸を反らす小娘――アシュリーの自己紹介に、鍛冶屋の男は失笑で応じた。
「知らんね」
「なっ……!」
「騎士団? ハーフィンガルドの野獣? 百騎隊長? あーっはっはっは!」
男は空々しく笑い声を上げてから、鍛冶師は実にのんびりとふいごの把手を押し込んだ。
「一個も聞いたことねぇ。俺の耳に入ることといえば石炭の相場と明日の天気だけだ。それ以外の話は聞いても忘れる性分だし」
「うぉのれぇ、ああ言えばこう言う奴よ……!」
「だいたいね」
男はふいごを押しながら、面倒事をあしらう口調で言う。
「あんたもその――ええっと、騎士団の、しかも隊長ならさ、砦にお抱え鍛冶ぐらい何人もいるでしょ? 剣ならその人に打ってもらったらいいでしょう。なんでこんな煤けた工房の野鍛冶に頼まなくってもいいだろうよ。――ええっと、ポポロフさん」
「ポポロフって呼ぶな! 私を呼ぶならフェリシティアと呼べ! ファミリーネームだとカッコ悪いだろうが!」
鬱陶しいなぁ。男の目は明らかにそう言っているのだが、生憎女騎士――アシュリーはそれに気がつくようなタマではない。何しろ、正体不明の傲慢さと手加減不能の腕っ節だけで生きているような小娘である。その2つだけを頼み、研ぎ澄まし、可能な限り暴走させて、若くしてエーデン王国を守る騎士を務めている――言うなれば彼女はそんな人間であった。
「だからさっきから何度も言ってるだろう! そいつらに頼んで仕事が済むならこんな山奥まで来とらんわ! 砦のお抱え鍛冶どもは全く役に立たんからこうして平身低頭、貴様に頼んでいるのだ!」
「平身低頭?」
「なんだ? 何か不満でも?」
「いや、いやいやいや――続けて」
首を振って男は先を促した。
「今まで私が何本剣を打たせたと思う? 五十では効かぬ。だがそのすべてが一月も持たなかったのだ。鉄兜をぶった斬れば刃が欠ける。オークの骨を挽けば切っ先が鈍る。トロールの頭蓋を叩き割るのにはなお三本の剣が必要なのだ。これでは戦をするどころではない!」
鍛冶屋の男はふいごを押しながら珍妙な表情を浮かべた。
「最近は砦のお抱え鍛冶だけでなく、城下の鍛冶屋共すらさっぱりと萎縮してしまいおって……私の顔を見るたびコソコソ逃げ出す始末! 全く情けないったらありはしない」
「いや、怖がっているというよりは関り合いになりたくなかったんじゃないかな」
「どういう意味だ?」
「まず最初にひとつ質問いいか?」
「なんだ」
「なんでトロールの頭蓋を剣で叩き割る必要があるんで?」
「は?」
「今時そんな時代錯誤な戦い方、聞いたことない。今の時代、あんな馬鹿でかい怪物に白兵戦を挑むのは馬鹿か自殺志願者だけだ。トロールは図体は大きいが動きはのろい。だから大砲で遠くから各個撃破ってのが今日の戦のイロハでしょうよ」
何だそんなことか、とアシュリーは言った。
「そんなことは決まっている。私がトロールに剣一本で白兵戦を挑めるほどに強いからだ」
ザッ――と、煤だらけの工房に何か風のようなものが吹き抜けた気がした。
ふいごを押す手さえ止め、何をか言わんや、という表情で呆けている鍛冶屋を見て、アシュリーは得意気に小鼻を膨らませた。
「どうだ恐れ入ったか。ははん、驚いて言葉も出ない、というツラをしておるな。今ごめんなさいといえばこれまでの非礼は許して使わしてやっても――」
「死ねばいいのに」
「うん? 何か言ったか?」
「第二の質問いいか」
「なんだ。初対面の人間相手に質問攻めは関心せんぞ」
頬を二、三度震わせて鍛冶屋は言った。
「砦のお抱え鍛冶師がダメなのはわかった。けれど何で俺なんです?」
男が質問すると、アシュリーは「おお、そちらは良い質問だな」と何故か得意げな顔になった。
「さっきからつまらん質問ばかりする男だと思ったが、やれば出来るではないか。ああ言えばこう言う男から野暮天くらいには昇格させてやろう」
「……そりゃどうも。やっぱり死ねばいいのに」
「そうだな。この訳を説明するなら……そう、半月ほど前のことから話すのがよかろう」
「もうちょっと端折れません?」
「黙って聞くがいい」
ふう、とアシュリーは瞬時、瞑目して、それからゆっくりと語り出した。
「そう、あれは凩の吹きすさぶ寒い冬の朝だった。私は執政に呼び出された。知っておるか、執政官のことは」
「あぁ、まぁ名前くらいは。切れるお方だとも」
「そう、あの陰険で鳴る執政官だ。……奴は朝早くに私の私室に来て、挨拶もそこそこにこう言った――」
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「あなたの剣代金が馬鹿にならなさすぎる」
そう言われて、ぽかん、とアシュリーはその顔を見た。執政官――サボス・ウィルフォードの幸薄そうな顔はとても冗談を言っている表情ではなかったが、言っていることは冗談であって欲しい内容だった。
訓練が終わった後の身体の汚れを湯浴みで落とし、髪を乾かしてバスローブに着替え、寝る準備を着々と済ませていたアシュリーにとってありがたい内容でないことは確かである。この男の話は昔からやたら長いのだ。一の内容の話が十にも二十にもなる。
しばらく迷って、アシュリーはそれが冗談である方に賭けることにした。
「あぉ、び、びっくりしたぞウィルフォード執政官。寝る前だというのに私の部屋に来てわざわざ何を言い出すかと思ったら。お前のような陰険な男でも冗談は言うのだな。もっとも、あんまり面白くはないが……」
「冗談? 冗談で済むなら私は逆立ちして城下を一周しますよ、喜んで。逆立ちなんか生まれてこの方したこともありませんがね」
執政官がにっこりと笑った。あぁ、これはマズい、冗談ではなかったようだ。この男は昔から、怒れば怒るほどに笑顔になるのである。そしてなおかつ、怒るとすこぶる怖い。おかげで子供の頃から何度コイツに泣かされてきたことか――。
目の下に黒々と浮き出たクマの痛々しさを差っ引けば、執政官は平均以上の美男子であるのだろう。色気のイの字も知らないアシュリーにもそれくらいはわかる。その上、頭も毛並みもいい。
ハーフィンガルドと呼ばれる大陸に遍く名を轟かせる精強な王国、エーデン王国。その中でも特に有力な貴族であるウィルフォード家の嫡男は、血筋以上にその切れ者ぶりを知られる男だった。成人を迎える以前から頭角を現し、三十路を迎える前にこの国の内政の一切を司る要職に収まった傑物は、同時に何を考えているのかわからない蛇のような不気味さを常に纏っていた。幼い頃から見知った腐れ縁がなければ、多分アシュリーが世界で一番苦手とするタイプの人間である。
互いに無言のまま、数秒の間が流れた。
多分、サボスは何かアシュリーが反応するのを待っていた。多分「ごめん」とか「すまない」とか、少なくとも「悪いとは思っているのだ」というぐらいの、兎に角そういう反応を。
だが、アシュリーはサボスの期待を残酷なほどに裏切り、目線をあさっての方向に移しただけだった。
「フェリシティア隊長」
執政は目頭を揉みながら、欠伸混じりに言った。
「聞きましたよ。あなた昨日、この間打ったばかりの隕鉄の剣も叩き折ったらしいですね」
「ああ、折れたな」
「……一応聞いておきますが、どうしてへし折ったんです?」
「どうして、とは?」
「そのままの意味です」
「そんなもの、戦の最中に折れたに決まっておろう」
「どんな戦をしたんです?」
「聞きたいか」
「聞きたいですな。ぜひ本人の口から」
「北の谷のトロールの頭を叩き潰したら折れた」
はぁ、とサボスはため息をついた。
「北の柘榴谷に棲むトロールの討伐令が下ったのは4日前ですよね? その時私は騎士団に助言を求められて助言しました。トロールは力は強いが動きは緩慢である、死角から近づいた後、大砲で両足を攻撃してから引き倒した後に一斉射で撃滅せよと私は助言しました」
「ふむ」
「ですが後で検分した所、あのトロールの致命傷はどう見ても頭蓋を叩き割られたことによるものだとしか思えませんでした。何故でしょう?」
「決まってるだろう。あの腐ったジャガイモ頭を私が叩き割ってやったのだ」
聞いて驚け見て笑え、とよくわからない枕詞とともにアシュリーは語り出した。
「あのハゲ頭め、私が来た途端に笑ったのだぞ? なんだ、またエサが来たのかとあの濁った目玉がそう言っておったわ。これまで何人も旅人を喰らいおって。私がやって来た時、奴は喰らった人間の肋骨で歯をせせっておったわ」
サボスは無言でこめかみに指を這わせる。それはサボスが強烈な怒りをこらえる時の癖なのだが、アシュリーは武勇伝に夢中でそのことに気がつかなかった。思えばこれが致命的なミスであった。
「だから私が単騎で谷を駆け下りた。何、シカが駆け下りられる路を人間が駆け降りられぬ道理はないだろう? 奴め、単身飛び込んできた私に腰を抜かしおった。取って喰おうとしたのか右手を伸ばしてきてな、私はそれを華麗に避けると奴の手の甲から肩へ飛び移り、『ハーフィンガルド一の太刀!』と叫びながらそのまま渾身の力で奴の頭蓋骨を――」
「あなたにはしばらく謹慎してもらいます」
キンシン……という奇妙な響きが武勇伝の間にねじ込まれて、アシュリーはその先の言葉を飲み込んだ。
「なっ――何故だ」
「何故もヘチマもないのです。あなた、次から次へと剣をダメにして、一体何様のつもりなんです?」
サボスの眉尻がほんのりと紅潮した。ぞんざいな口調とは裏腹にニコニコ笑いながら、美男子は続けた。
「だいたいね、隕鉄ですよ? 天から降り注いだ物凄く希少な金属です。地上のいかなる金属とも違う性質を持っている故に扱いづらい。それを剣一振りに仕上げるとなると、それこそ目玉が飛び出るほどのカネを使う。――あなた、あなたが昨日へし折ったあの剣が研ぎ出されるまで、いくらかかったかかご存知ですか?」
「い、いくらって……」
アシュリーはまごついた。生来、銭勘定ほど苦手なものはない。しばらく考えておそるおそる指を2本立てると、サボスはふーっと鼻から息をついた後、左手の指を5本、右手の指を2本立てた。
「な、7……」
「その先は言わなくて結構。ただ残った支払いの残額など二度と聞きたくないので」
アシュリーはその額に恐怖すら覚えた。7である。この砦に詰める衛兵全員にビールを一樽ずつ贈ってもお釣りが来るほどの金額であろう。そんな途方も無い金額があの剣にかかっていたなんて知らなかったのだ。
執政官はこちらの反応を伺うように、やけに湿り気の多い目でこちらを注視している。
どうしようか考えて、アシュリーは結局、うふっと笑ってごまかしてしまうことにした。
「そ、そうか。すまなかったなウィルフォード執政よ。私はあのナマクラがそんなに値が張るもんだとは知らなかったのだ。なんせ私にとってはすぐ折れる剣など爪楊枝みたいなもんなのでな。以後気をつけることにして、今日のところは私の顔に免じて……」
その途端。ズボォ! と、勢い良くサボスの2本指がアシュリーの鼻の穴に入り、ギャア! とアシュリーは悲鳴を上げた。
「いいニュースと悪いニュースがある。いいニュースから聞かせてやる。よく聞けよ、アホのポポ公」
ぐい、と、2本指で鼻ごと顔を引っ張られ、アシュリーはサボスの血走った三白眼を真正面から見つめることになった。美男子の頬がひくひくと別の生物のように痙攣するのを見て、アシュリーはやっとこれから繰り広げられる惨劇を察知した。
「まずはいいニュースだ。お前がコソコソ私に内緒で麓の剣鍛冶に頼んでたおニューの剣、出来上がったらしいぞ。お前がトロール退治に行ってる間に私が受け取ってやった。後で取りに来いや」
人殺しの声と目である。怒りと睡眠不足に濁ったサボスの両目は、奈落の底に繋がっているのではないかと思わせるほどに昏い。
「あ、あひ……! す、すぐ行きまず……!」
「じゃあお待ちかねの悪いニュースの方だ。その剣、お前は『お代は上様で』って言ったらしいな。そのお代のせいで俺は一週間先まで徹夜が確定した。どうだ、悪いニュースだろ? なぁ? おい?」
とっても悪いよなぁ……とサボスは地の底から響いてくるような声で念を押した。涙目になりながら頷くと、サボスのこめかみに浮き出た青白い血管が生き物のようにぴくぴくと動いた。
「大体お前がこの間へし折ったあの隕鉄の剣な、アレだってお前がどうしてもって言うから拵えてやったんだぞ? お? わかるかこの意味が。わかんねぇだろうなぁ、性懲りもなく折っちまったんだからなぁ。この頭振ればカラカラ音がするだろうからなぁ。振ってみるかホラ? カラカラカラカラ~」
「ひぃ、は、鼻がもげます、ご、ごめんなさい……!」
「謝るなよ。謝っても3分後には忘れてんだろ。お? そうだよなぁ」
鼻の穴ごと頭をガクガクと揺すられる。本当に鼻がもげそうだ。子供の頃からこの男に説教されるときは必ずこうだ。とりあえず逃げ道を絶たれ、言い訳のしようがない状況に追いつめられた後――じっくりと何時間も掛けて嬲られ、犯されるのである。
ふーっと、サボスは長い長いためいを気をついてから、言った。
「お前の馬鹿力と馬鹿のせいで私がどれだけ苦労してるか、今からゆっくり聞かせてやる。いいか、3時間は覚悟しとけ」
「うぇ……!」
「返事は?」
「はいぃ……!」
アシュリーは半泣きになりながら小刻みに頷いた。
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「――私は知らなかったのだ」
アシュリーはため息混じりに言った。
「何が?」
「私の剣のことだ。執政官はそれから私に滔々と説明した。――次から次へと折れる私の剣にかかる代金が、エーデン騎士団の軍事費の3割近くを食い潰している、などと」
「さ、3割だぁ!?」
鍛冶屋が目をひん剥いた。
「ふざけんな、どんだけ剣をへし折りゃそうなるんだ! アンタとんでもない金食い虫じゃねぇか!」
「おのれ……! 貴様もあの執政と同じことを言うのか! 『この穀潰し隊長が』などと!」
「執政官にも穀潰しって言われてんじゃねぇか」
「……ぅ」
アシュリーがぐしゃっと顔を歪めたのを見て、鍛冶屋は慌てて先を促した。
「あ、あぁもう悪かったって。続けて」
「それからは数時間も説教された。夜は更けて月が傾き草木も眠り一番鶏が鳴いてもまだ罵倒された。ようやく空が白白と開け始めた頃、執政官は無情にも言った」
「なんて?」
「『暫くの間、あなたがエーデン騎士団の百騎隊長として持っている権利の一切を停止する』と……」
「そりゃあ、まぁ」
そうなるでしょうねぇ、などと鍛冶屋の男は気の抜けたようなことを言い、そうなのだ、とアシュリーは首肯した。
「そこで私は考えた。もう何本も剣を取り替えている暇などない、とな。決して欠けず決して折れぬ剣を作れる鍛冶屋はいないものかと、思いあぐねた」
「はぁ」
「無論、こんなものはお伽話だ。形あるものはいつか壊れる。私に振られる剣ならばなおさらだ。鉄で作ろうが鋼で作ろうが、私が握れば一ヶ月と持たなかったのだからな」
鍛冶屋は沈黙している。「だが」とアシュリーは続けた。
「私はいいことを思いついた。そうだ、最初から折れる前提の安い数打ちの剣を大量に持っておけばいいのではないか、とな」
「なるほどね」
鍛冶屋の男は何故か苦苦しげに言った。「あんたはそういうふうに考えるわけか」
「しかし、近郷近在の剣鍛冶の品はもはや殆どを見知っている。どれも一撃で砕ける腰抜けばかり。ある程度の強度はなければならぬ。そこで私は王宮中を駆けずり回って情報を集めた。そこで聞いたのがこの工房の話だ」
アシュリーはそう言って、持ってきた包丁の一本を床に向けて放った。さくっ、という音と共に包丁は床に突き立った。
「拾え。そこに入っている薄気味悪い銘はこの工房ので間違いないのであろう?」
男は妙な目つきをしたが、それも一瞬のことだった。それから黙って立ち上がり、包丁を拾い上げてしげしげと眺めた男は、静かに頷いた。
「あぁ、間違いない。この一つ目の銘はウチの工房の商品だ」
「相違ないな?」
アシュリーが尋ねると、鍛冶屋は再び頷いた。
「厨師も、庭師も、魔術師ですらこの銘が入った道具を使っておった。――それがこの鍛冶屋であることを突き止めるまでに随分時間がかかったぞ」
それこそ包丁や鉈、草刈り鎌や鍬、魔術師が材料を切り刻む採取ナイフにまで。これを打った人間の名前も、工房の名前も入ってはいない謎の逸品は、皆一様に素晴らしい出来栄えの道具だと口々に褒めそやした。イケる。頭があまり良くないアシュリーは単純にもそう思ったのである。
苦労したのはそれからの話である。独つ目の意匠が鏨で彫られていることを共通点にしている他、この道具を作っている人間についての手掛かりは皆無。街へ降り、間・諜・の・よ・う・に・堂・々・と・人々に聞き取り調査をすること半月。やっとこの鍛冶屋の存在を突き止めたのである。
しばらくして、無言で包丁を検めていた鍛冶屋が口を開いた。
「ひとつ、聞いていいか?」
「なんだ?」
「随分刃毀れしてるが、この包丁は誰が使ったんだ?」
「んん? 気になるのか? ここへ来る前に私が少しばかり振り回してみたのだ。実によい刃がついておる。これが包丁でなく剣ならばさぞやの名剣と言ったところであろうな」
男は答えない。ただ黙念と包丁に視線を落としている。
「ま、それだけ打ち欠けてしまえば折れずとも用は為さぬがな。丁度よい、それは貴様が捨てておいてくれれば助かる。クズ鉄の扱いには慣れておろう?」
アシュリーがカラカラと笑うと、男は包丁を金敷の上に置き、ふう、と真意が知れぬ溜息をついた。
「さぁ、もう質問も終わりだ。これでわかっただろう? 貴様にとってこの取引がどのような意味を持つものなのか! この私、大陸全土に名を轟かせたる騎士、アシュリー・フェリシティア・ポポロフが帯びる剣! それを生涯に渡って打ち続ける名誉を貴様に賜ってやろうと言っておるのだ!」
男は無言である。無言のまま、金敷の上の鉄にハンマーを振り下ろし続ける。キン、キン……という鋭い音に負けぬよう、アシュリーはふんぞり返りながら大声を張り上げた。
「さぁ、いかな野暮天のお前でも首を縦に振らざるを得まい! お前はこの私、アシュリー・フェリシティア・ポポロフお付きの鍛冶屋として専属契約するのだ! ここで鍬や鋤を相手に煤に塗れて何になろう? 那由多の剣の屍を築く中で私の眼鏡にかなう剣を打てた暁には、相応の栄誉と地位をもくれてやるぞ! ぬはははははは!」
「帰んな」
「ぬはははははは! はは……は?」
今、この男はなんと言った? 『帰れ』……と言ったのだろうか。
アシュリーが高笑いをやめると、鍛冶屋は鎚を振り下ろす手を休ませないまま、低く言った。
「決めたぞ、俺はアンタにはフォークの一本も打ってやらねェ。鍛冶屋はな、客が使った道具を見れば、その客がどういう人間なのか大体わかるんだよ」
「な」
「アンタは最悪の客だよ。だから打たねェ。分かったなら帰れ。仕事の邪魔だ」
「ん、なっ……! き、貴様! これ以上の狼藉は……!」
「ギャーギャーうるせぇよ。塩撒かれないうちに帰れっての。――でなきゃ」
鍛冶屋は目だけでアシュリーの佩びた剣を見た。
「そのおニューの剣も叩き折るぞ」
その言葉に、アシュリーの頭に音を立てて血が昇った。目が眩むような怒りが目の前を暗くし、こめかみの血管をどくどくと脈打たせる。
「……ほほう、お前ごときがこの私の剣を折ると申すか。ほざきおるわ」
「何度も言わせんな。今なら無傷で帰してやるからよ」
「もはや無傷で済まんのは、貴様の方だ。貴様にはこの百騎長が直々に裁きを下してやろう。……罪状は不敬罪、及び騎士の誇りを愚弄した罪だ」
アシュリーは腰に佩いた剣の柄を握り、一息に抜き放った。同時に、豪華な拵えの鞘から溢れ出るように鋭い光が迸った。
「鍛冶屋ならわかるであろう? 魔銀の剣だ」