鍛造
朝日の色に光り輝く、熱せられた鉄の塊が火床から取り出された。途端に、まるで地獄の業火のような熱射が鉄塊から放出し、ビリビリと肌が灼けた。あっという間にアシュリーの身体から汗が噴き出してきたが、その汗でさえ熱射によってすぐに乾いてゆく。
ベリックは猛烈な熱に顔を歪めながらも、金敷に鉄塊を乗せて大きく頷いた。
「――よし、やってみろ!」
熱の入った言葉に、アシュリーは頭上にハンマーを振り上げた。
そのまま全身のバネを使い、赤黒く灼けた鉄塊の上に真上にハンマーを振り下ろした。ギンッ! という、金属を叩く鈍い音が発し、衝撃音とともに火花が飛び散った。手のひらにすっぽりと収まる程の大きさだった鉄塊が、ひとつ鎚を振るう度に徐々に平たく延びてゆく。
これは『鍛造』という、鍛冶の心臓部とも言える作業である。ハンマーで叩いて鉄を整形するのと同時に、鉄を叩き締め、刃物や農具に適す状態の鉄にしてゆく作業であるという。
鉄を叩く力は強いのに越したことはないが、その強さはそれ程刃物自体の強靭さや切れ味には貢献しないらしい。むしろ、如何に鉄が熱く柔らかいうちに一気に叩き延ばし、整形出来るかがミソで、それには力の強さよりも、むしろ鎚を毎度同じ場所に異なる力で振り下ろす正確さ、繊細さが求められるのである。
額から滴った汗が目に入り、アシュリーは左目を閉じた。手を止めるわけにはいかない……剣を握る時のいつもの癖だったが、「拭え」という鋭い指示が飛んだ。
「鍛冶屋で大事なのは目だ。目が塞がりゃ目測が狂うぞ。早くしろ」
ベリックは鉄から目を離さないままに言う。アシュリーは口を閉じたまま服の袖ですばやく目を拭い、再びハンマーを振り上げた。
カン! という、先程の澄んだ音とは違う妙な音が発した。くそっ、またか……とアシュリーは己の技量の未熟さに歯噛みした。
通常、手元に重心が設定されている剣と違い、ハンマーの場合は重心が手とは真逆になる。如何に鍛えられたアシュリーといえども、ハンマーを持ち上げるたびにどうしても手元が狂い、上手く振り下ろすことができない。そのため、文字通りトンチンカンな音を立ててしまうらしい。
「しっかり踏ん張れ。腕だけで振り下ろそうと思うな。槌は自分の手足だと思ってハンマーを支えろ」
ベリックの言葉に、アシュリーは両足の親指に力を入れ、ハンマーを支えることを意識して振り下ろした。叩かれた鋼は爆発したように火の粉を散らす。よし、今度は上手くいった。
アシュリーが鎚を振るう度に、鉄は姿を変える。曲がり、縮み、叩き締められる。金鋏でこまめに鉄塊の位置を変えながら、ベリックは汗塗れの顔で大声を出した。
「いいぜ、なかなか様になってきたじゃねぇか」
褒められているとわかっていながら、鎚を振るう側のアシュリーにはその言葉に応える余力はない。やっと唇の端を持ち上げるだけの笑顔を浮かべるだけに留めて、ひたすら鉄塊の上に鎚を振り下ろすことに集中する。
ベリックに指示されるまま、しばらく黙々と鉄を赤めては延ばしてゆくと、やっとある程度の形が出来てきた。大きさこそまだまだそれとは程遠いものの、形だけはすっかりと見慣れた草刈り鎌の形に整ってきた。
また暫く叩くと、ベリックが「そろそろいいぜ」と大声を出した。間を置かず、ベリックは熱く灼けた鉄に砂粒のようなもの――確か鍛接剤とかいう粉だったはずだ――をまんべんなくふりかけると、傍らに置いてあった金属の欠片を赤めた鉄に押しつけた。
じゅう、という音ともに、赤黒く灼けた鉄から白い煙が立ち上った。鎚を降ろし、額に浮かんだ汗を拭いながらアシュリーは質問した。
「それは何をしているのだ?」
「これか。これは沸かし付けって言って、軟鉄に鋼を鍛接する作業だよ」
得意気にそう答えて、ベリックは鉄塊を火床の中に押し込んだ。再び鍛造に適する温度にまで熱しているらしかった。
「今熱してるのは軟鉄――つまり、比較的柔らかい地金の部分だ。それに刃先となる鋼を乗せたら、接着剤代わりの鉄蝋……要するに鍛接剤をまぶした後、上から叩いて一体にする。これが完成した時、この鋼がちょうと刃先になるようにな」
「何故そんな手間のかかることを? 最初から柄も刃もすべて鋼で作ればよいではないか」
ベリックは火床から目を離さないまま、へへっと笑った。
「良い質問だな。たとえ鎌でも包丁でも、全部が鋼だと靭性がないから折れたり大きく欠けたりしやすい。だが柔らかい鉄とくっつけてやれば、軟鉄がクッションになって、適度な張りと硬さの刃物になるってわけだ。それに、軟鉄で鋼を包んだ方が砥石へのかかりもよくなる。鎌みたいにこまめに砥がなきゃならねぇ刃物は、硬さよりも砥石へのかかり方のほうが重要なんだ」
ほほう、とアシュリーは驚嘆した。相変わらず、鍛冶屋の知恵には驚かされるばかりである。たかが包丁一本、鎌の一本にも、惜しみなく巧みな技術が使われているのだな……と関心を覚えた時、額から流れ落ちた汗の珠が手の甲に落ちた。
いやしかし、なんとも暑い部屋である。そりゃ鉄を熱する火床があるから当たり前なのだが、こうも暑くては水を飲んでもすべて汗になって流れ落ち、すぐに脱水してしまう。かと言って窓を開けるわけにも行かない。鉄の色を見極めるために暗幕を閉め、工房内を暗くする必要があるのだそうだ。
「鍛冶屋は目ですべての情報を手に入れる。鉄の温度が今何度ぐらいなのか、それを色で見分けるには、部屋が暗くねぇとダメなんだ。だから目は大事にしろ。目の狂いは人間の狂いだ」
それがベリックの弁である。
だが、これでは如何に騎士といえども辛すぎる。肩口まで腕まくりしているのに、木綿のシャツは既に汗を吸って肌に貼り付き大変不快である。
なにかいい案はないか……と考えるうち、ベリックが着ているカーキ色のタンクトップを見て妙案を思いついた。
「いいことを考えた。ベリック、私もお前みたいに下着一枚になってはどうだろう」
ブフォ! と猛烈な勢いでベリックがむせた。そのままゲホゲホ……と咳込んだベリックは、「だ、ダメに決まってるだろうが!」と声を裏返らせた。
「何故だ? かように暑くては流石の私も辛いのだが……」
「ダメったらダメだ! 嫁入り前の娘が何とんでもないことを考えてやがる! そんなことしたらいろいろ零れちまうだろうが!」
「何を言ってるのだ、お前? まぁ兎に角モノは試しに……」
そう言いながらシャツの裾をまくると、うおおおおやめろおおおおおお!! とベリックは大慌てに慌てた様子で絶叫し、持っていたハンマーで金床をガンガンとうるさく叩いた。その尋常ではない剣幕に、さすがのアシュリーもその先の行動を踏みとどまった。
「な……何をそこまで必死に止めるのだ、お前だって寒ければ服を着足すだろう? 私はそれの逆をしたいだけなのだが……」
「なのだ、じゃねぇ! 何でそういう時だけ訳のわからない解釈するんだよ! とにかく言うことを聞け! 脱ぐな! 暑いなら水でも飲め!」
「ちぇ、野暮天鍛冶屋め。寛容さこそが人の最も尊い美徳なのだと知らんのか」
「やかましい! 毎度毎度何様のつもりの上から目線なんだ! とにかく、そろそろ作業始めんぞ!」
はいはい、と騎士らしからぬ返事で応じ、アシュリーはハンマーを持ち上げた。