冥王のキュクロ
「あぁ、懐かしい響きだな」
サボスは芝居がかった口調で言った。しばらく考えを統一するように宙を仰いだサボスは、やがてゆっくりと言った。
「あなたの師匠は至上最も長くエーデン王家の宮廷鍛冶を務めた天才的な鍛冶師で、同時に天才的な戦士でした。それはもう、先の大戦では知らない者はいない程の大戦士……“冥王のキュクロ”といえば、あの戦乱から十年が経過した今でも震え上がる老兵は数多いでしょう」
やめろ、その名前を呼ぶな。あの人は冥王なんかじゃなかった。
ベリックが右手を握り締めると、サボスは続けた。
「やがて戦いに疲れた大戦士キュクロは、将軍や王宮鍛冶という一切の名誉や称号に背を向け、王都を離れて山奥に鍛冶工房を構えます。その工房の名前はキュクロプス工房という。キュクロという自分の名前をもじったのかもしれない。はてまた、優れた冶金技術を持ち、その技を以って神々の剣をも鍛えたという古代の種族キュクロプス――その伝説に準えたつもりなのかもしれません」
今言った言葉がベリックの頭に染み込むのを待つかのように、サボスはゆっくりと歩を進める。
「だが、彼がこの工房を開いて七年後。まさしくエーデン王国には受難の年となった七年前です。王家の宝物庫に物盗りが入り、とあるものが消えた。それがあの“魔眼”――いわゆる魔剣でした。それはあなたの親方である“冥王のキュクロ”が、劣勢となった戦況を覆すため、王の密命を受け、魔法の叡智を以って鍛えた忌まわしき兵器――ひと振りで百人を一方的に虐殺出来るほどの、想像を絶する力を秘めた兵器です」
サボスはベリックを見つめた。どんな反応をするのか確かめているのかもしれない。ベリックが岩になってその視線に耐えていると、サボスはまた歩を進めた。
「七年前、執政官としての私の最初の仕事は、あなたの親方――“冥王のキュクロ”を捕縛し、この魔剣の行く末を聞き出すことでした。あの魔剣のことを知っている人間は数えるほどしかいない。自ずと、誰があれを盗んだのかは見当がついた。彼は何故そんなことをしたのか? それはいまだにわからない。自分が打った剣にこれ以上血を吸わせたくなかったのかも知れないし、文字通り最高傑作と呼ぶに相応しかったあの魔剣を自分の手中に取り戻したかったのかも知れない」
サボスは床に視線を走らせた。まるでそこに過去の残骸が落ちているかのように、次に工房の入り口に視線を走らせ、最後にベリックを真正面から見た。
「七年前、そう、七年前のあの日だ。私は騎士団を連れてここへやって来た。そして、もぬけの殻となったこの工房の中で、ひとりで呆然と立ち尽くすあなたに出会った――」
覚えていますか? というようにサボスはこちらを見た。忘れられるはずがない。わけもわからず、再びこの世にひとりぼっちで放り出された、あの日の朝のことを。
「キュクロはあの“魔眼”を持ったまま、弟子のあなたを捨てて国外に逃亡した――その後の調べで私はそう結論づけました」
昔話は終わりだ、というようにサボスは溜息をつき、「本題に入ります」と言った。
「この話は口外しないでいただきたい。ご存知かどうか知りませんが、魔剣によって辻斬りをしている不届き者がいる」
予想外の言葉に、ベリックは目を見開いた。
「最近、城下で頻発する通り魔事件……その被害者の遺体を検分する限り、あれは吸血の魔剣――我々が便宜上“吸血鬼”と呼んでいる業物の仕業に間違いありません」
サボスはクマのせいでより存在が際立つ三白眼を光らせた。
「“吸血鬼”。あの忌々しい怪物どもの名前を冠する魔剣は、遥か昔にとある名工が鍛えたと言われる稀代の業物。同時に、斬った人間の血を吸うという恐ろしい名物です。行方知れずとなっていたアレを誰がどこで手に入れたかは知る由もありませんが――とにかく私はあの剣を止めなければならない」
「お、俺じゃねぇぞ!」
繕っていた鎧を思わぬ形で剥ぎ取られ、ベリックは思わず大声を上げた。
「俺じゃねぇ! テメェは何を疑ってやがるんだ! 俺が魔剣を持ち出して夜な夜な人斬りでもやってるって言いてぇのか!?」
「そんなことは全く考えていません。あなたがそうする理由もない上、城下ではあなたの不審な動き等も確認できませんでした。この件についてだけは、我々はあなたを疑ってはいない、それだけは信じて頂きたい」
サボスは言った。嘘ではない、とベリックは直感したが、それでも痛くもない肚を探られたような不快感は残った。ベリックが燃えるような瞳で睨みつけても、サボスはまるで彫像のように顔の筋の一本も動かさない。
「ですが、また別の理由は生じる。辻斬り魔が魔剣を持っている以上、それは通常の剣士では太刀打ち出来ない。今こそあの魔剣――キュクロの最高傑作が必要なのです」
そういうことか。ベリックは顔を歪めた。
「親方の剣で――その魔剣を止めようってのか」
「力には等しい力で対抗する、昔から決まっていることです。元々あの“魔眼”は戦乱によって大陸中にばら撒かれた数々の魔剣を駆逐するために作られたものだ。あの剣が魔剣になるか聖剣になるか、それは今のあなたの返答にかかっている」
サボスは歩を止めた。
「もう一度だけ訊ねたい。もしあなたがキュクロの居場所を知っていたとして、今大人しく供述すれば一切の罪には問いません。だから」
サボスは決然と言い、ベリックの目を睨んだ。
「もしあなたが“魔眼”の在り処を知っているなら、今ここで言いなさい。鍛冶屋のベリック」
誤魔化しも、拒絶も赦さない、冷たくて硬い声。それは命令だった。
ベリックは足元の床を見て耐えた。この男に服従してはならない。そう命ずる自分の中の何かの言う通りに、ベリックは拷問のような時間にただひたすら耐えた。
しばらく、無言の時間があった。
何分経ったのだろう。ふっ――と、サボスが発している強烈な威圧感が薄まり、ベリックはゆるゆると顔を上げた。
「なるほど。そういう強情なところは親方さんにそっくりだ」
有罪とも、無罪とも取れる声を発して、サボスは少しだけ吹っ切れたような顔で笑った。ベリックは笑わなかった。
「わかりました。もう一度、あなたとキュクロ将軍を信じましょう。あなたには正直、負い目もありますから、それも加味して……信じます」
あまりにも正直に、二人の間にわだかまった過去を指摘する声だった。ベリックは「……恩を着せたつもりか」と低い声で問うた。
「親方は――あんたたちのせいでここにいられなくなった。表向きは親方が追放されたことになってるのは、あんたらが一方的にあの戦争の罪を親方に着せたから――そうじゃねぇのか」
サボスが、ちら、とこちらを振り返った。痛々しくクマの浮き出た端正な顔には、莫大な徒労感が滲んでいたように――ベリックには見えた。
「認めますよ。結局、私はあなたにとってもキュクロにとっても、凶人でしかなかった。……地上で最も損な役回りなんです、執政官というのは」
己の職務をぼやくように言ってから、執政官は一切の話は終わったというように顔を上げた。
「また暫くはここに来ません。妹を頼みます。あんな馬鹿で向こう見ずな娘でも、見どころはあるはずだ」
あぁ、確かにな。無言の会話が終わり、ベリックの目の中に何かを確かめたらしいサボスが、工房のドアノブに手をかけた、その瞬間だった。
ガタン、という音と共に、工房のドアが開いた。
入ってきたのは鎧を着込んだ若い兵士である。驚いた表情のサボスがなにか言うより先に、青ざめたそ顔の男が「執政官――!」と一声叫んだ。
「どうしたのですクラセヴィッツ副官。何が起きました?」
「大変です! また“闇夜の辻切り魔”が出ました!」
その一言に、ベリックも目を剥いた。「どこで?」と鋭い声で問うたサボスに「街道の入り口です」と眼鏡の男は言った。
「ですが、今回は目撃者がいました。警ら中の騎士団の一団が犯行直後と思われる辻斬り魔を見たと言っています。顔こそ確認できなかったそうですが、奴はそのまま北の荒れ地の方向へと逃げていったと……!」
「北の荒れ地って……!」
突然割って入ったベリックに、サボスと眼鏡の騎士は大いに驚いたようだった。ぎょっと背後を振り返った二人に、ベリックは叫んだ。
「今、アシュリーは街へ買い出しに行ってるんだ! この工房に帰るには荒れ地のすぐ横を通るしかねぇ……このままじゃ“闇夜の辻斬り魔”に鉢合わせしちまうぞ!」