エレノア
「それにしても彼女、よくやるわよねぇ」
「……なんですか急に」
エレノアが楽しげに言い、ベリックは鎚を振るう手を止めた。勝手知ったる様子で奥の部屋から椅子を出し、カウンターに頬杖をついて足を組むエレノアは、怪訝そうな顔のベリックを見て魅力的な笑みをますます深くした。
特に仕事を頼みに来たというわけではない。この人は昔からこうなのだ。時たまこうしてこの工房にやって来ては、仕事を頼むわけでもなく、苦情を言うわけでもなく、こちらが鎚を振るって仕事をしている所を面白おかしそうに眺めていることがあるのだ。そんなときはベリックも彼女が満足して帰るまで世間話に付き合うのである。
「だってそうじゃない? このところあなた珍しく忙しそうだし」
「そりゃ俺だって商売人ですよ? 仕事が混んでりゃ忙しくしますって」
「本当にそれだけなのかしら?」
思わせぶりな声とともにエレノアはまた微笑んだ。凄絶なほどに妖艶な微笑みであるが、幼い頃から彼女に何度も一杯食わされて来たベリックのこと、この笑みが無意味なものでないことを知っている。これはエルフという生物がこっちの思考を見透かしたときの笑みなのである。
「何が言いたいんです?」
「あなたにも相棒が出来てよかったわね、ってことよ」
「相棒だぁ?」
ベリックは苦笑した。
「馬鹿なこと言わないでくださいよ。あんなじゃじゃ馬のどこが相棒なんです。砥ぎとハンマー振るう以外にはまだなんにも出来ない素人ですよ。相棒ならもうちょっと使える奴を雇いますって」
「へぇ、そうなの。でも彼女、結構真剣に鍛冶屋の勉強してるっぽいじゃない。しかも騎士なら、普通の人よりは遥かに役に立つんでしょ?」
ふと――ベリックは手を止め、工房の角を顎でしゃくった。
そこには、ぐにゃぐにゃにひしゃげた角つきの金床が五つ、まるで死刑執行を待つかのように雑然と転がしてあった。エレノアは怪訝な顔で問うてきた。
「あれは何?」
「あの馬鹿力が叩き潰した金床の山ですよ。ハンマー持たせて半月でこれです。最近ようやく力加減を覚えてきて……危うく金床を買い換える金だけで儲けが全部消えるところでしたよ。役に立つどころか胃が痛ぇってところです」
冗談ではない表情と声で不満をぶちまけると、さすがのエレノアも驚いたようだった。そ、そうなの……などと若干ヒいた声で言ったエレノアは、しかし次の瞬間にはエルフとしての本能を思い出したらしく、スラリと長い足を組み替えた。
「新米を鍛えるための必要経費ね。我慢よ、ベリック」
「そこらの鍛冶屋崩れを雇うよりも不必要に高くつきましたけどね」
「でも、あなた今の生活の方が楽しいんでしょ? わかるわよ」
「この疲れた顔を見てどうしてそう思うんです?」
「確かに疲れてるけど、顔がいつもより楽しそうだから」
「からかわないでくださいよ。元から俺はこうですって」
「そう? 最近ますますいい男になったと思ってたのに」
やりにくい。壮絶にやりにくい相手である。
「みんな言ってるわよ。最近あなたが作る道具が前にも増してよくなってるって」
うぇ? とベリックは鎚を振るう手をまた止めた。「本当よ?」と念押しするように言った。
「ここのお得意さんはみんなそう言ってるわ。ベリックの野郎、あんなかわいい嫁を連れてきた途端にますます良い仕事するようになったな、なんてね」
「よ、嫁って――!」
道具の出来を褒められたことより、妙な噂の方に動揺した。パクパクと口を開け閉めするベリックを心底可笑しそうに眺めてから、エレノアはからかうように言った。
「相変わらず女の子耐性全くナシねぇ。ま、あなたは女の子よりも鉄と会話してる方がよっぽどいい顔するような人だものね」
「……褒めてるんですか。けなしてるんですか」
「師匠にそっくりね、って言ってるのよ」
「それってつまり褒め言葉じゃないですよね?」
「そうでもないわ。ものぐさに見えて意外と面倒見がいいところは似てよかったんじゃないの?」
そう言ってエレノアはカウンターの上のメモ帳を取り上げ、ひらひらと振った。そこにはベリックが暇を見つけては観察したアシュリーの体格や癖に関するデータや、それに合わせた剣の寸法、強度を出すために捻り出した思いつきの覚書が、下手くそな絵図と汚い文字でびっしりと書き込まれているのである。
ぐっ、とベリックは口を閉じた。いくらなんでも、今日のエレノアはちょっとしつこすぎるのではないか。何くれとなく放り込み、こちらがあたふたする様を見つめ、絶妙の間合いで梯子を外して去ってゆくからこその彼女である。いつもはこんな風に追い詰めたりはしないはずだ。
そんな思いが顔に出ていたのか、エレノアの翡翠色の瞳が細まり、例の心の底を見透かすような色を宿した。
「ベリック、らしくないのはあなたの方よ」
「はい?」
「いつものあなたならとっくに気がついてるはずよ。貰っているのは自分の方だ、ってね」
「は――?」
「私たちはね、別にあなたをいじめたいわけじゃないわ。ただね、気がつかないのは勿体ないんじゃない? って言ってるのよ」
妙な発言である。ベリックが目を白黒させていると、「ベリック!」という大声が外から聞こえた。
ベリックは店のドアの方に目をやった。そこには、顔中を煤だらけにしたアシュリーが立っていた。
「木炭の運び入れ、終わったぞ!」
「へ? あ、あぁご苦労。次は……」
「次は買い出しだな! わかった! ちょっと走って麓まで行ってくる! 夕食までには帰るぞ!」
言うが早いか、アシュリーは真っ黒な顔のまま駆け出した。麓まで行ってくる、か。その麓までは大人の足でも片道三時間はかかる道のりなのだが、どういうわけかあのアホな騎士は行って返ってくるまで一時間とかからないのだ。一体どういうスピードで移動しているのだろうか……今更ながらにその不思議に気づいたベリックの顔を見て、エレノアがクスクスと笑い声を上げた。
「ま、あの娘の側じゃ気がつかないのも当然かも知れないわね。あんまりにも一途な娘だし」
とりわけ意味不明な一言を吐いて、エレノアは腰を上げた。そのまますたすたと工房の入り口に差し掛かった時、思い出したようにエレノアが言った。
「そうそうベリック、作って欲しいものがあるんだけどいいかしら?」
「は? ……は、はい!?」
一瞬の後、ベリックは思わず腰を浮かせた。その様をエレノアはおかしそうに見つめた。
「何よその反応。イヤなの?」
「い、いや! イヤじゃないですけど……だって、だって、ですよ……!? い、いいんですか?」
「いいのよ。あなたにお願いしたいからそうするのよ」
エレノアは事も無げに言ったが、ベリックは凄まじく緊張していた。何しろ、ベリックがここで十年鍛冶屋を続けていて、彼女に『モノを作って欲しい』と言われたのは初めてのことだったのである。どんなに頑張っても、どんなに技術を高めても、彼女たちエルフは人間の自分に本格的な仕事を依頼してはくれなかった。半ば意地になってエルフに仕事を認めさせようと足掻いた記憶――それがベリックの鍛冶屋人生の記憶の大半なのであった。
それが今、ようやく、意外なタイミングでやってきた――。
直立不動の姿勢で次の言葉を待ったベリックに、エレノアは言った。
「フォークを一本打ってくれない?」
「え……フォーク、ですか?」
思わず拍子抜けする気分を味わい、見開いた目が点になった。
「そう、フォーク。私の同僚にプレゼントしたいの。彼、最近食事も睡眠もさっぱり摂れてないのよ。倒れる前にしっかり食べろって言いたいから……支払いは後で。よろしくね」
流れるようにそう言って、エレノアはすたすたと工房の外に歩いて行ってしまった。
フォーク……か。偉く小さな依頼であることは間違いなかったが、初めて仕事を依頼されたことには間違いはなかった。そもそも気になるのはその依頼内容である。彼女は今『同僚』と言ったが、そもそも彼女はどこかで働いているのか? エルフの私生活について曲がりなりにも情報があったのは事実である。
いや、それよりも――と、ベリックは考えた。今までは一体何が足りなかったのか……否、今の自分の、一体何が彼女を満足させたというのだろうか。
「貰ってるのは俺自身、か……」
意味不明な一言を反芻するようにひとりごちて、ベリックは右手に手槌をぶら下げたまま、振り返りもせずに去ってゆくエレノアの後ろ姿を見つめた。