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凶行

 錆びた鉄の匂いがした。


 それは鉄の匂いではなかった。どこからか漂ってくる血の匂い……死の匂いだった。いつもなら活気づいているはずの市場の喧騒も、人いきれも、今では色濃く漂う不穏な空気に塗り込められ、行き交う人もまばらである。


 この匂いは寝不足の身体にはきつい――。そんな感想を胸に抱きながら、執政官サボス・ウィルフォードは王都の外れにある商業地区の石畳を歩いていた。


 現場は既に駆けつけたエーデン騎士団に固められ、現場検証も既に終わりに近づいているらしい。だが、石畳にいまだこびりつく血が飛び散った範囲は尋常なものではなく、それが喧嘩や物盗りの末の傷害事件ではないことを暗に物語っていた。


 こちらに気づいた騎士団の一人が、団長! と声を上げた。その声に、胡床に座り込んでいたエリアス・アベニウス騎士団長が顔を上げる。ご苦労、と目だけでその労をねぎらうと、アベニウスは力なく首を振ってから立ち上がった。


「すまぬ。また奴にしてやられてしまった」


 アベニウスは疲れた顔で奥に視線をやった。赤黒い染料をぶちまけたような血溜まりの中に、粗末な布をかけられただけの死体が二体、路上に転がっていた。


「また、“闇夜の辻斬り魔”ですか――」

「そうだ。しかも斬られたのはここらではちょっと名の知れた旅の剣士だったらしい。国から国へ渡り歩いていた渡世の冒険者だ。そう易々と殺られるとは思えん」


 剣士。今まで辻斬り魔が手にかけていたのは、農夫や商人、狩人、街娼の類で、いずれも武装らしい武装を持っていない人々であった。今回は武装し、しかも腕に覚えがある剣士が二人、碌な抵抗もできずに膾斬りにされたらしい。「酷い死に様だ。腕も首も繋がっておらん」と付け足したアベニウスの言葉に、サボスは眼の前の遺体の惨たらしさを想像して眉をひそめた。


「しかし妙ですね。まるで殺すというより、死体を斬り刻むのを楽しみにしているようだ」

「あぁ、我々もそこが気になっていた。場所も、時間も、対象さえバラバラな奴の手口に共通しているのはこの惨殺方法しかない」


 惨殺、とアベニウスは言ったが、既に首と胴体が離れた人間をなおも損壊するというのは尋常ではない。更に常軌を逸しているのはこの血の飛び散り方だ。身体の中から一滴の血をも搾り取ってぶちまけたように、辺り一帯に血飛沫が飛び散っている。これではまるで血を搾り取るために死体に斬りつけたようではないか。


「とにかく、奴はただの犯罪者であるだけではない。奴は相当の使い手――しかも、相当の手練であっても太刀打ちできない腕を持っているらしい」


 信じがたい事だがな、とアベニウスは苦々しげに付け足し、サボスは遺体に歩み寄る一歩を踏み出した。


「やめておけ。我々ですら見るに耐えるものではなかった」


 アベニウスに肩を掴まれる。だがサボスは「私には執政官としての責任がありますから」とだけ言い、その手をやんわりと払い除た。まごつく騎士たちを押しのけ、遺体の側にしゃがみこんだサボスは、遺体にかけられた布を一息に捲りあげた。


 一見した途端、酸っぱいものが食道を逆流してきた。一度顔を背け、ローブの裾で口と鼻を覆いながら、サボスは素手で遺体を検分し始めた。


 サボスの手はべっとりと血で濡れたが、構ってなどいられなかった。しばらくあれこれと遺体の傷や状態を確かめたサボスは、遺体に再び布をかけ、背を向けた。


 背を向けてよろよろと歩き出した途端、急な目眩を感じて、膝から面白いように力が抜けた。ぐっと上半身が傾いだ瞬間、アベニウスの太い腕にがっしりと抱き留められる。


「大丈夫か? 言わんことじゃない」


 言いながら、アベニウスは今まで自分が座っていた胡床にサボスを座らせた。口中に湧いた苦い唾を呑み込んでから、サボスはその痩躯から搾り出すように言った。


「血が……」

「ん?」

「血が……遺体からほとんどなくなっていますね」


 サボスがか細い声で言うと、アベニウスは眉間に皺を寄せた。


「それは……あまりに遺体を切り刻まれた故、ということか?」

「いいや違う。如何に切り刻まれようとも、普通の遺体なら内臓や皮膚の下の方に血はこびりついているはずだ。それがあの遺体にはない。まるで血袋として一滴残らず搾り出されたかのようだ。いずれにせよ、これは普通じゃない……」

「ということは?」


 サボスは口元を拳で拭ってから言った。





「彼らを切り刻んだのは……魔剣で間違いないでしょう」




「馬鹿な、魔剣だと……!?」


 驚いたような声で言ってから、アベニウスは辺りを一瞬見回し、耳打ちするかのように言った。


「真か、ウィルフォード執政。魔剣などがこの城下に何故……!」

「えぇ。普通の通り魔や物盗りが持っているはずがない。だが、あれはどう考えても普通の死体ではない。彼らは吸血鬼にでも襲われたのか? いいや違う。太い血管のある首筋や大腿の付け根には牙の跡がない。彼らの死因はめった切りにされたことによる失血死でしょう。まるで――彼らを切り刻んだ剣そのものが血を吸ったかのようだ」


 言った途端、いまだ捩じ切れそうに痛む胃の腑が再び悶え始め、サボスは奥歯を噛み締めた。食道を逆流しようとする胃液をじっと堪えていると、アベニウスが言った。


「悪夢だ。魔剣がこの城下に――」


 アベニウスが深刻な顔で呻いた。魔剣。それは悪しき力を秘めた剣の呼び名。完成してなお、血と炎によって鍛えられるという忌まわしき兵器。十年前、この国が巻き込まれた戦乱においては、数多の魔剣が世に出、血を吸い、そして終戦と同時にこの大陸の各地に散逸したという。


 その一振りが、まさか王都に――。


 想像しただけで、がらがらと音を立てて地面が割れ、その下に吸い込まれてしまいそうな恐怖が足元から這い上がってきた。魔剣は通常の剣ではない。相手が如何に剣の達人であっても、魔剣を相手にするとなれば話は別だ。その戦力差は剣技の冴えや経験の蓄積などでは決して埋まらぬほどに圧倒的なものなのであるから。


 サボスは霞む視界に、空の一点を睨んだ。


 十年前の無力なだけの自分と違って、自分は今や執政官、この国の内省の一切を取り仕切る立場だ。


 ならばこの凶行を止めるのは自分でなければならない。このエーデン王国の平和を、王家の弥栄を守ること。そしてあの盲の妹分、女王アストリッド・エーデンからこれ以上、何も奪わせないこと――それは七年前、異例の大抜擢を受けて執政官に就任した秀才・サボス・ウィルフォードというひとりの青年が、執政官になるときに密かに固めた決意だった。



「魔剣を――辻斬り魔を止めなければ」



 サボスの独白に、アベニウスが力強く頷いた。


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