休暇①
アシュリーが、剣をハンマーに持ち替え、鎧をエプロンに着替えて、はや二週間が経過した。
クレア親子が来店して以来、アシュリーは順調に鍛冶屋としての経験を積んでいた。重要な幾つかの仕事を除いてハンマーも持たせてもらう事ができたし、砥ぎについてもだんだんとコツがわかるようになって来ていた。
そして何より変わったと思うのが、鋼に対する知識である。
ただ振れば切れるというぐらいの貧しい了解しかなかった二週間前と違い、この刃物はこういう作業に向く、こういう風に力を入れればよりよく切れる、というような細かな知識がついてくると、俄然刃物の切れ味がよくなった。お陰でこの二週間、料理をするときに一本の包丁も壊してはいない。明確な進化であった。
それに――と、アシュリーはフライパンを振りながらほくそ笑む。鍛冶屋の喜び、やりがいというのも朧気ながらに掴めて来たような気もする。そのままでは叩いても齧っても傷ひとつつかない鉄の塊が、赤めて叩くことでまるで飴細工のように自由自在に形を変え、包丁や鎌、鍬や斧などの農具になってゆくのを見るのは単純に興味深い光景だったし、モノを作り上げる快感もあった。また、磨り減った鍬に鋼を付け足し、なまくらになった刃物をすっかり砥ぎ上げると、客はニコニコと子供のような笑顔を見せる。まるで新品のようだ、これでまた仕事ができる、ここに頼んでよかった、またご贔屓にさせてもらうよ……云々。
どうしたって平民とは身分の違いが生じる以上、騎士がこれほどまでに民の声を聞く機会はない。鍛冶屋というのは騎士以上に民たちの「ありがとう」を聞く職業なのだ。
ありがとう、か。騎士だったときにも、それほど聞いたことがない言葉である。
アシュリーは上機嫌でフライパンを振った。塩を振る手付きさえ奏でる鼻歌のリズムに合わせての、実に気持ちのいいクッキングである。おっと、危ない。この分厚い肉をこれ以上焼き続けるとウェルダンを通り越して黒焦げ肉になってしまう。危ない危ない……慌てて皿を取り出し、付け合せのマッシュポテトとレタスを乗せ、その上に肉をよそおうとしたところで、ん? とアシュリーは手を止めた。
このボロボロになった包丁、これには見覚えがあった。思わずフライパン片手のまま取り上げてみて、アシュリーはハッと息を呑んだ。
この包丁、これは確か……。
************************
「出来たぞ、さぁ食え!」
アシュリーは分厚いステーキが乗った皿をテーブルの上に置いた。おおお、と感動したように顔を寄せたベリックは、立ち上る湯気を吸い込み、蕩けそうな表情を浮かべた。
「すげぇいい匂いがする……! 肉、肉が俺のキッチンにある! 半年ぶりのベーコンじゃない肉が……!」
「ふははは、作った人間の腕がよいのだ! 褒めたければもっと褒めてもよいのだぞ!」
「ありがとうエレノアさん……ありがとう……! 俺は一生あの人について行くぜ……!」
「って、おいこら。作った人間の腕がよいのだと言ってるだろう。たとえ肉なんかここにあっても貴様ではせいぜい黒焦げにするのが関の山ではないか」
アシュリーは口を尖らせてみたのだが、ベリックはほとんど聞いていないようだった。ゴロニャーゴロニャーとまるで発情したネコのようにうっとりとした顔をしている。野暮天もここまで来れば芸術である。まぁ確かに、今ここでステーキが食えるのはエレノアのお陰であるのは確かなのだが……。
2週間前のあの日。アシュリーとベリックはエレノアから貰った包みを紐解き、中から出てきたものを見て仰天した。それは親指の先ほどもある純金の塊だったのである。大きさ的に、それは二人で夜通し遊び歩いても一月は暮らせるだけの金額になるはずだった。
だが、問題はそこからだった。賭場に行って倍にしようなどと言い張るベリックをどつき回し、やだやだやめろぉと泣きつくベリックを蹴飛ばし、お願いだから半分は残して、と膝に取りすがるベリックを踏んづけ、アシュリーは町の両替屋にそれを持ち込んで金に替え、一月分の食料を買い占めたのだった。
賭場に行って倍、の妄想からいまだ目覚めていなかったベリックは全く嬉しそうではないばかりか大変不満そうだったが、今のこの顔を見る限り、賭場に行かなくてよかったと心の底から思っているに違いない。
いただきますもそこそこに、二人は猛然とステーキを頬張った。脂が口の中で弾け、傷口に薬を塗るように、身体の隅々まで滋養が行き渡っていくのがわかる。アシュリーにとっても肉など口にするのは一月ぶりだったのである。
暫く、黙々とステーキを攻略する。フォークとナイフを動かす以外には一切の挙動をやめ、全身全霊で肉を味わうことに集中する。モノを食うという行為にこんなに集中したのは実に久しぶりのような気がした。
「おう、そうだった」
食事も後半に差し掛かった辺りで、アシュリーは今しがた思い出した風を装って口を開いた。
「何?」
ステーキから顔を上げないまま、ベリックは答える。
「今日の午後から週末までは仕事がないはずだよな? ちょっと町へ買い物に行きたいのだが」
「おう、行って来い行って来い」
二つ返事で答えたベリックは、それからちょっと無言になった後、言った。
「何を買うんだよ?」
「ん? いや……ちょっとな」
珍しく歯切れの悪い答え方をしたアシュリーに、ベリックは眉根に皺を刻んだ。
「なんだよ気持ち悪いな。騎士様が隠し事かよ」
「な、失礼なことを言うでない。騎士だって隠したいことのひとつやふたつあるわ」
「そうかいそうかい、じゃあ訊かねぇよ」
あっさり追求をやめたベリックはわざとらしく言った。
「ま、たまには俺もキーキーうるせぇのをから解放されて、一人で静かに鎚を振るってみてぇもんだと思ってたからな。なるべくゆっくり帰ってきていいんだぜ」
その一言に、いつもの軽口だとわかっていてもカチンと来た。
「な……わ、私だって貴様のような野暮天と一緒にいる希望はないのだぞ! 汗に塗れて煤に塗れて鍛冶仕事なんぞしなくていい時間が欲しかったのだ!」
フン、と鼻息荒く言い切ると、ベリックはケッケと笑った。まるで心の底を見透かしたような、意地の悪い笑みだった。
「ま、休暇だと思ってのんびり買い物を楽しんでこいよ。晩飯は適当に食っとくから、お前もな」
言われなくてもそうするわ、と素っ気なく応じつつアシュリーは内心ホッとしていた。単純が服を着て歩いているような自分故、誤魔化しや嘘はアシュリーが一番苦手とするところなのだが、今回ばかりはあまり深い追求をしてほしくなかったのだ。
自分が帰ってきた時、この野暮天はどんな顔をするだろう――? そう思うとどうしても頬が緩みそうになり、アシュリーはステーキの残りを口に押し込んでそれをごまかした。