魔眼
キン、キン……という音が工房に響く。ベリックは汗塗れの額をハンマーを持った手で拭い、赤めた金属の塊を再び炉に放り込んだ。
しばらく叩き続け、また炉の中へ。鍛冶の基本は鍛造――鉄を叩き、また赤める単調な作業の繰り返しなのである。真っ赤に灼けた鉄が赤黒く冷めるまでの二十秒ほどの時間、その僅かな時間だけ、人間は鉄を自由に操る事ができる。その間、鍛冶師は全力で鎚を振るい続けるのである。
今回使う鋼は普段使いのものとは異なり、舶来物の高級品であった。そのせいか硬さが段違いで、手鎚で叩いたぐらいでは思ったように延びてくれない。せめて向う鎚を振るってくれる相鎚がいればよかったのだが……と思いかけて、ベリックはその考えを振り払った。
いかんいかん。最近、アシュリーが向う鎚を務めていたための弱音である。この程度、一人でやれなくてどうするのだと自分を叱りつつ、ベリックは額に浮き出た汗を拭い、炉の中から鋼を取り出した。
そう、ベリックは今、彼女の――アシュリーのための剣を打っている最中なのだった。
赤めた鉄を金鋏で挟んだまま、金敷の上で叩く。普通の農具を作るときよりも数倍高い音が鳴り響く。
……と、ベリックはふと手を止めた。
金鋏で挟んだ鋼の延べ板をじっと見つめてから、ベリックはしばらく考え込んだ。
何かが違う。職人としての自分がそう言っている。形は間違いなく剣である。剣鍛冶にのみに伝わる切れ味の秘伝や強度の工夫はもちろんあるだろうが、こちらも鍛冶師のはしくれ、今までに溜めたノウハウや経験を総動員すれば、そうは折れない剣まがいの刃物の一振りや二振り、作れる自信があった。
だが――これは違う。ベリックは下唇を噛み締めながら、熟果色に灼けた鉄の板を見つめる。これをアシュリーが腰に帯び、振り回しているというイメージがどうしても湧かないのだ。それはほとんど直感のようなものだが、ベリックの職人としての勘が、何かが違う、これはアシュリーには相応しくないと必死に主張しているのであった。
馬鹿で、チビで、キーキー五月蝿い脳味噌筋肉な馬鹿女だけど、何故かほっとけないじゃじゃ馬娘。子どものように目を輝かせながら槌を振るい、鉄を打つ女騎士。馬鹿だけど、人一倍真面目な彼女に対し、果たしてこれはふさわしい作品になるのだろうか――。
しばらく迷ってから、ベリックは結局、熱く灼けた鋼を火床に突っ込んだ。
これで十戦十敗だ……と内心ぼやきつつ、額に浮き出た汗を拭った。やれやれ、また鋼材が無駄になってしまった。どうにかしてフォークか何かにしてごまかさないと……。
ベリックが喘ぐように荒い息をした、その瞬間だった。
工房のドアが開く音がして、ベリックはバネ仕掛けのように飛び上がった。
まさか、もう帰ってきやがったか……! 慌てて腰を浮かせ、打っているものを身体で隠すように立ち上がったベリックは、次の瞬間、続くはずだった言葉を飲み込んだ。
「こんにちは。お久しぶりですね」
冷たく鋭い男の声である。
この声には聞き覚えがある。
背筋に冷たいものが走った。
「あ、あんたは――!」
そう言ったきり絶句したベリックの顔を、男――サボス・ウィルフォード執政官は、蛇のような双眸を不気味に光らせて見据えた。
「おやおや、お取り込み中でしたか。彼女がいない隙を狙って訪ねてみたのですが……お邪魔でしたかね」
言葉の内容とは裏腹に、サボスの声は脅すような色を帯びていた。お前の工房に今誰がいるはずなのか、こちらはすべて先刻承知である――言外にそう言っているらしいサボスに、ベリックは苦労して言葉を絞り出した。
「……だからって日を改める気はねぇんだろ。何の用だ」
「安心してください、今この時点ではただの散歩のつもりですよ」
「こんな山奥までアンタほどの人がわざわざ散歩だと? 下手な嘘はやめろ」
「そんな怖い顔をしないでいただきたい。必要以上の護衛もつけていませんし、床下に潜ませた間者もいませんよ、あの時と違ってね」
嘘はないぞ、と言いたいらしいが、その三白眼は一切笑っていない。どう考えても友好的な話をしにきたわけではないのは確かなはずである。
「……本題に入ってくれねぇかな。俺は正直、あまりアンタとおしゃべりを楽しむ気にはなれねぇんだよ」
塩を撒いたつもりの一言にも、サボスの表情はぴくりとも変化しない。それどころか、サボスは実にのんびりとした所作で顎を擦り、ローブの裾を引きずって歩きながら、昔のことを思い出すように遠い目をする。
「そうでしょう。――七年前、あなたを取り調べた時、あなたは何もわからず震えていましたからね。あなたにとって私は心理的外傷になっているかもしれない」
「難しい言葉はわからねぇな。あんたほど学がないんでね」
「馬鹿な娘でしょう?」
「何が?」
「あなたの弟子のことですよ」
揺さぶりをかけるかのように、サボスは意味深な流し目を寄越した。無言でいると、サボスは続けた。
「昔から本当に手のかかる娘でした。頭はからきしですが力は強い。十歳も歳が離れているのに腕っ節では全く敵わない乱暴者です。全く――厄介で可愛い妹分ですよ」
その言葉に、ベリックは目を見開いた。
「妹、だと?」
「えぇ。まぁもちろんのこと血は繋がっていませんがね、場所が場所だけに私は彼女の子守をすることになった……いわゆる腐れ縁というやつです。アシュリーと私はほとんどそのように育ちました。そうそう、末の妹分もいましたね。アストリッドという鈍くさい妹分が」
「アストリッド――!?」
揺さぶりだとわかっているのに、ベリックは狼狽した。アストリッド。その名前は如何にベリックが世間に疎くても知っている。サボスが言っている“末の妹分”とは、この国を治める王家の血筋――アストリッド・エーデンのことらしい。
「お、おい。まさかあのチビがここに来たのは――」
「それはない。あの子は私とあなたが顔見知りであることなど知りませんよ。ましてや間諜の真似事が出来る程器用でもない。アレがここに来たのは全くの偶然です。そして私がそのことを知り得たのも、ね。信じるのも信じないのもあなたの自由ですが、あの娘を問い詰めても何も出ませんよ」
畳み掛けるような先回りの言葉に、それもそうだ、とベリックも納得した。この男ほど頭がいいなら、あの脳ミソ筋肉にそんなことをさせるはずがない。
サボスは次の言葉を待っていた。次から次へと揺さぶりをかけて鎧を剥がしてゆき、矢も盾もたまらくなったベリックが先に話し出すのを待っている。巧妙な心理作戦だとわかっていながらも、「そのこと」を話さない限り、この真綿で首を締めるような尋問は終わらないらしかった。既に全ての退路は絶たれていた。
「――俺は“魔眼”なんてものは知らねぇ。親方の行き先についてもな。そう何度も説明したはずだ」